パラサイト 半地下の家族をみて
『パラサイト 半地下の家族』を観た。
始まってしまったが最後。まるでアトラクションに乗せられているみたいにどんどん無駄のないストーリーが進む。伏線かと思ったらすかされて、すかされたかと思ったら忘れた頃に点と点が繋がる爽快感とひしひしと高まっていく恐怖。
もしもまだ観ていない人は、このnoteを読んでいないでまずは映画館に行って欲しい。事前情報はなしで、まっさらな気持ちでこの作品から何を感じるのか、この作品が私たち観客に突きつけているものは何なのか、誰かの感情に任せず、まずは自分で体感してきて欲しい!
そしてその余韻から抜け出せないでいるなら、またここに戻ってきて。
この映画ほど人の感想が気になる物語を私は知らないし、きっとこれから観る人もそうなるはずだから…
物語の内容に触れる前に、この作品には、私たち日本人にしか分からない空気感があるように(例えば蒸し暑い夏のだるさや、夏休みの終わりの空気から生まれる言葉にできない気持ちなどその国それぞれに住んでいる人にしか分からない感度があるはずだ)韓国人でないと感じられないものが散りばめられているように感じました。
事前情報はいらないけれど、観にいく前にネタバレなしのこちらの記事と、韓国という国の成り立ちや歴史を改めて学んでおくとより深くこの作品を体感できるかもしれません。
以下、物語の内容に触れていますが、ストーリーの展開やラストシーンについては分からないようになっています。ネタバレを求めて読んでも損をするだけの感想文です。鑑賞前の方はくれぐれもご注意ください。
1 寄生虫とは
彼らは初めから“寄生虫”であったわけではありません。
彼らは私たちの隣人で、友人で、そして同僚だったのにも関わらず、絶壁の端に押しやられてしまっただけです。
回避不能な出来事に陥っていく、普通の人々を描いたこの映画は「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」であり、激しくもつれあい、階段から真っ逆さまに転げ落ちていきます。
この止めることのできない猛烈な悲喜劇に、みなさまをご招待いたします。
(オフィシャルサイト・Director`s statementより一部抜粋)
オフィシャルサイトの監督の言葉にあるように韓国の原題“寄生虫”とは、表向き高台の豪邸で暮らすパク一家にじわじわと侵入していくキム一家のことだろう。
冒頭の半地下の家でのキム一家のシーン。
路上に消毒剤が散布されているのを見て、窓を閉めようと話すも、父ギテクは“最近害虫が多いから、窓を開けたままにし、ついでに侵入してきた煙で消毒してもらおう”と提案した。消毒剤の煙が家の中に立ち込めむせるキム一家。この描写は後に宴会の日やクライマックスで害虫のように姿を消した彼らへの暗示のように思える。
このたった数分の一家のシーンで一家のおかれている状況や格差社会の下層にいることの切実さを痛いほど感じさせられた。
この時登場した数々のメタファーの中でも、個人的に気になったのがこの3つだ。
1. 消毒剤の煙
煙については、初めに書いたひたむきに生きているだけの彼らが害虫たちと同じ煙に飲み込まれていく哀しみの他に、思いつきで行動をとり結局は予想外に煙にむせることになった父ギテクの計画性のなさを暗示していたように思った。
2. ピザの箱
「社長」と呼ばれていたピザ屋の店員はとても若くアルバイトのように見える。そしてそんな若い店員に注意を受けるキム一家の世間での“位置”がこのピザの空箱から示されていたことは、多くの観客が感じたことだろう。
そしてピザの箱の4分の1は不良品だという。おそらく4人の中の誰かが箱をうまく組み立てることが出来ていない。その張本人も煙の件と同様にギテクの仕業であり、“ボロがでた”そのツメの甘さは、後にドンイク社長との溝を浮き彫りにしてしまう行動へと繋がる。(→運転中にクソッと言ったことで不快感を露わにされたシーン)
3. 山水景石
ギウの友人で大学生のミニョクがくれた幸運を運んでくれる石。
この石を受け取った瞬間のギウはとても喜んでいた。母チェンスクは「食べ物の方がよかった」と言っていたけれど、どう見ても重そうだしギザギザしていて上から落ちてきたら絶対ヤバイ予感しかない。そんな物騒なもの持ってくんな…となりそうなところだが、あの時のギウはその石を嬉しそうに抱えていた。
