家道訓 巻之六 用財下
一
親戚朋友に対し、財をやり取りする時、我が財を損ぜざるように、我が利運の如くせんとすれば、快からざる事あり。
取るにも遣るにも、我が財を少し損失するをいとはざれば、何事なく、我も人も互に心よし。
我が得分にする道理ながら、其の理非を論じ、少しの財の為に争いて、人を咎めて人の心を失う事多し。
人に財を貸して其の負い目をとるも、全く我が損失なからんとすれば、事ゆかずして行われ難し。
少し我が財を捨てれば、無事にして、労かわしからず。
是れ僅かの費え、家の為少しも害なし。
二
人と交わるに、遠慮深くして、人の財を費やさしむべからず。
人の費えをいとわずして、己れに費えなからんとし、人の費えを以て、我が身の楽しみとするは、賤むべし。
凡そ、かようの事は、我が心術の害となれり。
省みて戒むべし。
萬の事麗しくとも、財をやり取るに、廉直ならず、貪りあれば、むげに人に思い下されるものなり。
二
親戚故舊朋友の貧しき者、我が財物を借らば、我が力に随て財を與うべし、貸すべからず。
與えれば、我が仁愛の道行われて、我が心に快し。
彼も我が恩に感ず。
凡そ、借りる者は、貧しく財無き故に借りる。
借りて返せば彌貧しくなる故に、極めて廉直の人にあらざれば、返す事、稀なり。
初め貸さざる恨みは少しにして、借りて後、返さざるをこなたより乞う時、借りる者の恨み怒りは、甚だ深し。
親しき人には、殊更、財を貸すべからず。
成るべき程は、與えるべし。
財を貸すは、禍いを求めるなり。
後には、互いに怨み出来、中疎くなる事多し。
賤しき俗の歌に、
「知る人に物ばし貸すな、ただ、やりね、貸さぬ恨みは乞う程は無し」
と云り。
貧窮なる者は、借りる財を償う事ならず、後に返さんと思えども、其の時過ぎぬれば、忘れ易くして、償わん事を思わず。
賤しき歌に、
「うきことも嬉しき事も過ぎぬれば、其の時ほどは、思わざりけり」
と読めるが如し。
我が身の難儀なる時、人の惠みを受けて、後まで忘れざる人は稀なり。
然るに、其の借れる財の負い目を償わざる時、此方より乞い求めれば、財を借りたる者、怨み憤りて、中絶えるに至る。
或は恨み深くて、あだ仇と成るに至る者あり。
此方より責め乞わざれども、借りて返さざる者の方に僻事ある故、親戚と雖も、必ず我に背きて疎くなる。
況や、朋友他人は、さらなり。
是れ、財を費やして仇を求めるなり。
かねて能く慮るべし。
三
親戚朋友に、已む事を得ずして物を貸せば、初めより與えると心得て貸すべし。
借れる時は、喜べども、時過ぎぬれば、惠みを忘れて返さず。
其の時、かねて與えたると心得ぬれば、恨み無し。
貸せる物を必ず得んと思いて責めわたれども、返さざれば怒りて中絶えるは、世に多き慣いなり。
かねて其の心得ありて、貸したる物を必ず得んと思うべからず。
貸せる物を必ず得んと思うは、人情を知らざる也。
借りて返さざるは、世俗の慣い也と心得うべし。
怒るべからず。
四
衆人は、倹約の善なる事を知らず。
倹約なれば、吝嗇なりとて謗り笑うは、世俗の慣いなり。
愚かなる人は、世俗の謗りを誠と心得て雷同す。
世俗の謗り信ずべからず。
世俗の謗りを恐れて、倹約を行わざるは力量なし。
されども倹約の道を知らで、心鄙細にして、財を惜しむ事過ぎれば、心忙しく、與うべき物與えず、用ゆべき財を用いずして、仁愛を失しない禮義に背く故、人の和を失いて、人思い付かず、何事を行うもはかゆかず。
六
凡そ、財を用いるには、心を用いて、よき程の節をかないて、過不及の誤りなかるべし。
用ゆべき時、用い、與うべき時は與うべし。
惜しむべからず。
君子の倹約を行うは、用ゆべき時、用いんが為なり。
費えを惜しむ事、過ぎて中を失い、心忙しくして、我が楽しみ人の和を失うべからず。
七
