アイドルと日々(コスモロジー)
君がいなくても、私の人生は続く。
好きな人や物が減っても、或いは誰かにとってはとても大切な、別の誰かがこの世界からいなくなっても。
私の人生には何も関係がないみたいに、幸せだったり苛立ったり、少しついてなかったり、時々は幸運だったりして、ささやかな日々はいつだって続いていく。
秋の風が冷たくて空は突き抜けるほどに青く、大好きな冬の気配がすぐそこまで来ている。
君に触れない数日間の間に分かったことは、誰といてもどんなに楽しくても、誰も君の穴を埋めることは出来ないし、誰も君にはなりかわれないということだ。私の中には誰も入ることのできない君だけがいる秘密の部屋があって、ひとりの時間に戻ってそこに忍び込むときにしか味わえない、最高の感覚がある。
何かが起きる度に、君を好きな世界中の人たちが色々なことを言うけれど、私にはその多くの感情がよく分からない。君のことをただ好きで大切に想うのか、ただ君を好きな自分に酔っているのか、逆境が訪れるほどに雄弁に語る言葉たちを目にしたとき、私はいつも、私と同じ目線でこの世界を見ている人の少なさに驚く。
ぬるま湯のような温かな言葉では、私の感情は片づけられない。気休めの慰めなんて言ったところでどうにもならないし、ありとあらゆるさまざまな世の中の事情、もしくは私の個人的な事情により君に会えない時間が訪れたとして、会えない時間が愛を育てるだなんてことはない。それが言えてしまうのは、どこか他所に心の拠り所があるからだ。
私が多くのことを分からないように、私の気持ちも誰にも分からない。
君だけが入ることのできる秘密の部屋に忍び込むとき、まるで温かい温泉に浸かっているみたいだと思う。じんわりと優しさが染み込んでくるみたいに、とても静かで温かく、流行りの重たいブランケットに包まれているときに似た安心感で、あの心地よさを思うと、私の心はみぞみぞする(Ⓒカルテット)
私の細胞は毎日ちゃんと働いて変わり続けている。(たぶん)
昨日の私より少し成長して、感謝の言葉や文字に変換された丸をもらえたら、学校の先生に花丸をもらって喜んでいた小さな子どもの頃と何も変わらないで、私はまた次のステップへと走る。
これが自分のやりたいことなのか、これが私の望んだ未来なのか、そういった小難しいことを考える暇もないまま、ただぼんやりとそうした難しいなぞなぞを頭の片隅に押し込めて、目の前のタスクをひとつひとつ片付けていく。
やらなければならないことに追われながらも、私はちゃっかりとよく遊び、海外ドラマにどハマってみたり、友達に若干引かれるほどにゲームをやり込んだり、健康と美容を意識して野菜をたくさん食べてみたり、例え君に会うことがなくたって、あれこれと忙しくそれなりに楽しい毎日をやり過ごしている。
私の想い人は今、どこで何をやってるのだろうか?…とふと思う。
あなたは私ではなく、私はあなたではない。
だから突然降ってわいたようなニュースに胸を痛めることもない。
それは私にとって、いつか来るだろうと予想していたその日で、きっと君にとってもそうだった。
すべては、ただ“通り過ぎていくハプニング”だ。
ずっと昔に出来た傷と付き合ってきたのは君で、痛かったのも平気な顔をしていたのも、不安だったのも君で、ここ数年、突然筋トレにハマったり、色んなことを学んでいるというポジティブに見える話に、バカなフリして何も気付かない素振りをしながら、内心そこにある何かを勘繰っては、いつか来るかもしれなかった今へ、打ちのめされないように勝手に心の準備をしていたのは私だ。
あなたは私ではなく、私はあなたではない。
いつか久しぶりにリアルタイムの君を見た日も、かじかんでまっかになったかわいい耳に痛々しい傷をつくっていた君は、まるで何もなかったみたいに、よく分からないギャグを連発していて、きっと人が見たら面白くないそれに私はゲラゲラと笑っていた。
そんな風にして、日々はきっとまた、滑稽にたくましく、時にささやかな幸せをばら撒いて続いていくはずだ。
だから驚くことも悲しむこともない。
ただやがて来る空白期間中に治すのだろうと思っていた私の予想に反して、君はとても潔く、賢く、私の想像以上にとてもとても素敵な人だった。
セカンドオピニオン的なことが、今では普通のことなのか、私には分からないけど、肩を痛めた君が4軒も病院を回って検査をしてもらったという話さえ、なんともちゃっかりしている“らしさ”を感じてとてもかわいい。
君は私じゃないからとても矛盾しているけど、
君がただ一日でも何も心配しないで心から安らげる日がくるのなら、それは私にとってもとても幸せなことで、この世界のどこかで、私の知らない間にもしも不安に押し潰されそうになっているのなら、そんな辛いことはない。
ほんの1ヶ月前には、大丈夫だと少し照れ臭そうに話していたくせに、本当はびびっていた、嘘つきでつよがりで優しい君が、今日の一日を穏やかに過ごせますように。
この小休止のような世界で、せめてもの同じ時間を共有できないのはさみしいけれど、何でもないふりをして、本当はたくさんの心配を抱えている君の心配事の種が、ひとつでもなくなったのなら、それはとてもとてもうれしいことだ。
あなたは私ではなく、
私はあなたではないから、
私が穴が空くほど、君を見つめて依りかかる時も、自分の人生に忙しくて、よそ見ばかりしている時も、どうかずっとずっと長く誰かの星でいてほしい。
私が見ていなくても、沢山のトロフィーを抱えて、目の横の皺をいっぱいつくって、大きく口を開けてはじけるみたいに笑っていてほしい。
ただ日々を穏やかに、どこかで笑って暮らしていてくれたらそれでいい。
神様は信じないけど、もしいるのなら私の好きな人たちが恐ろしい出来事に遭わないで、穏やかに毎日を過ごせますようにと縋りつきたい。
冬の気配に華やいだ街を一人帰るとき、私はまたいつものように、君は今、どこで何をやってるのだろうか?…とふと思う。
クリスマスツリーを見つけて駆けていく子どもの姿に、私の知らない、いつかの幼い君の影を追いかける。
ただ日々を穏やかに、どこかで笑って暮らしていてくれたらそれでいいと願うけど、君に会えない日々はさみしくて、君のいない日常はとってもつまらない。
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