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Assemble!!!


※映画の結末のネタバレを含みます



ヒーローってなんだろう?
困った人を助けてくれる、悲しい時に勇気をくれる。訳の分からない何かが地球を滅ぼしに来たら、命をなげうってでも地球の平和を守ってくれる。

幼い頃から観てきた、ヒーローの登場するアニメや映画を観て埋め込まれたイメージの中のヒーローは、いつでも無敵で、まっすぐで正直な人間だったろうか…?

ヒーローたちは迷う。自分のアイデンティティ、本当の強さ、本当の正義。弱い自分と向き合い、世界を救う事を選ぶ。その姿に共感し、私たちは物語の主人公を好きになる。これがヒーローものの王道のストーリーだ。

アヴェンジャーズはどうだろう。
アヴェンジャーズに人が夢中になるのはなんでだろう?
私が思うその魅力は、王道の王道だからだ。
ヒーローだからどうせ勝つのは分かっているけど、弱く、迷い、時に誤った選択をするヒーローたちの人間臭さにどうしようもなく惹かれるのだと思う。


エンドゲーム。
そのタイトルもめちゃくちゃカッコいい。
サノスとヒーローたちのゲームの終わりは、いつものように、そのお洒落なタイトルみたいに感動の後で、軽い冗談で笑って終われたら良かったのに。

物語の終わりはハッピーエンドがいい…


ヒーローたちの願いもまたそうなのだ。
地球の人口の半分がサノスによって消し去られ、大切な人を失ったヒーローたちは、喪失感を抱える者、無力だった自分への怒りに呑まれる者、失わずに済んだ大切な人とささやかな幸せを築く者、それぞれがそれぞれの道を歩んでいた。


正義って曖昧だ。そしてその曖昧さが、MCUの物語の鍵になる。
サノスは完全な悪だろうか。インフィニティウォーに於けるサノスはこれまで訳の分からない化け物のような存在から一転して、とても“人”らしかった。
自分の運命を遂行したサノスは、農園にいた…というのもなんとも“人”らしい。
人間はみんな自分勝手だ。私利私欲にまみれ、嘘をついて人を騙し、自分にとって都合が良ければ、何かが犠牲になることに目を瞑る。
この宇宙にとって有害なエゴの塊である、増えすぎた人間を減らし、自然と生き物のバランスを取るという目的は、“悪”と片付けてしまうにはどこかもやもやとする。そして、娘が語るサノスは、決して嘘をつかないのだ。
本心を剥き出しにした時、地球だけは、思い切りいたぶってやりたいと言い出したように、彼には彼の価値観があり、ルールがある。

アヴェンジャーズたちにもまた、それぞれの正義がある。トニーがスーツを量産しようとした時も、彼らの戦いにより、町が破壊され、犠牲者が出た時も、それぞれの正義は平行線をたどり、「シビルウォー」での戦いに繋がった。

今回もそうだ。
それぞれの価値観は違い、ヒーローたちは迷う。
だけど、結局のところ、一つの目的の為にバラバラだった彼らは力を合わせることを選択する。

その理由とは、“大切な人を守りたい”というシンプルな気持ちなのではないだろうか。
宇宙の平和を望むサノスと、どうしてアヴェンジャーズは闘うのだろう……?
その答えはとても小さくてシンプルなのではないだろうか。目の前にいた、守れなかった大切な誰かをもう一度救えるなら、avenge(アベンジ)するのだ。


だから、スパイとして、冷酷に生きてきたナターシャは、数億人の命の為に、犠牲になることを選んだけれど、それは世界の平和の為ではなかったのではないかと思う。
「良い人間でいたい」と言っていたナターシャは、世界を救うヒーローになりたかったのではなく、ただ、大切な人の幸福を守りたかったのだ。
サノスの勝利から5年後、クリントの近況を聞いて涙したこと、家族のいない自分に、アヴェンジャーズという家族が出来たのだと話していたこと。大切な人たちが悲しみを抱えて進んで行かなければならない現状…。
その全てがあの瞬間に繋がっていったのだろう。
大義の為ではなく、大切な家族の為に。

映画の中でいちばんかっこよくて鳥肌がたったのは、キャプテンマーベルを筆頭に、女性のキャラたちが集まるシーンだ。強くてカッコいい彼女たちの中に、一番強かったブラックウィドウ(ナターシャ)がいないということが、あまりにも悲しかった。

そしてトニーが、自らの幸せな生活を投げ打って、危険な賭けに出たのはなぜか。
過去へ行った時、ハワードがトニーに言った言葉が心に残っている。
「大義の為に、自分の幸せを犠牲にするな」

トニーは若き日の父に、偉大な英雄だったと声をかけた。
彼は結局、自分の幸せを犠牲にして“英雄”になることを望んだのだろうか?
その解釈は、きっと観た人それぞれの価値観で変わるのだと思うけど、私には、この答えもNOだと思えた。

あの日救えなかった少年を救う為に。目の前で困っている仲間たちを救う為に。理由はとてもシンプルなのではないだろうか。

ポッツが迷う彼に、それでよく眠れるの?と尋ねるシーンがあるけれど、トニーが眠れないであろう事は明確に伝わってくる。おちゃらけていて、合理主義で冷たく、自分さえ良ければいいというのは、いつでも彼のポーズなのだ。


「アイアンマン」を初めて観た時、お洒落で大好きだったユーモアたっぷりの“トニースタークにもハート(心臓)がある”というセリフは、壮大なシリーズのエンディングを飾る、とても大切な言葉になって戻ってきた。
“トニースタークにもハートがある”

彼の正義の真ん中に、きれいな青色に光るハートがあるのだ。


もう一つ心に残ったのはソーのセリフだ。
ならなければいけない自分ではなく、ありのままの自分でいることを選んだソーは、これからどこへ向かうのだろう?


「Make love, not war!」
戦ってないで、愛し合おうぜ!

最後のカメオ出演となったスタンリーが叫んでいたセリフだ。

サノスになくて、ヒーローたちにあったものは何だろう。
それは愛だ。
目の前の誰かを思いやる心だ。
サノスは目的の為に娘を犠牲にすることを厭わなかったけれど、クリントとナターシャは最期の最期までお互いを助けようともがいていた。
そこにあったのは、誰かを思いやる、人の心だ。


ハートがあるから悩み、迷い、間違う。
それでも隣にいる誰かを助けたい。

その気持ちが世界を救うのだろう。

そして、エンドゲームの先に
ソーの選んだ、“ありのままの自分を愛する”為の旅立ちから、新しい世界が始まるのかもしれない。

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