私は如何にして繭期になったのか?
最初はこのnoteの題名を「我は如何にして守護者になったのか?」にするつもりでした。しかし、何か壮大なフラグを立てて単位を落とすような始末になってしまってはいけないので、最後になって考えを改めました。
大学生ですから、私のイニシアチブはそこそこの量の単位に握られているのです。
あれは忘れもしない、2021年10月25日の深夜。
二学期中間テスト期間中。私は微妙な寒暖差による気疲れを言い訳に、数学の課題を下敷きにしてYouTubeを彷徨っていました。
パソコンを開いてしばらく経った頃何度目かの更新が、私の運命を決めました。
朧げな記憶ではありますが、それは【はじめての繭期2021】と冠された、ほとんど真っ白なサムネイルでした。
あの頃の私は、映画や舞台の知見を広めようとショートムービーやアニメーションは見かけたらタップする癖をつけるようにしていました。
この行動がアナリティクスに影響を及ぼしたのか、それとも気まぐれか、視聴者数の多さに助けられたのか。
真相はデジタルの中ですが、とにかく私は心を躍らせてタップしました。
するとどうでしょう!
すでに終わっていたのです。
エンドクレジットの真っ最中だったか、それすら終わって初めに戻っていたのかも覚えていませんが、確かに本編は終了していました。
しかし、ちょっとやそっとで諦める私ではありません。
確か本編終了後も20分ほどは公開されていたので、私は内心焦りながらも初めから見始めました。
前略、純白の世界、冷え込んだような衣装に身を包むダリ・デリコとレイン上級議員(きゃ〜〜〜)が登場。
この時点で私のハートは彼らに奪われ、そして確信しました。これやばいって。
舞台の素晴らしいところですよね。
なんかけしからん敵対者との殺陣が始まり、彼らの衣装は動くたびに羽を広げるようでした。そして今では見慣れた顔ぶれも登場して、少しずつ不穏な空気が鼻を掠めるようになるのです。
これが私の俗にいう“親ンプ“、『COCOON 星ひとつ』との出会い……
………ではありません!!
もちろん20分も見れば、十分にTRUMPの世界観を理解することができました。
しかしライネスすら見届けなかった私が、この作品を“親ンプ”と呼んでいいのでしょうか。
否!!
本当の“親ンプ”との出会いは次の日、10月26日に起こりました。
この年の【はじ繭】は全8幕で、『COCOON 星ひとつ』は6幕目。
7幕目はそう、微睡むような黒い舞台で行われる朗読劇『黑世界 雨下の章』です。これこそ、私が“親ンプ”だと勝手に決めている作品です。
昨日今日の中途半端な知識だったからでしょうか、リリーの物語はすんなりと私の中に入ってきました。
『COCOON』の色彩との落差もスパイスです。
したたかで芯があり、哀愁を纏うリリーは魅力的なのなんの。
全員の歌声はさることながら、リリーを取り巻く登場人物は目まぐるしく変化して、私の心を掴んで離さないどころか捻り潰す勢いでした。
今考えても恐ろしい。
26、27日と続けて『黑世界』を鑑賞した私は、もう立派な繭期の人間です。
【はじめての繭期】よ、ありがとう。
(またYouTubeに帰ってきてくれてもいいんだよ)
当時は10月。
私の誕生日は目前、クリスマスもすぐそこ。
私のすべきことはただひとつです。
勉強?
もちろん。
しかし、いいえ!!
『TRUMP』シリーズの中から、次にみる作品を決めることです。
15周年盤や【はじ繭2022】の恩恵もあって少しずつ円盤を増やし、今では『ヴェラキッカ』を除く作品を見ることができています。
先日初現地となった『マリオネットホテル』も満喫して、来たる『デリコズ・ナーサリー』第二幕も楽しみ。
なんて豊かな繭期ライフでしょう。
『マリオネットホテル』といえば一般抽選で申し込んだのですが、なんと前から二列目で観劇することができました。
チケットを見た時、私は恐れ慄きました。
はじめての現地で座っていい場所じゃないでしょう。二列目って。
上手側にあるホテルの扉からダリ・デリコが登場した時の身の強張り、忘れられません。
カーテンコールの時、目の前にモリゾがいるんです。あの時ばかりは劇場から逃げ出したくなりました。俳優とキャラクターの同一視の逆をしていたようですが、あのインパクトに免じて見逃してください。
それに、何度もエゴが倒れるんです。別な意味で身を強張らせました。
終演してから、やっと我に返るじゃないですか。
“めっちゃ貴族で、めっちゃすごくて、めっちゃ偉い“、あのダリ卿が舞台上にいたんですよ。おかしいって。
全ての演劇に共通することかもしれませんが、今回ばかりは二度とない幸せを味わうことができました。
今だけでも、全てに感謝を捧げたいくらいです。
捧げるのは感謝と愛らしい猫くらいで構いませんよね。
このnoteを書きながら、冒頭に書いたことについて考えていました。
私たちって、守護者になれるんですかね。
題名に関しては、烏滸がましいと思い変えたというのが真実です。
しかし『TRUMP』シリーズを追いかけ見守る観劇者として、私たちは一切干渉できない守護者でもあるように思えてきてしまって。
孤高の存在「TRUMP」の守護者、ってほんと何言ってるんだか。ニュアンス違いますよね。
せめて“僕は視るだろう”、くらいでしょうか。シュカのマインドを観劇に取り入れたい気持ちで山々です。
終着点は、あれもこれも全て造物主の盤の上です。
しかし視点を変えたら、私たちの娯楽でもある現実があって。
単純なものを自分から難しくしているようですが、それでも演劇と物語と観客の多層構造について考えるのって楽しいです。
このシリーズは一体どこへ進んでいるのでしょう。
これからも『TRUMP』シリーズの繁栄を願っておりますし、可能な限り加担するつもりです。
一生ものの演劇体験ですから、大事にしないと。
大学生になった私を止める者はいません。