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人を喜ばせたいという衝動に従う

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人を喜ばせたいという衝動に従う

最近の記事

好きなこと (長所) My Strengths

・チャレンジ精神がある これだと思ったものに一点集中、余計なことは考えずにとりあえずやってみるという好奇心旺盛なところがあるのは自覚している。 「元気があれば何でもできる!迷わず行けよ、行けばわかるさ」 アントニオの名言が私の全てを物語っているといっても過言ではない。たいていの場合、飛び込んだはいいものの、想像以上に厳しい現実を目の当たりにすることになるんだけど、やってみたいという好奇心の方が勝ると、考えるよりも前にすでに行動してしまっていたりする。 ・責任感がある 途

    • 自己紹介⑥ 音楽留学への道

      日本の音楽業界の雰囲気の悪さにすっかり失望してしまった私は、このままじゃ自分がダメになる、音楽はもっと楽しくやれるはずだという願いにも似た強い確信があった。日本がダメなら世界を見てみたい、世界はきっと日本とは違うはずだと、専門2年目で国外へ飛び出すことを決めた。姉が高校卒業後からずっとオーストラリアで暮らしていたので、お姉ちゃん子だった私は結果的にここでも後を追いかける形となった。 母に電話で留学したいと言ったら、「100万貯めなさい」と言い渡された。そりゃそうだ。でも私の

      • 職務経歴 アルバイトあれこれ

        ・ピザハット 注文受付対応、調理補助 ・パン屋 仕込み ・デニーズ 接客、清掃 ・ティッシュ配り等 (日雇い派遣) ・ヤマト運輸 仕分け、深夜の受付事務 ・めしや丼 接客 ・ウエスティンホテル 皿洗い 18才〜20才 どれもこれも短期〜数ヶ月間 兄と一緒に都内に住んでいた頃は、専門学校に通いながら家の近所にあったピザハットで注文の受付や、生地に具を乗っけて焼いたりしてた。 横浜で一人暮らしをするようになってからは、早朝にパン屋で仕込み作業、学校の授業や練習が終わった後はデニ

        • 自己紹介⑤ 上京物語

          兄が都内の大学に通っていたため、一緒に住むことになった。2LDKの賃貸マンションで始まった東京での生活は、わくわく半分、寂しさ半分。 横浜にある音楽の専門学校へは電車で通った。ドラム科専攻だったので当然ドラムの授業がメインだけど、ラテンパーカッションも一通り学んだ。副科でピアノや作曲、編曲、音楽理論やアンサンブルなどもあり、どうしても音楽を学びたかった私にとっては夢のような日々、となるはずだった。 ドラムの先生は数人いたけど、その中でもひときわ別格な厳しさを兼ね備えた先生が

          職務経歴 サークルK (アルバイト)

          サークルK  接客や商品の補充、清掃など 17才(高校3年生の春休みの間)  数週間のみ 家から少し離れた場所に新しく出来たサークルK。高校を卒業し、東京へ引っ越すまでの数週間のみ、というのは言わずに面接へ。レジ横にあった小部屋で店主のご主人と面接すること小一時間。締め切った小部屋の中でタバコを何本も吸われ、めちゃくちゃ副流煙を吸い込んだので、その後数日間喉がやられてしまった。 初めての接客業。レジの打ち方や商品の受け渡し、お弁当の温め方やおでんなどの作り方、品物の補充や

          職務経歴 サークルK (アルバイト)

          自己紹介④ *上京前の奇跡

          冬のオーディションの最終面接で、一番下のレベルからのスタートだと現実をつきつけられた厳しくもやさしさ溢れるドラムの先生から、ひとつ課題を言い渡された。  先生 「こっちに来る前に、一回でいいからライブをしておいで」 当時高校のお遊び軽音楽部以外でバンドを組んでいたわけでもなく、ライブといっても学園祭は終わっちゃったし、レッスンに通っていた音楽教室の発表会も終わったばかりで、次回の演奏予定は当然のごとくゼロだった。先生はそれを分かったうえであえてそんな課題を出したんだろう。

          自己紹介④ *上京前の奇跡

          職務経歴 郵便局 (アルバイト)

          郵便局 年賀状の仕分け作業 16才(高校2年生) 年末年始の数日間 少し離れた場所にあった大きめの郵便局で、冬休み中の数日間だけアルバイトをしたのが一番最初のお仕事経験。高校時代の友達と一緒に応募したんだったかな?きっかけはよく覚えてないけど確か学校の許可が必要で、親も学校もとくに反対することもなく快諾。友達と一緒であっても仕事中はお喋りをしたらいけないんだという経験も初めてで、ただただ郵便番号を見ながら黙々と棚に仕分をしていくという地道な作業。 子どもが書いたであろう数

          職務経歴 郵便局 (アルバイト)

