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うんこ水が点眼されて、エジソンを想う話
最悪のタイトルである自覚はある。
恐ろしいことに、これは実話である。どんな怪談よりも怖い。
話自体はごく短い、誰にでも起こりうる話だ。
ある日、私はこんな体勢で脱糞していた。便器に座って前屈みになり、膝と膝の間の少し上くらいに頭があるようなポーズである。
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![](https://assets.st-note.com/img/1723119693734-8QBemKQI69.png)
別にお腹が痛いわけではなかったが、用を足しているときは昔からなんとなくこのポーズをよくとっていた。
特に古いタイプの洋式トイレで脱糞する際、最大の問題点は、便器の中に溜まっている水が多すぎると言う点である。
これによって、おもいきり脱糞し放り出してしまうと、水飛沫が勢いよく上がってお尻がびしょびしょになってしまう。経験すればわかるが、想像以上に不愉快である。
日本の水はトイレの水すら綺麗!と聞いたことがある。
一般的にトイレの水はキッチンの水などにも使われる水と同じものであり、水そのものだけを考えればトイレの水は綺麗なのだ。
しかしながら、どんなに綺麗な水だったとしても、一度でもうんこに触れていればそれはもう、たとえ見た目が透き通っていようとうんこと同じようなものである。
対処法としては、トイレットペーパーを少し畳んで水の上に敷くことによって、忍者が用いた水蜘蛛のように、糞そのものが水面を歩むようにして静かに着水するような状況を作る、これが一般的であろう。
人間が大人になる過程で誰もが習得する、最もクリエイティビティと実利性が共存した発明であるはずだ。
私はこの日も例に漏れず、偉大なる過去の自分の発明に則って、同じようにトイレットペーパーを水面に敷き詰め、用を足していたのである。
ところがどうしたことか、その日はトイレットペーパーの量が少なかったのか、それとも新しいペーパーの強度が弱かったのか。原因はいまだに不明だが、私の便圧に負けて、トイレットペーパーがいとも簡単に破壊されてしまったのである。
通常であればお尻に向かって跳ね返るはずの水、そのほとんどがなぜか急激に進路を変え、前傾姿勢で屈んでいた私の太ももの間を通り抜け、両眼に向かって一直線に飛び込んできたのである。
思わず上体を仰反る私であったがときすでに遅し。
今までに味わったことのない不快感が眼球いっぱいに広がり、そして今まで幾度となく成功してきた排便方法を突破した脱糞そのものへの憎悪、いつもと違うトイレットペーパーに変えた過去に対する後悔、そんな負の感情が一気に押し寄せ、私は再び便座の上でうずくまる羽目になった。
私は今までに一度も失敗をしたことがない。電球が光らないという発見を今まで二万回しただけだ。
落ち込む私を支えるかのように、頭の中に不意に浮かんだのは、エジソンの名言である。
ああ、そうか、これは失敗ではない。
私は今までに一度も失敗をしたことがない。
薄いトイレットペーパーを便器の水面に敷いた状態で前屈みで脱糞をしたら、眼球にうんこ水が入ってくるという経験を一度しただけだ。
固定観念を破壊してくれるありがたい経験であった。
この後両眼を丁寧に洗浄し、眼科で処方された目薬を点眼した。