早く生きたい
大学生の友達が「来月〇〇万は稼ぎたいな」ってツイートしてた額が私の月収よりはるかに高くて、心がパリンと割れた音がした。なんか全部どうでもよくなった。よくないけど。
手渡しだから扶養超えられるって働き方をしてる友達がたくさんいる。みんな上手くそういうバイト先を見つけて、上手く入って、上手く稼いでるんだよね。みんなありえないくらいずっと働いてるから、きっと私も今の仕事にプラスしてバイトを始めれば同じくらいは普通に稼げるんだろうけど、そういうことではなくて。
なんか、なんとなく存在は分かっていた「器用に生きている人」の実態を知って、自分の不器用さに絶望する。いやでもみんなもめちゃくちゃ努力した上でのそれであることも分かってて、じゃあ次はその努力をする気力と体力の無い自分に辟易する。収入増やしたいけどもう1から新しいこと覚えるとか初対面の人に挨拶しまくるとか無理で、あーあのバイト勢いで辞めなきゃよかったなとか、正直に話してみたらよかったなとか、自分が雑に生きてきたことの応報が返ってきてる感じがする。
今思えば、第一志望の高校落ちて、第一志望の大学も早々に諦めて、落とした大学ですら受からなくて、もうどこでもよくて、そしたら大学も辞めてて、私の人生ってずっとしょうもないな。中学時代は社会で生きていくにあたってあってないようなもんだからノーカン。逃げれば逃げるほど弱くなるの分かってて、それでも逃げる以外に対処法が分からないから悪循環。
将来がどうなるかより今苦しみたくないと思ってあらゆることから逃げて逃げて逃げまくってまあ最悪死ねばいいやとか思ってたら、一緒に生きていきたいと言って実際に行動してくれる友達が現れて、自分の生死が自分だけのものじゃなくなった。ちゃんと生きるかぱったり死ぬかのゼロヒャクじゃなくて、その間でなんとか生きていく策を探さなきゃいけなくなった
今の私にとってはこれが苦しくもあり希望でもある。この人生でこんな存在に出会えると思ってなかった。”人生とは本来こうあるべきである”という初期設定に戻ってこれたのかもとか考えてる。精神科にかかった人の「普通の人は死にたいとか思わないらしい」ってツイート読んだ時衝撃的だったな
最近読んでる本に「死とは絶対無である」と書いてあった。死後の世界は…とかは無くて、死んだらプツンと電源が落ちるように体も魂も感情も全部無くなるっていう。
死んだら全部無くなる上に思ってるよりも人生は短いなら、そんな必死こいて生きる必要ある?今の夢ってなんだろうって考えた時に、夢が無いってよりも自立して人並みの生活をすることが夢と呼べるくらい遠い場所にあるなって気付いた。
今夢を追ってる同世代凄すぎる。どんな理想も現実になるビジョンが全く見えない。
今日もずっと寝てたな。
こんな暗いことばかり書いてるけどデフォルトとしては学生時代よりめちゃくちゃ楽観的になってて、その上で気づいたことだけど内面が変わると今まで聴いてた音楽がしっくりこなくなる。特に私は歌詞で音楽を聴くから余計。
ダイエットしたらお気に入りの服のサイズが合わなくなっちゃった、みたいなね。喜ばしいことだけど悲しくもある。今音楽がマンネリ化してプレイリストが枯渇しててヤバい。
また好きなジャニーズタレントがジャニーズじゃなくなった。ここ数年の動きすべて、好きなジャニーズがジャニーズでなくなることも勿論悲しくてどうしようもなかったけど、ジャニオタでない人は基本的にうっすらとジャニーズが嫌いなのだと感じさせられたのが結構キツかったな。
ディアウーマンの落ちサビでぼろぼろ泣いたの自分でもびっくりした思い出
体調悪い時だけ猫撫で声で話しかけてくる父親。別に体調なんか全快の時のほうが少ないんだよな。「今日は出かけないの?」って聞かれる度、ああもうここは私の城じゃないなって感じる。
「頑張らなくていい」「無理しなくていい」っていうアイドルの言葉なんか真に受けちゃいけないな。こんなの信じれば信じるほど自分が弱くなってくだけ。明けない夜は無いとか言われても、朝が嫌で泣いてるのにね
腹に何を詰め込んでも満たされないって分かってるのに、ぬいぐるみに綿を詰めるみたいに甘さだけを押し込んで、結局空っぽのまま
今日だと思ってたラジオ今日じゃなかった。外れないだろと思ってたら外れたイベント今日だった。
早くガラスの靴で東京のコンクリート爆走したい
地下鉄のホームの風くらい人生もぬるかったらよかったのにな
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