倹約は人の美徳なり。
古より、いみじき聖賢明王、皆、倹約は、我が身に俸養する事を薄くして、驕らざるを云う。
是れ、善徳なり。
吝嗇とは、惜しむとも吝かとも読む。
財を惜しみて與うべき人に與えず、用ゆべき事にも用いざるを云う。
是れは悪事なり。
此の分ちを知るべし。
愚人と下部は、倹約を吝嗇と思えり。
八
君子は、濫りに財を費やさざる故、餘財ありて人を救い惠み、財を用ゆべき事には惜しまず、小人は奢りて、濫りに財を費やせども、人を救い惠む事には、財を惜しみて施さず。
故に奢りて、濫りに財を費やす者は、必ず財を惜しみて人を救う惠まず。
九
農商の家、父の譲りを受けて、田地と財寶とを得て、よく保ちて失わずして、子孫に譲るも孝なり。
家業をよく務めて怠らず、倹約にして濫りに財を費やさざれば、永く父の譲りを保ちて子孫に傳う。
孝と云うべし。
是れを良民と云う。
もし、怠りて務めず、財を費やし失えば、田を売り、家を失い、財を破りて、困窮に至る者多し。
不孝の甚だしきなり。
是れを頑民と云う。
十
管子が曰く、人情面侈則貧、力面儉則富。
凡そ、人家の貧しきは、惰りて侈るによれり。
富めるは勤めて倹なるによれり。
此の理をよく心得べし。
故に、家を保つには、勤倹の二を行うべし。
是れ要道なり。
十一
家を保ち財を用いるに、人の生れ付きによりて、此の道を得たると得ざるとあり。
心、新しくして精細ならざる人は、此の道に拙し。
かかる人自ら省みて、我が得ざる所を改め正すべし。
生れ付きに任せ置きて行えば、必ず、困窮に至る。
十二
大に富める人も、財を用いる道を知らざれば、後は必ず貧窮に苦しむ。
薄祿の家も、財を用いるに道あれば貧苦なし。
賢き人は國天下をだに、能く保つ。
況や、小なる家を保つ事、成り難きは、拙し。
然れば、家を持てる人は、財を治めて家をよく保つ計を宗として、心にかくべし。
今の人多くは家を保つ計を知らず、貧窮に至りぬれば、世の慣わしと、我が不幸を咎めて、我が過ちを省みず。
世を咎めて我が身を赦す人は、此の道は行い難し。
家の困窮するは、ひとえに我が科ぞと心得て、自ら省み身を修むべし。
十三
財祿は限り有り、私欲は限り無し。
限り無き欲に任せては、必ず財尽きて困窮す。
富める人も貧しき人も倹約にて、物事に嗜慾を堪え、酒食衣服家居など、萬の用、我が身上より軽く薄くすると見えるが、理に適いて能き程なるべし。
殊に貧家は、此の如くにして、ようよう我が得る所の財祿を用い盡して、餘り無く不足なし。
不足なければ、小祿の家も人に借り求めるに及ばず。
然るに、萬の身の俸養分限に過ぎて、心に任せぬれば、富家といえども、後は財不足し、自ら苦しむのみならず、人の妨げとなり、一生の苦しみ、子孫の不幸となる。
貧家は、人に施し貧窮を救う程こそ無くとも、せめて人の妨げとならざるべし。
十四
貧窮にして、其の憂い耐え難しと雖も、よく貧を堪えて、習い熟すれば、苦しみ無し。
凡その事、なるなると、なれざるによりて、苦しみ楽しみあり。
十五
堯の時八年の洪水あり。
湯王の時七年の旱ありて、野に青草なかりしかども、民飢えず、道に乞う人なかりしは、兼ねて蓄えあればなり。
士庶人の賤しき家、蓄え無くんばあるべからず。
人家には不意の変あり。
財の貯え無ければ、俄かに変に遭いては、為すべき用無し。
かねてより、早く変に備える計を為すべし。
十六
後の事遠慮なき人は、当時、身の養いに驕り、酒食を豊かにし、家居をよくし、衣服を飾り、欲を恣にして費えを惜しまず、財尽きぬれば人に借りる事を憂えず。
財を貸す人だにあれば幸いにして、多く借りる事を好む。
是れ、眼前を快くして、後の災いを顧みず。
然るに、只今さえ、我が財無くして、人に借り求める程なるに、借りる財に、年々利息加わり行けば、彌、財尽きて、借りる物を償うべき力無くて、必ず家破る。