あの石を家に飾るということは、豊かな暮らしの象徴なのかもしれない。ミニョクのように大学に入り就職への道を切り拓き、半地下の家から脱却する。窓の向こうで酔っ払いに喝を入れた勇ましい友人のように、いつか自分も窓の外の地上に住む世界へと行くことが出来るかも知れないという希望だったのかも知れない。しかしあのずっしりとした石の重みは、ギウに重くのしかかる、大学に受かったところでその先の保証なんてない…という現代社会の厳しい現実の重みでもあったのではないだろうか。
そして物語の後半、家の同じ場所で同じポーズで山水景石を抱えたギウにとって、その希望と不安の象徴だった石の重みは、身分を偽り嘘で固め家族を危険に晒した自分への罪の意識という絶望的な重みにもなっていたのだろう。
洪水の夜、ミニョクだったらどうしただろうと考えるギウにとって、ミニョクはきっと手の届く理想像でありそのミニョクによって持ちかけられた詐欺行為による結末にとても皮肉な運命を感じた。
2 洪水の中でそれぞれが拾い上げたもの
1.ギウの場合→ミニョクに渡された水石
物語の序盤、頭の良いギウに渡されたその幸運を運ぶという石は、半地下脱却への希望の象徴だった。
洪水の夜、階段を下りながら立ち止まったギウの足元がフォーカスされるシーンがある。富裕層の住むであろう高台から流れてくる雨水。気を抜けば足を取られそうな激流に踏みとどまったギウは、半地下の家に戻り、あの時の石を見つけ抱きかかえる。
「僕にくっついてくるんだ…」と頼りなく言ったその言葉からギウが石に見ているものは、ミニョクに与えられた家庭教師という自分の社会での役割であり、プライドでありアイデンティティなのかも知れない。そしてそのアイデンティティは、詐欺を働き入り込んだという現実と、そこで知った富裕層の暮らし、下へ押し流されていくしかなかった自分の宿命や惨めさや心細い恐怖の重みとなって、ギウにまとわりついてきたのだろう。
2.ギジョンの場合→タバコ
水浸しになった家で大切な何かを拾いあげるでもなく、トイレの天井に隠しておいたタバコを吸い始めるギジョン。タバコとは自分の体を蝕むものであり、同時にひとときの休息をくれるものでもある。
あの場所に隠しておいたのは偶然なのか、それとも地下の家で一番濡れないであろう場所を知っていた彼女の賢さの象徴だろうか?
聡明でクールなギジョンだが、宴会中、悪酔いし大声を出して悪態をついたのは唯一ギジョンだけだった。そしてその後の出来事を切り抜け、洪水の中「計画はあるの?」と泣いているような顔で兄と父に尋ねた。序盤でダソンを手なずけ、奥様を口車で騙し、華麗に罠を仕掛けたあのギジョンが、あの時、兄と父に頼ろうとしていた。タバコをふかして洪水さえも気にしないような態度を取っていたのは、弱い自分を隠すためのポーズだったのかも知れない。
そして半地下に戻った3人の中で唯一、洪水から守りたい物のなかった人物だっただろう。
3.ギテクの場合→妻のメダル
ギテクが洪水から拾い上げたものは妻のメダルだった。
物が溢れる半地下の家でとても大切そうに飾られていたメダルは、あの一家の中で1番の誇りだったのかもしれない。
ピザの箱の一件や会話の端々から、ギテクには野心がないことは見てとれる。そんな中、彼が大切にしていたものは自分のプライドでも生活に関わるものでもなく、非常事態において何にも役に立たないであろう、妻の過去の栄光だった。
それは、ギテクの家族への想いの象徴だったのではないかと思う。
3 ギテクとドンイク
ギテク
「計画をするから失敗する。最初から計画がなければ、人を殺そうが何をしようが間違いじゃない。」だから、最善の計画は無計画だと言ったギテク。
この考えは、台湾カステラの事業に失敗し、失業し、半地下に住むことになった経験から辿り着いたものの持つ哀しみを感じさせる。
無計画で何も持たないギテクは、空箱をキレイに組み立てることもできず、運転中にパク社長の前で汚い言葉を使うというミスを犯してしまう。
しかしギテクはその行動で、パク社長が不快な表情を見せたことを感じ取っただろう。あの運転中のたった一言から自分では気づかなかった“半地下の臭い”を心の中で拒絶するパク社長への軽蔑がギテクの中で少しずつ蓄積されていく。
「奥様を愛していらっしゃるんでしょう?」とギテクが2度もドンイクに尋ねたのは、純粋に親しくしようとしていたギテクの人柄を描いているようにも見えるが、個人的には、唯一妻や家族への愛情だけが、自分が彼に勝るものだと自負していたからではないだろうか?
