アイドルと日々(ニューワールドにて)
“楽しむのは私次第”
何気なく聴いていた歌にはっとさせられることがある。
帰り道の、夜の冷たい風が好きだ。
頬にあたってひんやりとして少し肌寒さを感じる季節の温度が好きだ。
寒い季節でも窓から入ってくる冷たい風は心地よいから、誰にもおこられないなら風にあたりたい。私にはそういう“へんな子”な部分があるけれど、楽しむのは私次第で、私はそんな風に小さなことでとても楽しい。
最近、“自分らしく生きる”ことがテーマであろう、世の中の人が良いとする本を読んでいるけれど、なんだかあまり心に響かない。それはおそらく私が私と遊ぶのが上手だからだろう。
人と比べて悲しくなる日を知らないわけではないけれど、私にはもともとそういう感覚がない。でもそれは良いことだろうか…?みんなが良いというものごとが分からないのは、少しだけ宙に浮いているような気分になる。
大好きなアイドルがコミュニティの話をしていた。
彼が何かを言えばどんなことでもみんなが感動する。さすが私たちのリーダーだ!と、彼の発言の一部分だけが一人歩きをして賞賛される。
掛け違えたボタンのように一部分だけ切り取られたそれは、本当に彼の言いたかったことと違ってしまっていても、それに気づく人は少ない。
みんな自分の都合のいいように、自分に都合のいい所だけを見て、理解できないものにはフタを閉じるから。
私はみんなが良いというそれの良さが全く分からなかった。
切り取られていない全部を探してみたけれど、正直なところ、何を言っているんだろうと思った。すばらしい話をしているのは分かる。
だけどすばらしすぎて、話の規模が壮大すぎて、それは私のかわいいアイドルの形とは少し違ってしまったな…と思っていた。
とてもいらない情報なのだけど、私の好きなアイドル像とかけ離れてしまった彼と私は、いろいろな占いでの〇〇星人的なものがだいたい一緒だ。1つじゃなくて2つか3つの占いでも同じカテゴリーで、どうやら彼と私はソウルメイトという括りになるらしい。
でも彼のことはよく分からない。
分からないけど、冷たい風をあびて、ひとり歩む道を楽しむとき、「あぁ、きっと彼もこんなことに小さな幸せを感じるんだろうな…」と思ったら、喉の奥に骨が刺さったみたいな違和感がすっと消えた気がした。
正確な言い回しは覚えていないけれど、
“誰かがさみしい時、誰かを必要としたときに、僕たちが遊び相手になった”という話をいつかしていた。器が大きくなりすぎて負担を感じると話していたナムくんの言いたかったことは、世界平和とか人類平等とかそんな大きな話だったのだろうか?
彼の本当に伝えたかったことが何なのかは分からないけれど、巨大になりすぎた私たちのコミュニティは、一人一人、まるでソウルメイトのように、心と心でつながれた友達なんだと思う。
さみしい時に笑わせてくれる。悲しい時にそっと優しい歌で慰めてくれる。一緒に騒いで嫌なことを忘れさせてくれる。私たちは彼の言葉の一部のように“出身や言語、年齢に関係なく同じ言葉を話す”、共に歩む仲間なのだろう。
今日、いつか誰かの“遊び相手”だったよく知っているつもりだった人が、まるで知らない人のようになってしまうことが、この世界にはどうしようもなくあるのだと突きつけられてしまった。
信じる方を選びたいといつか私は言ったけど、どんなに好きな人だって、例えば恋人や家族であっても、心の中のことなんて他の誰にも分からない。
“勇敢な君が今日を笑って生きてる
それだけで僕は嬉しくなる”
何気なく流れてきた歌がまた、私の心をぎゅっとつかんだ。
私の大好きな人は今日、子供の頃から大好きだったチームに所属していたであろう選手の試合を、とても楽しそうに観戦していた。彼はこういう時、意外と思われるのかもしれないけれど、ノリが良いし、知らない人たちへの愛想もとてもいい。
楽しそうな様子がSNSにたくさん流れてくる。いつのまにそんなスーパースターになったのか、大画面に抜かれたり、公式Twitterで紹介される人気っぷりで、笑ったり喜んだり、真面目な顔をしていたり、楽しそうな彼の様子がどんどん流れてきた。
大好きな人が今日を笑って生きているだけで、私の小さな暮らしは、嬉しさでいっぱいになる。
やさしい歌が、とても心地よく冷たい風に混じる。
コンビニから出たら三日月が見えた。
ホソクくんが三日月を見て「空が笑ってる」と言っていたのを思い出した。
彼らに出会わなければ一生気付くことはなかったし、私はそんなことを言う人を“へんな人”だと片付けていたけれど……
今日の夜空はたしかに、小さく笑ってるみたいだった。
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