          自己紹介③ *高校時代〜上京へ

          JK時代は楽しかった。ちょうどルーズソックスやポケベルが流行り始めた頃で、例外なく流行りに乗っかってみたりもした。気の合う友達と日々面白いことを探しながら、いつも笑い合っていた。 憧れていた軽音楽部で念願のドラムデビューも果たしたが、顧問の先生はもちろん素人で、教えてくれる先輩もまた素人なので、自分で向上心をもってやっていくしかないんだなと気付くまでにはそんなに時間はかからなかった。要するに完全お遊び感覚の軽音楽部だったのだ。ミスチルやB'zやスピッツなど巷に溢れる楽曲を適当

          自己紹介③ *高校時代〜上京へ

          価値観 Value

          「人にやさしく、自分にやさしく」 自分と近しい間柄であればあるほど素直になれずに、どうしてもやさしい気持ちになれないという矛盾はある。やさしくされるの苦手です、迷惑ですという人もいるだろうし、良かれと思ってとった行動が逆に相手を苦しめてしまうなんてことも起こりうる。そんな時は誰しも、直接ではなく間接的に気持ちを伝えようとするだろう。例えば母の日に、普段言えないありがとうの言葉をカーネションに込めて贈るとか。子どもが受験で頑張っている時に、頑張れと言葉でいうよりも、好きなもの

          価値観 Value

          自己紹介② *幼稚園〜小中学校時代

          幼稚園ではリトミック教室のような音とふれ合いながら遊ぶ趣旨の習い事をしていて、オルガンやトライアングル、カスタネットやタンバリンなどの楽器を使って音を出したり、歌を歌ったりしていた。 お姉ちゃん子だった私は、姉が習っていたピアノを習いたいと言い出し、1年生から6年生まではピアノを習っていたし、お姉ちゃん子だった私は、姉が所属していた小学校の鼓笛部に入りたいと言い出し、5年生で鼓笛部に入部し、姉がやっていた打楽器を始めるようになる。みんなで合奏をする楽しさに圧倒的な気持ち良さ

          自己紹介② *幼稚園〜小中学校時代

          目指すもの Vision

          「文化芸術に携わる一定レベル以上の人たちすべてが、パンデミックや自然災害によって生活力を脅かされることのない仕組みを作り上げる」 このコロナの影響で様々な業界が打撃を受けたが、こと文化芸術の世界は生きる上で無くても困らないよねと自粛を余儀なくされ、自粛中の収入源がなくなり途方に暮れている事業主やフリーランスの人も多い。国からの「持続化給付金」などの給付金制度や支援策はあるものの、先の見通しが立たない現状に不安を抱えながら本来の活動に専念できないという事態が、今もなお現在進行

          目指すもの Vision

          自己紹介① *誕生〜幼少期

          1979年3月25日 愛知県名古屋市にて生まれる。 父は建設業の株式会社を営み、母は父より11才年下の専業主婦。 6つ上の姉と5つ上の兄の末っ子として、同居していた祖母とともに何不自由なく育つ。 生まれた時の母子手帳を30年後に母から渡され、「口蓋垂欠損」の文字を見つける。  私「・・・ん?何これ (読めない)」  母「ああ、そうだったのよ」  私「・・・?ふーん」 衝撃的な事実が30才にて判明。口蓋垂 (こうがいすい) 要するに口の奥に垂れ下がっているアレが、欠損?してい

          自己紹介① *誕生〜幼少期

          使命 Mission

          「やさしさで人の心をゆさぶり、あたたかい気持ちを周りに伝染させる」 一番大切にしたいものは何かと聞かれたら「心」と答えるだろう。 目に見えないから想像するしかないんだけど、人には必ず心があって常に感情がうごめいている。感情はたえず変化していて、嬉しいことがあったと思ったら急に起こった出来事に悲しくなったりもする。 感情をコントロールすることはなかなか難しくて、ましてや人の感情を汲み取るのは至難の技だ。自分は自分、他人は他人と割り切って関わりを無視して生きていくのは簡単だけ

          使命 Mission

          きっかけは父のDNA

          私が事業を始めようと思ったきっかけをざっくりというと、コロナによって一変した文化芸術の世界に、何か少しでもお役に立てることをしたかったのと、私の中の父のDNAがうずうずとうずき出したからだ。私の父は、自ら立ち上げた建設会社の代表として晩年まで働いてきた。跡を継ぐ者が誰もいなかったので、病気で亡くなる1年程前にその会社は解散したのだが、なんだか毎日楽しそうに働いていた父の姿を、今になってやたらと思い出す。 父は普段、仕事仕事であまり家にいなかった。平日はほぼ顔を合わせることは

          きっかけは父のDNA

          信念 My belief

          「人を喜ばせたいという衝動に従う」 文字を覚えたばかりの子どもが初めて手紙を書く。 ”だいすき” この気持ちは純粋で、まっすぐに伝わるものがある。子どもは自分の気持ちを伝えたいという衝動に従って覚えたての文字を書き、手紙として家族にプレゼントをした。笑顔になってくれるかな、と期待しながらではなく、きっと書きながらすでに笑顔でそれを読んでいるお父さんお母さんの顔が浮かんでいるはずだ。 私が衝動に駆られて行動する時は、ただ相手を喜ばせたいというだけではなくて、それをするこ

          信念 My belief