ドンイク
ギテクに「奥様を愛していらっしゃるんでしょう?」と2度も尋ねられたにも関わらず、ドンイクは答えなかった。
それはギテクとドンイクという正反対のように思える人物が互いに言葉を交わしているようで、全く会話が成り立っていないということを示す象徴的なシーンだ。
彼は2回目の質問のあと、ギテクに今は仕事中だと念を押す。ギテクとはビジネスの関係であり友人ではないからプライベートな“ライン”は超えたくないというのがドンイクの思惑だろうけれど、そもそもギテクが尋ねた質問の意図はそこではない。
もしかしたらドンイクもそのことに気づいているのに、話を巧妙に逸らしているのだとしたら…
このようにあえて相手の意図には沿わない返事をして会話をずらすとき、そこには誰しも隠したい本音があるはずだ。
その本音とは、“愛されていないかもしれない”という劣等感ではないだろうか。
社会的地位が高く有能でかっこいい。美しい妻を持ち、可愛い子供達の良き父である完璧なドンイクは、恐らく満たされていないのだ。
息子の目に触れるかもしれないスリル満点の場所で妻を求めるシーンがあるが、最後まで事が行われている様子は映らなかった。地下の夫婦には情事のシーンがないにも関わらず今でも関係が保たれている事がはっきりと提示されるシーンがあった。それなのに、ドンイクと妻の関係は曖昧で、安物のパンティを欲しがったりとまるで“ごっこ遊び”のようだった。(運転手の一件を妻に話す時もまるで社長ごっこをしているみたいだった)
そしてもう一つ、“シンプル”な妻ヨンギョはドンイクを“子供たちのパパ”と呼んでいる。
字幕では“パパ”と表記されていたので、パパの前に〈子供たち〉という単語がつくのは韓国では一般的な事なのかもしれないが、子供も夫もいない場所でギテクに対してそのようなまわりくどい言い回しをしていたのは、素直なヨンギョの本当の気持ちが悪気なく現れてしまっているのではないだろうか。
ヨンギョにとってドンイクは“愛する夫”や“主人”である前に“子供たちのパパ”なのだ。
ヨンギョの頭の中はダソンでいっぱいだ。(ギウが初めて来た日、ダヘへの授業に付き添った事からダヘの事も気にかけてはいるようだ。)
そしてヨンギョは素直でシンプルであるが故にとても分かりやすい。
有能なドンイクが、分かりやすいヨンギョの心の在り処に気づかない訳はなく、ドンイクは彼女の興味が自分にないのかもしれないという疑念や劣等感を抱えていたのではないだろうか。
しかしながらギテクの質問が「自分の持つ愛をお前は持っていないだろう?」という皮肉だったとしても、ギテクの思惑通り、ドンイクがギテクに劣等感を抱く事はなかっただろう。
ドンイクはラインの向こう側には興味を持たない。
目の前で誰かの命が脅かされようと、それは関係のない事だ。裕福でありながら、愛されていないかもしれない家族と自分の事しか見えていない彼の心は、あの装飾のないさびしい庭のように何もない空間だったのではないだろうか。
4 ダソンの世界
1.インディアン
ダソンはボーイスカウトに行って以来インディアンに夢中で自らもインディアンのコスプレをしている。
インディアン=“侵略された人たち”の象徴らしい。
2.自画像の不思議
ダソンの描いた自画像に描かれているのは、ダソンだろうか?晴れた空、テント、右下の黒い塊、下から上に伸びた矢印、真ん中に描かれた黒い肌の人物。これらはクライマックスの誕生日パーティのシーンに出てくるものたちと一致する。
3.豪雨の中、庭に建てたテント
キャンプから帰った日、一度は2階で眠ろうとしたダソンが突然、豪雨の中、庭のテントで寝ると言い出したのはなぜだったのだろう?
4.モールス信号
ボーイスカウトで得た知識によりダソンだけが地下からのモールス信号を受け取っていた事が推測されるが、それならなぜその事を誰にも話さなかったのだろうか。
ダソンは超能力者でもなければ、ダヘがダソンについて「変わった子のフリをしている」と言っていたように、特別な子供でもなかったのではないだろうか?
ダソンに特別なところがあるとしたら、それは嗅覚の良さだろう。
一家の中でダソンだけが、半地下の家族に共通する臭いに気がつく。
ギウがパク家を初めて訪れた日、インディアンのコスプレをしたダソンはギウに向かっておもちゃの矢を放った。まるで侵略者と戦うインディアンのようだ。
ダソンはインディアンオタクで、テントや矢やインディアンにまつわるグッズを集め、無線機を買い与えられた時にもとても喜んでいた。まるで来るべき日に備えての装備のようだ。ダソンの描く不思議な絵が予知能力のような説明のつかない意味が込められているのかどうかは分からないが、初めてパク家を訪れたギウに矢を放ったダソンの勘の良さは、子供だけが持つ第六感のようなものだったのかもしれない。
そしてキャンプに出かけた夜、一時的に“侵略者たち”によって占拠されていた自分のホームに戻ったダソンはその優れた嗅覚や勘の良さで、半地下の家族ではない、ダソンのもっとも恐れていた“幽霊”の気配を感じ取ったのではないだろうか。
例えば自分の不在時に自宅に来客があったとして、帰宅してすぐ、何かいつもと違う“気配”を感じたことはないだろうか?
