
“触れられる彫刻”触覚の美とは…
こんにちは。idumi.artのいづみです。
感性を高め、周波数を整える動植物画アイテムを作っています🦋
今回は“触れられる彫刻展”と、フランスのすてきな美術館が舞台のドキュメンタリー映画のご紹介です。
…そしてタフティで現実構築しちゃったシリーズART編”でもあります…タフティご存知ない方にはなんのこっちゃかと思います、アートのお話だけピックアップして読んで頂けたら幸いです。
(…この体験はタフティの三つ編みメソッドをやる中で現実化してしまったことでもあり、これまで取り組んできたセクターの移動や台本の変化と繋がる話でもありますので、その話は最後の章にまとめます)
◾️触れられる彫刻
千葉県立美術館で開催中の彫刻展
【彫刻に触れるときー「さわる」と「みる」がであう彫刻展2025】の触覚体験が感動的で、シンポジウムでの彫刻家の方々の貴重なお話からも多くの発見がありました。
YouTubeにも動画をあげましたが、私が心惹かれたのは「エクトプラズム」(動画の木彫りの作品)は高見直宏さんの作品です。
高見さんは、目のご病気を発症され、視力が低下するなかで制作をされておられるとのこと、強く惹かれたので、また個展の機会があればぜひ見に行きたい(触りたい)と思いました。

柴田良貴氏作品

宮坂慎司氏作品


2/16開催イベントでは作家さんと鑑賞会
(私は間に合わなかったのですが
少し時間がおしていたようで最後の10分ほどの
参加ができてラッキーでした)
美術館等で作品を“触る”行為はタブーとされていて、見ることしか許されないという“常識”がありますよね。そもそも特にここ日本では、芸術自体に対する日常的な親しみや楽しむという価値観は一般的ではなく、キャラクターや人気アニメ以外のアート作品に興味を持つ人は少数派かもしれません。
今回のような彫刻展は、そんなタブーを打ち破り、実際に触れて感じて楽しむ!という素敵なアート体験ができるんです。
常識(タフティの振り子)に囚われがちな我々大人にこそ必要な体験ではないでしょうか?
ブロンズ・木・石膏・セレナイト・鉄・粘土・漆など様々な素材で作られた作品たちはそれぞれが特有のメッセージを放っているので、視覚と同時に触覚を使っての対話のようです。
運良くシンポジウムにも参加が出来たので、彫刻家の先生方のやりとりの中にも気づきが散りばめられていましたよ。
・see
seeとは、見ると分かるの意味があるように、見ただけで分かったような気がしてしまいがち…
視覚情報というのは瞬間的なものだが、触覚を通じて得られる豊かな体験がある。
・触覚には内触覚もある
更に深まった話の中では、実際に触れることの外触覚と、見えない風や空気を感じる内触覚があり、そこに“触覚としての美”が隠れている。
・目の見えない方には、触覚とは理性そのもので冷めたものともいえる。
作家さんのお一人、全盲の半田こづえ先生のこの言葉にはハッとさせられました。
健常者にとって触覚はエモーショナルなものだけれど、目の不自由な方には触れる行為は見ることであり、ものの実態を推測するために必要な理性であり、それは冷めたものであるというお話。
大変貴重な経験となりました。
ぜひ、皆様も機会がありましたら、“触れるアート”を体験してみてください!
◾️素晴らしいドキュメンタリー映画
・手でふれてみる世界
2025,2/16のイベントでは、映画上映も開催されており、岡野晃子監督のトークもありました!
これからの時代は、ユニバーサル映画(目の不自由な人も、耳の不自由な人も、誰もが安心して視聴できる、言葉による映像の解説(音声ガイド)、日本語字幕付き)もスタンダードになって欲しいですね。

“オメロ触覚美術館”が舞台のドキュメンタリー映画
芸術の存在価値や、さまざまな視点からの気づきをいただけて、視覚や五感に関しては日頃当たり前だと思ってしまっている感覚(言葉も)というのは、丁寧に適切に使わなくてはいけないなぁと、、そしてその全ての源は“愛”なんだなぁと感じるシーンで締めくくられていて、ラストでは思わず涙が溢れました。
全国で上映されているようですので、お近くであればぜひ見ていただきたい作品です。
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◾️タフティによる現実構築
タフティってなんなのさ!の話
ここで冒頭のタフティーの現実構築のお話になるのですが、私はこの彫刻展と映画の存在は全く知らず、たまたま“ふと”寄った美術館で開催されていた彫刻展、そしてその翌日にドキュメンタリー映画や作家さんたちのシンポジウムがあると知り、何か映画が観たいなと思っていたベストタイミングに当日予約が出来てしまい、思いがけず素晴らしい体験となったこと…
映画監督と対談されていたのは、「台本とナレーション」を担当された方で、まさに「映画の台本」というタフティのキーワードが現れ、その後のシンポジウムの中で語られていた「内触覚と外触覚」についての内容は、私が宇宙に問うてきた質問の答えであったこと…、さらには前日に見過ごしていた作品が私がずっと想いをビジュアル化してきたそのものの形であったこと(天地で握る手)などなど、個人的な願望実現が叶うという鳥肌ものの驚きの展開でした。
“ふと”思う直感には必ず従うことで、新たなセクターに入っていることが実感できるということですね!

ゼランド氏がトランサーフィンのなかで使っていたアインシュタインのこの言葉を思い出さずにはいられませんでした。
ー偶然とは神が匿名を希望しただけであるー