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『医道の日本』プレイバック! 第1回 経絡否定論(1952年)

月刊『医道の日本』は1938年10月、日本高等鍼灸学院(柳谷素霊校長)の同窓会誌『蓬松』(1937年5月創刊)を引き継ぎ、戸部宗七郎によって、『医道の日本』として創刊されました。

2020年7月号をもって定期刊行を休止しましたが、今後は医道の日本社のWebサイトにて、東洋医学の情報はもとより、治療院経営や美容、国家試験対策など、幅広く情報発信に努めてまいります。どうぞご期待ください!

今回は、創刊より80年以上、通巻922号を数える中から、特に読者の議論を呼んだ企画、時代を映し出した企画を振り返ります。

『経絡否定論(1952年)』

「大真面目に診断を行っている人の気が知れない」。

1952年、『医道の日本』2月号に掲載された論文は、その内容の過激さから業界を騒然とさせた。論文の名は「経絡否定論」。書いたのは米山博久、その人である。

当時、医道の日本の主幹であった戸部宗七郎は、問題作の掲載号について次のように書いている。

「一生忘れない印象深い号である。『経絡否定論』というショッキングな題名の原稿が掲載された月だからである」

さらに米山はその4年後には「脈診不要論」を発表し、経絡学脈と科学派に分かれての約2年にもわたる大論争を引き起こした。代田文誌の援護があるまでに米山は科学派の旗印を掲げ孤軍奮闘することになる。

だが、米山の本意は、経絡、脈診が無用だと主張することでは決してなかった。
「経絡否定論」の真意について、米山の三男である米山榮氏(米山クリニック Yoneyama Acu-Therapy 院長)はこう説明する。

「父は生前、科学至上主義の限界についても多くの哲学的言明を残しています。『経絡否定論』の行間にはそのことも表れているはすです。

父が経絡否定論で問題提起した意味は、鍼灸治療が医療として成立するために客観的(かつ臨床的)で有用な理論的基盤が必要だということだと思います。

父の残した「経絡否定論」の問題意識は現在も生き続けています。真摯に鍼灸臨床のことを考えて、鍼灸を愛する人々の心に、博久の思想が響けばと思っています」

米山博久(よねやま・ひろひさ)

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1915 年、長野県飯田市生まれ。34年、鍼灸師免許取得。36年、大阪に出て東邦医学会に参加。39年、吹田市にて開業。46年、渡辺三郎博士の主催する刀根山鍼灸医学研究会に参加し、鍼灸の科学化のために研究を進める。52年、『医道の日本』に「経絡否定論」を発表して業界にその名を轟かせる。58年、明治鍼灸専門学校の発起人となる。60年、代田文誌氏らと日本針灸皮電研究会(現日本臨床鍼灸懇話会)を発足。78年には大阪鍼灸専門学校設立発起人となり、学校長・理事を兼任する。85年、逝去。享年70歳。著書に『新しい針灸院』『私の鍼灸治療学』(ともに医道の日本社、絶版)など。

※本記事は、医道の日本社のWebサイトで2009年1月19日に公開されたものを元に作成しております。

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