アイドルと日々(Because you're alive)
他人のことは分からない。
とても仲が良くてよく会っていても、今日、楽しかったことや少し腹の立ったことを話し合っても、腹の底で何を悲しんでいて何を不安に思うのかなんて、本当のところは何も知らない。
Twitterをひらけば時々目にする、気軽に会えない距離にいる人たちの丸腰の胸の内はなぜだか知っていたりするけれど、彼女たちと道ですれ違っても、約束がないならきっとお互いに気づかないまま通り過ぎてしまうだろう。だからその不思議なつながりもまた、結局よく分からない存在なのかもしれない。
人は映画や小説のように愛を語り合ったりしない。
私がひどい人間だからかもしれないけれど、ずっと昔ロマンティックな口説き文句を並べられたときには寒気がした。
いつも冗談ばかり言い合って、時々深い話をすることはあっても、目の前の相手のどういうところが好きでどんなところに魅力を感じるのか、そんなことを話す機会はとてもとても少ない。
そしていつもとっくに遅いタイミングで、会えば言い合いばかりしていた人が本当は私のことをとてもとても好きだったのだと、思いもよらない人からの伝言として受け取ったりする。言ってくれなきゃ分からないじゃん…と思った。だけど私の方こそ、私の口から誰かに愛を伝えることなんて決してないのだ。
『SEX EDUCATION』というドラマで、一人の登場人物の母親が彼に言った。
「愛する人には愛を伝えないと。例え傷つくとしてもね。」
「なんで?辛いだけだ。」という彼に彼女は続けた。
「それが生きることよ」
私は自分のことを棚に上げて、かわいい男の子のことを思い出した。
彼が夏の日にずっと口ずさんでいたあの歌はなんだったのだろう?
“揺れる花の中で、好きな人のシャンプーの香りを感じた”という切ない歌詞は、それによく似た記憶を一つも持たない私でさえ、くり返し聴いているから、ただ耳に残っているだけのお気に入りの歌だったのかもしれないけれど、その歌の中に込められた、“気持ちばかりが焦るのに想いを伝えられないでいる”という状態や感情を、彼は知っているのだろうか。
いつもと変わらないで明るく振る舞っているようで、本当は自分が楽しんでいいのかどうか、とても気にしていたのだと小さくなっていた彼を、誰が困らせ、誰が傷つけたのだろう?
大切な人を失うなと言ったのは、大切な人を失ったからだろうか。“大切な人”が私たちでないのなら、それを取り上げたのは私たちだ。
それでも彼は、申し訳なさそうにするだろう。
変わらぬ愛をくれるのだろう。
ごめんね、でもとても大好きだよ。
私はまた、そんな気持ち悪い感情を決して誰に伝えるでもなく、そっとどこかにしまい込んで、まるで何も考えてないみたいにバカなふりをして毎日を過ごす。
他人の心の奥底に何があるかなんて分からない。
そして恋なんて、あっけなく終わる。
とてもお似合いだと思っていた夫婦が、実はとっくの昔に終わっていたかもしれない現実のように…
先日、数え年で二十歳になったことを喜んでいたアイドルの男の子は、人と人がお互いに好き同士になれるなんてとても不思議だと言っていた。
自分のパパとママがどうしてパパとママになったのか不思議でしょうがないと話していた。ファンからの恋愛相談に別のメンバーと「相手が好きだと分からないなら自分の気持ちは言わない方が…」と言ったその発想は、とても若くて未熟に思えてかわいらしかったけど、その子よりもうんと歳上の私は今でも少しそう思う。
その男の子は別の日、自分の好きな歌をファンたちにあげたい言葉だと言って歌ってくれた。そのまっすぐな言葉から汲み取れるのは、今この瞬間、きっと私たちの知らない誰かを想って歌うことなんてないだろうという希望だ。
まっすぐで正直な彼の未来はとても明るくキラキラと輝いてる。
だからいつか大切な人ができたら、まっすぐに愛を伝えられるといい。
それが“生きること”らしいから。
“おかえり 君
毎日待っています
私は笑います
君のために、たくさん
たくさん笑います”
私は春を待つこの季節に、くり返しあの子がくれたその歌を聴いている。
さようなら、幼かった君
おかえりなさい、愛おしい人。
いつか自分の書いた、気持ち悪いラブレターの言葉を思い出しながら。
人のことはよく分からないから、
例え私の知らないところで多くのことが変わってしまったとしても、
彼の涙は今でも変わらず、とても透明な色をしている。
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