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日本語教育史での時代区分

今までの日本語教育史区分

 日本語教育史を語るとき時代区分が前提としてある。その時代区分に沿ってどんなことがあったのか、研究分析・定義持論などが展開されて体系化されてきた。それ自体は何ら問題がない。しかし、従来の区分での日本語教育史は妥当であるのか大いに疑問があった。
(1)外国人主体の日本語学習・日本語研究(19世紀末以前)
(2)「侵略的」日本語普及及び教育の時代(19世紀末~1945年)
(3)国際交流のための日本語教育の時代(戦後現代)

私見
 当初はこの定義(1)に疑問を持たなかった。1990年頃の時代背景では妥当のように感じた。日本語教育は植民地教育と一体のものという意識が強かった。当時はどのように日本語を教えていたのかということについて、なかなか接触することがなかった。文献は日本が悪いことしたという観点からのものであり、教材の内容や政策的な面でのものばかりで、現場教師がどのようにしていたかについては全くと言って良いほど接触することがなかった。
 2004年に台湾の新屋公学校と新港公学校の教師書いた研究授業記録、教案集、師範学校での講義記録と出会ったとき、日本語教育に関する見方に教育の面からの観点がないことに気がつき、あまりにもイデオロギー的な観点からしか植民地教育を見ていたことに目が覚めた。
 (教育の面から話すと、決まって日本の当時のしたことは悪くないのかと言うことを言う方々がいらっしゃられた。良いか悪いかを説いているのではなく、戦前台湾ではどのようなシステムでどのような場でどのような人が教えていたのか、その真実に迫ることであった。)

教育の面からこの定義を考えると、次の疑問が生じてきた。
第一に、19世紀末の定義がないこと。(なぜ、1895年ではないのか。区分の境目になるのか。)
第二に1945年以降の定義が曖昧なこと。(なぜ、1945年が区分の境目なのか)
第三に日本語研究と日本語教育史研究の境目が曖昧なこと。(日本教育史の研究は何をするのか位置づけがしずらいこと)
これらの疑問を抱えての30年であった。
 2019年から日本語教育に関する法律が矢継ぎ早に制定されてきた(2)。今の日本語教育史の定義では対応できないことから新たな区分を考えなければと思ったことである。そして、新たな持論としての区分を定義しなければという思いが強くなったことである。
 2024年に新たな日本語教育の制度ができあがり、それは、新たな法律として、4月から始動する。かねてから近代日本語教育の定義に拘ってきて筆者は、これは近代日本語教育を定義する必要をさらに強く感じたことであった。
 2024年に始動する日本語教育の法制化は、伊沢修二の植民地台湾で制定した公学校に関する法制化とどのように違うのか、考察しなければ日本語教育史とは言えないのではという危機感でもあった。伊沢修二は台湾で植民地教育としも近代教育を台湾に導入しようとし、それに邁進した。それは後に後藤新平に引き継がれ公学校の制度として完成する。
ここではこの制度と現代の制度化される日本語教育を法制化のシステム上の面から考察し、ここに、持論としての区分を提起する。

(1) 真田信二・吉岡英幸(2009)『日本語史/日本語教育史』   
  NAFL日本語教師養成講座プログラム12 pp.68-69 アルク
  引用元  関正昭(1997)『日本語教育史序説』アルク
(2) 
2018 文化庁 「日本教育人材の養成・研修の在り方について   
       (報告)」
2019 文科省 「日本語教育推進法」
2021   閣議決定 「日本語教育の推進に関する施策を総合的か    
        つ効果的に推進するための基本的な方針」
2022   文化庁 「日本語教育の参照枠」
2923   文科省 「日本語教育の適正かつ確実な実施を図るため     
      の日本語教育機関の認定等に関する法律」
      (2024施行) 

  

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