アイドルと日々(恋のスイッチ)
恋は、どうして冷めるのだろう。
明るい話しよう
暗くならないうちに
この恋が冷めてしまわないうちに
この歌を聴く時、私は幼い頃の自分を思い出す。
家族中の愛を独り占めにしてたくさん大切にされていた自分を思い出す。
人と愛し合うのは難しい。
誰かに恋をすることさえ、私にはとてもとても難しい。
そんな私にも最近某テラ○ハウスでいうところの“しぐれる”という出来事が、ほんの一瞬あったのだけれど、そのせいなのかなんなのか、私の中のいつまでも冷めないでいた恋の灯りがふっと消えた。
ゆんぎをみても、全くドキドキしないのだ。
まだかまだかと心待ちにしていたVliveの通知に喜んでつけてみたけれど、そこが気持ちのピークで、いざ始まると、静かで退屈だ。
何を言っても笑えるはずの言葉がそんなにおもしろくない。これは…と思って大好きな彼のMIXテープを聴いてみるけれど、気持ちが盛り上がったとしても、ドキドキはしない。
彼の声を聴くだけでみぞみぞしていた私の胸の下のあたりは、全くの通常運転だ。
心ときめくものがない日々は本当につまらない。
だからその数日間は、気の向くまま、他のアイドルの動画やニュースを全力で追いかけたし、そこにはそこの、キラキラした喜びが詰まっていてとても楽しい。
でも、ゆんぎにドキドキしない私は、本当に本当におもしろくないのだ。
いつか大好きだったロックスターを、私はいつ忘れていったのだろう。
生活や環境の変化で忙しくなって、毎月欠かさず何冊も読んでいた音楽雑誌を読まなくなった。繋がりにくい四角いパソコンではなく、手のひらの中に、いつでも気軽に繋がることのできるインターネットを手に入れたのに、溢れる情報を追わなくなった。私は大人になって、あの頃大好きだったものたちを、少しダサいと思うようになった。いつかは好きだったはずの恋人のことを何とも思わなくなるみたいに。何ともどころか、キモいとさえ思うように、あんなに大好きだった人やものを、なんだか恥ずかしいとさえ感じた。
そして今、あの頃好きだったものたちを、私はまた好きでいる。
ダサいを通り越して、あの頃好きだった音楽や、すてきだと思っていたファッションが今また、とても懐かしく輝いて見える。
ジョングクが以前カバーした曲の詩を思い出す。
“君が他の人を好きになったら 僕が君のいないことに慣れたら”
その時、別離れればいい…と歌う曲だ。
じょんぐく君はこの曲のカバーを出した頃、ファンに向けて、いつでも離れていいし、いつでも戻ってきたらいいというメッセージをくれた。
私たちが離れて、いつかまた戻ってきた時、大好きだった音楽や人は変わらずいつでもそこにあるままだ。永遠なんてないし、もう二度と会えなくなったスターたちもいるけれど、変わらないものも確かにある。
もしも私が他の人を好きになったら……
いつかその時が来るのだろうか?
ほんのすぐそこにその時が待っているのだろうか?
人の心は移ろい変わっていくものだから、私の気持ちも、いとも容易くどこかに飛んでいってしまうのかもしれない。
ゆんぎにドキドキしなくなったその時の私は、おもしろい私だろうか。
毎日を楽しく刺激的に過ごせるのだろうか?
明るい話しよう 暗くならないうちに
この恋が冷めてしまわないうちに
この歌を聴く時、私は私を思い出しながら、大好きなアイドルのことを思い出している。そう。冷めてしまう前に、明るい話がしたいのだ。
できるだけたくさん、キラキラと輝いた思い出を集めたい。
それから数日後、それはなんのきっかけだったのだろう。
これは本格的に離れてみようかな?と思った矢先、突然スイッチが入ったように私のトキメキは動き出した。同じVliveを観てみたら、1分1秒、ぜんぶかわいいゆんぎがいた。ゆんぎを好きな私はおもしろい。変なことばかり考えてくだらないことを思いついて、サッサと仕事片付けてやろうとたくらむ。
初めて耳にした時、とても特別に感じたその声は、私の胸の下のあたりをくすぐるし、もしかすると、他の人が聞いたらたいしておもしろくないのかもしれない彼の話は、最高に笑える。何をしてもかわいいし、何をしてもかっこいいので時々何も言う事がない。
知れば知るほど、趣味やファッションさえも不思議と私の好みにぴったりで、全てのツボをついてくる。
こんな特別な人がこの世界になかなかいないことは百も承知だから、
どうか、どうかこの恋がまだ冷めませんように。
グクみたいに、重くて優しい愛の言葉をくれない彼を、ててちゃんみたいに永遠の愛を語ってくれないその人を、ずっとずっと好きでいられますように。
もしも私が別の誰かに恋するときが来ても、ゆんぎを好きじゃない毎日は、とてもとてもつまらないから。
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