初めに早く後の事を慮り、後の憂い無き計を為すべし。
十七
初め貧しく後富める人、初めの貧しき時を忘れずして驕らざれば、永く其の富を保ちて失わず。
初め賤しく、後、貴く成りたる人、初めの賤しき時を忘れずして驕らざれば、永く其の貴きを保ちて失わず。
十八
我が父、人の財を借りて返さず、又、買いたる物の價を返さざる、是れ、父の僻事なり。
其の子たる者、我が返すべき力だにあらば、年久しく隔たりぬとも、其の貸し主と売れる主を訪ねて求めて、我が財を以て父の借りる負い目と、買える物の價を、滞りなく償い返すべし。、是れを父の過ちを補うと云う。
孝の道なり。
父の時、人の財を返さず、價を返さざるは、我が心に快からず。
又、貸主、売り主も、財を失える恨み深し。
然るに是れを返せば、親の過ちを補い、我が心を快くし、貸し主売り主の恨み無くする、此の三つの益あり。
必ず我が身の養を省き費えを辞めて、父の負い目を償い返すべし。
此の如く孝を行い、道を直くして憐れみある人は、其の故とは目に見えざれども、必ず後に天の報いありて、密かに惠み助け給う理あり。
俄かに目に見えざるとて、此の道理あるを疑うべからず。
十九
財を用いるに、心を用いると用いざるとによりて、財の費えの多少甚だしき事なり、よく心を用いて無用の費えを省き、愼みて約なるべし。
疎かにして多く用ゆべからず。
例えば、養生の道は、物事に少なくするを宜しとす。
酒食を少なくし、色欲を少なくし、言と怒りを少なくするの類なり。
財を用いるも亦、此の如くなるべし。
物事に多く用い過ごすべからず。
然れども、費えを惜しむ事あまり緊密にすぐれば、我が心を苦しめ人に害あり。
緊密なる内に緩やかなるがよし。
人を使うも亦、此の如し。
日々少しの暇なきように使えば、人苦しみて其の所を得難し、少し暇あるように人を使うべし。
二十
驕りて恣なる人は、三年に用いる財を一年に費やし盡くす。
例えば、無養生なる人、慾を恣にすれば、百年の元気を一時に減らして、身を失うが如し。
二十一
山谷が詩に曰く、深念煩鄰里忍窮禁賖。
此の詩の意は、人の財を借り、人の物をおぎのり買いて返さざれば、我が郷里人の患いとなるを深く思案して、身の艱難を堪えて、人の財を借らず人の物をおぎのらずといえる意なり。
家を治めるの道かくの如くすべし。
財を貸したる者、物を売りし者の憂い恨みをおもいはかるべし。
昔の人は、家貧しけれど、艱難を堪えて、我がもてる家財を以て家をすぐして、人の財を借りず。
故に今時の如く、人ごとに貧しき憂いなし。
或いは、小祿の人も、財の貯えありて、不慮の時の変に備えしなり。
今の人は、驕り費やして、必ず家財不足す。
時の風俗に慣いて、当時の慾を恣にして、後の憂いを慮らざるなり。
二十二
人心計り難し。
士といえど忠信無き人は、言う事うけがう事信じ難し。
況んや、庶人は、慣わし悪しくして信義なし。
我が心の如く信あらんと思いて、油断して人を赦せば、多くは約違いて人に欺かれ、後悔する事あり。
殊に財を預け授ける事、初めに詳らかにして疎かにすべからず。
小人は、必ず人を欺き財を奪う事を好む。
其の計に陥つべからず。
萬の事、はじめに愼まざれば、必ず終わりに悔いあり。
二十三
貧家に男子多くば、かねて早く産業を立てる計を成すべし。
貧家に女子生まれば、早く心づかいして、嫁する時の装具を調える計を為すべし。
女子生まれし時、杉を萬根植えて、其の長ずる時、ひさぎて嫁する助けとせし試しもあり。
桐を多く植えて、女子の裝を助ける者、今もあり。
後の事をかねて早く計りて、俄かにつまづかざる謀をなすべし。
家貧しくてかねて用意なければ、女子の嫁する時にのぞんで、俄かに其の費えの財を求め得る事難し。
二十四