さっきまでその場にいた人物の残り香や気配を感じて自宅にいた家族に「誰か来たの?」などと質問をしたことのある人は、ダソンの行動に共感できるはずだ。
自分の知らない気配や臭いに耐えかねて家を飛び出したダソンは、その事を家族に説明しない。モールス信号を受け取っていたにも関わらず、それを伝えることもなかった。
ダソン自身、その得体の知れない臭いやメッセージの内容を理解出来ていなかったのではないかと思う。あの高台の家に生まれたダソンにとって半地下の家族をはじめとする彼らの存在は“幽霊”のように未知の存在なのだから。
突然奪われた命に理由がないように、子供の行動に理由を求めることはとても困難だ。ヨンギョがどれだけダソンの事を心配し、何でも望むものを買い与え甘やかそうとも、自分の感情を上手く表現する方法をまだ知らない子の心の奥底にあるものを把握することは難しい。
例え裕福であってもパク一家もまた、互いの心を計り知れないどうしようもない虚しさを抱えていたのではないだろうか。
5 物語のあとで…
『パラサイト』に仕掛けられた一度観ただけではなかなか気づけない画面上のトリックや俳優陣のすばらしい演技の他に、個人的にとても心に残ったのがシーンを盛り上げる音楽だった。
言葉のないシーンで人物がフォーカスされ音のボリュームが上がる時、その登場人物の心の変化が音になって表現されているように感じたり、これから何か起こるのではないかという不安を煽ってきたり、ストーリーにとてもすばらしいスピード感を添えていた。
どこかで聴いたことがあるようなメロディーや木管と弦の掛け合い。重要なシーンでかかる「月光」を彷彿させる重厚感のある悲しい旋律。
これらの音楽たちは、よくある映画音楽の形式というよりは古典派音楽のような構成になっていたように思う。このクラシック感は、あの計算し尽くされた美しい設計の高台の家によく似合う。
しかしどうだろう。そのクラシカルな印象の、心地良く品の良い音楽たちは古くから愛されている“本物”ではない。似ている音楽だ。
やたらと英語を話すヨンギョの発音はどうだろう?英語の発音のことはよく分からないが、ヨンギョの言葉は、日本でいうところのカタカナ英語だったように思う。そしてヨンギョは“アメリカ製”であること絶対的な信頼を置いている。
韓国にはとても美しい言い回しや素敵な単語がたくさんあるにも関わらず、やたらと“アメリカの言葉”を使いたがっていたヨンギョの心理はどういったものだったのだろうか。ヨンギョはとても、聴き馴染みがあるようで本物ではない、あの一見、心地よく美しい音楽たちと同じ匂いがする。
すばらしい芸術があふれ、生活の知恵や学問の答えでさえ、ググればすぐに触れられる現代には、オリジナリティを持てない哀しさがある。
ググって出て来た不確かなそれらしい情報でギウやギジョンがいとも簡単にヨンギョを騙したように、実は不確かな、それらしい情報を人は簡単に信じてしまう。そしてその、ググれば出てくる情報を上手く使いこなすギウは、その能力に自信を持てない。
ギウは嘘で塗り固めた自分と窓の外の世界の裕福な人たちの姿に大きな隔たりを感じダヘに問う。
「僕はここに似合っているか?」
その言葉に、賢いはずのギウが良質な教育を受けることが出来ず、その場しのぎの“計画”しか持つことの出来ない哀しさを感じた。
ギウはいつも窓の内側から外側にいる人たちを羨んでいた。
エンドロールで流れた「焼酎一杯」という楽曲は、ギウを演じたチェ・ウシクさんが歌っているそうだ。
まるでギウのその後の物語が紡がれていたようなこの楽曲は、本編でのあの高台の豪邸によく似合う“洗練されているように”聴こえるBGMたちとは全く違う雰囲気のものだ。日本の古いJ-POPは世界のチャートを賑わす楽曲に比べるとダサいし、世界のスタンダートといわれる楽曲よりもずっとチープだ。けれど、私たちはそのダサい曲を時々とても欲するだろう。この国で生まれ育って来た思い出やノスタルジーをその音楽の中に見るからだ。
エンディングで突然投げ込まれた泥臭い温かさのあるあの楽曲は、きっとそんな風に韓国で生まれ育って来た人たちだけが感じることの出来る、何にも似ていないオリジナルの感情を呼び起こすのだろう。
そしてラストシーン、ギウの言葉のあとでエンドロールの前に流れた音楽は「Opning」だったはずだ。
そこに意味があるのなら、ミニョクに石を受け取った瞬間から、彼の悲劇的な冒険が始まったように、信号を受け取ったギウの新しい冒険がこれから始まるのかもしれない。
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