老人は、早く棺をこしらえ、葬具を備え置くべし。
富貴の家も、其の時に及んで俄かに調え難き物あり。
ことに貧家は早く備えざれば、時にのぞみ器物を沽却し、銭財をかり求めて用脚とすれども、俄かに禮備わらずして、事調い難し。
かねて早く心にかけて備うべし。
二十五
貧しき人は、貨財を以て禮とせず。
老いたる人の、筋力を以て禮とせざるが如し。
もし、貧賤ならざる人は、贈り物を以て其の誠をあらわす。
是れ古人のなせる所、禮の道なり。
父母兄弟親戚朋友、或は、恩を受けし人には、贈り物を以て其の誠をあらわし、其の情を通ずべし。
古人、貧しきは束脩を贈り、富めるは玉帛を贈る。
吝かなる人は、財を惜しみて禮なし。
贈るべき人に贈らず、是れ吝嗇なるは、不仁にして誠無きによれり。
如何となれば、我が子には多く財を費やせども惜しまず。
是れ、愛深ければなり。
然れば、財を惜しみて贈答の禮無きは、不仁より起こる。
況や、贈り物にさほど財の費え無し。
二十六
人に贈り物するは、心を用ゆべき事なり。
すべて悪しき物を贈るは、贈らざるに劣りて恥ずかし。
魚のあざれ、肉の破れ、餻餌醬醢などの造りなせる物、味変じ色悪しく臭悪しき、又、果など、未だ熟せざる物の、時ならずして人に害あるもの、皆、人に贈るべからず。
贈り物によりて人の心の薄き厚き現れる。
下部に任せては、後ろめたし。
自ら擇ぶべし。
二十七
家人を使うに、只、ことばの情けばかりにて、賞祿を與えざれば、家人の心悦服せず。
財祿を與えれば悦んで能く勤む。
一時に多く與えんよりは、少しづつ時々與えれば、怠らず。
多く與えて久しく與えざれば、惠みを忘れて怠る。
ことばの情けのみにて、物を與えざれば、婦人の仁とて、實事なければ人、誠を尽くさず、功をなし難し。
軍をするにも、言の情けばかりにて、祿わを與えざれば、士卒の戦功なし。
然れども、財祿を與えるにも法あり。
妄りに功無きに與えれば、千金を與えても、人悦ばず、又、一言の情けも千金に勝る事あり。
二十八
倹約にして、我が身に驕り無きをば徳と云う。
人これを悦ぶ。
もし、人に対して、財を惜しみて、人に施さず、人に薄くして、禮にあたらざるをば、人皆、賤しみ謗る。
是れ不徳なり。
吝嗇と云う。
倹約を厚く心得て吝嗇とする者あり、倹約に事よせて吝嗇なる者あり。皆、不徳なり。
二十九
東坡が言える蔬食の三養あり。
蔬食とは、味の淡薄なる物を食するを云う。
一には、分を安んじて以て福を養う。
是れは、驕らざるなり。
二には、胃を緩くして以て気を養う。
是れは、肥濃なる美味を多く食えば、胃の気を破る故なり。
三には、費えを省きて以て財を養う。
是れ、淡薄なる物は、財の費え無きなり。
是れ亦、家を保つに益ある法なり。
三十
廣き家に居ては、昔の穴に住み野に居りし時と、今の貧しき人の、はにふの小屋のいぶせきを、思いやりて、楽しむべし。
穀肉を食しては、昔の人の、木の葉、草の根を食とせしと、今の餓えに悩める人を憐れむべし。
衣を着て、暖かにしては、昔の木の葉を綴りて着たると、今の衣無くして凍える者を憐れむべし。
我が召使う奴婢あらば、貧しき人の水くみ、自らかしぐ苦しみを思うべし。
此の如くならば、楽しみ多くして、上を願う外の求めなかるべし。
三十一
凡そ、家を保つ道は、倹約を行うにあり。
倹約とは驕りと費え無きなり。
驕りとは、何ぞや。
我が分外を行うを云う。
費えとは、何ぞや。
無用の財を用いるを云う。
又、家を保つには、豫するを先とすべし。
豫するとは、後の事を早く慮りて用心するを云う。
豫の計、無くしては、行きあたりて如何ともすべからず。
遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり。
聖人の言、疑うべからず。