【国会議員の目】衆議院議員 れいわ新選組 櫛渕 万里氏
現地の信頼こそが日本の国益になる ~NGOピースボートで実感した国際協力の意義~
世界で分断が広がる中、国際協力に求められる役割とは何か。国際交流NGOピースボートの職員・事務局長として17年間活動し、世界約80カ国を訪問した後、国会議員となり、北東アジアの非核化構想などに関わる櫛渕万里議員(れいわ新選組)に、活動や考え方を聞いた。
(構成:本誌ライター 三澤一孔)
衆議院議員 れいわ新選組 櫛渕 万里氏
くしぶち・まり
1967年群馬県生まれ。立教大学卒業後、1991~2008年、国際交流NGOピースボートに勤務し、共同代表および事務局長を務める。世界80カ国・地域で人道支援や環境保護などに従事する。法政大学国連グローバル・コンパクト研究センター共同代表、明治学院大学国際平和研究所(PRIME)客員研究員を経て、2009年に衆議院議員に初当選。2022年に再選。一般社団法人 全国ご当地エネルギー協会事務局長なども務めた。現在、党共同代表。
<櫛渕氏の公式HPはこちらから>
※本記事は『月刊 国際開発ジャーナル2024年11月号』の掲載記事です。
内容は原則として、2024年9月19日、取材時の情報です。
北東アジアの非核化へ議員外交
「北東アジア非核兵器地帯を推進する国際議員連盟」の設立に関わり、その活動に取り組んでいる。2022年8月の最初の会議は、「長崎を最後の被爆地に」をテーマに韓国の国会議員とともに長崎で話し合った。2023年5月には韓国・ソウルで国際会議を開き、安全保障、経済支援、開発の専門家、元韓国外交部の北朝鮮担当者も出席した。2023年9月には、米国ワシントンで上下両院議員や元安全保障担当補佐官らと外交を通じて非核化をどう進めるか、紛争をどう防ぐかを議論した。衆議院の解散、総選挙の動きが出るまで、2024年秋に中国・北京で第4回の会合を開く準備を進めていた。外交・安全保障政策を変えた例として、対人地雷禁止条約(オタワ条約、1999年発効)と核兵器禁止条約(2021年発効)がある。これらは、NGOや被爆者が声を上げ、国境を越えた連帯と心ある政府の後押しで成立した。外交や安全保障は政府の専権事項ではなく、市民主導で進めていくこともできるという例だ。外交政策、安全保障政策によって、真っ先に影響を受けるのは、そこに暮らす市民であり、民主主義国家であれば、市民の声が政府に届いて政策が変わることがあり得る。その認識を広めていくことが大事だし、そうい
う状況を作っていくことも大事だ。
私は、世界のさまざま国・地域に暮らす人々と直接顔の見える交流を続けるNGOピースボートの活動を通じ、先進国を含めて約80の国を訪れ、平和、人道支援、環境保護に取り組んできた。
日本ではなかなか理解されないが、平和とは戦争がないというだけではないと感じた。住んでいる人の安心や経済的な豊かさ、教育や将来への希望があってこそ平和だと言える。それらが根本になければ、紛争が起こりやすくなる。根本的な平和への取り組みの一つが国際協力や政府開発援助(ODA)、NGOや市民による活動だ。
相手国に暮らす市民の目線を
ピースボートの活動に取り組んでいたのは、1990年代~2000年代。日本がODAのトップドナーだった時期だ。日本は各国でインフラ支援や技術協力を展開した。効果もあったが、途上国では現地政府の考えとそこに暮らす市民との意見が一致していないことも多い。政府が腐敗している国や、地方政府・自治体のガバナンスが機能していない地域もあり、そうしたところにODAを供与した結果、現地の人のためにならないこともある。国と国の間の協力でも、相手国に暮らす国民・市民の目線を軸にすることが基本だ。
住民の理解が得られなかった事業の典型例が、モザンビークで大規模に進められていた「日本・ブラジル・モザンビーク三角協力による熱帯サバンナ農業開発プログラム」(プロサバンナ事業)だ。
この事業では、1970年代にブラジルの熱帯サバンナ「セラード」地域で実施され、開発の成功例とされた農業開発協力(セラード開発)と同様の取り組みが進められた。しかし、現地の小規模農家には、開発により大規模事業者の従属的な立場になるという危機感が強かった。農民らが日本に来て抗
議をするなどの動きもあり、事業は中止になった。
グローバル化した農業への反省から、1990年代以降、「小農の権利」や「家族農業」が評価され、コミュニティを支える農業を通じて、出稼ぎに行かなくてもいい生活をつくる実践が進んでいた。しかし事業は、規模を広げた方が農民の収益も拡大するという考え方に立って進められた。
近年は、台頭する中国に対抗し、バングラデシュなどへのインフラ整備のための円借款供与が大きく伸びている。一方で、貧困対策につながる無償資金協力や技術協力の取り組みは減っている。日本のODAはもともと、東南アジアや南アジアに対する戦後賠償の一環としてスタートした。「現地の人に喜ばれることを」が理念であった。しかし、現在は中国と援助の規模で対抗することに走り、ODA政策が産業政策、安全保障政策に絡め取られている。
「基本法」でODAに法の支配を
今後のODA政策のために必要なことの一つは、国際協力基本法の制定だ。それによって、ODAを「法の支配」の下に置く。現在の「開発協力大綱」は、閣議で決定されるため、時の政権やその時に力のある一部の政治家の力によって決定される。
国際協力基本法により、国際協力とは何か、何のためにやるのかを定め、中長期的な効果を考えて予算をしっかりつける。中長期的に地域・世界の利益、「人類益」が出ることで、日本の国益にもなる。
また、外務省に社会開発を専門に担う部署をつくり、そこにNGO出身者も含め専門性のあるスタッフを雇用することも考えるべきだ。期間雇用でもいいが、2年ごとに定期異動がある一般職員とは別に、専門性を持ち、国益にもつながる社会開発を進める。
「日本経済も厳しくなっているのに、なぜ日本人から集めた税金を海外に出すのか」という批判がある。しかし、外交や国際協力は信頼となり、現地の人たちの利益は、ひいては日本の国益になる。そのことを、ピースボートの活動を通じ、実感してきた。
問題なのは、ODAが増えることではなく、30年間、日本経済が成長せず、そこにコロナ禍があったのに増税が繰り返され、日本の人の生活が苦しくなっていることだ。経済を強くし、日本人が安心して暮らせるようにして、ODAも増やすべきだ。
日本の国際協力では、日本の知識や経験を生かすのがいい。具体的には二つある。
一つは、災害大国としての蓄積と経験。その典型例が、1970年代前半からフィリピンのマニラ近郊で続けてきた治水事業だ。50年続いた事業の結果、「100年に1度」の規模と警戒された台風でも被害は最小限にとどまった。国際協力機構(JICA)の支援で1999年に設立された治水砂防技術センターや、そこで研修を受けた技術者の存在も大きい。現在、世界中で気候変動に伴う災害が危惧されているが、フィリピンでの取り組みは、一つのヒントになる。
もう一つは、公害対策だ。官民挙げて公害を克服したノウハウを伝えることは、公害が深刻化する中国やアジア、アフリカにとって、大きな参考になる。こうした取り組みにより日本への信頼も高まる。
掲載誌のご案内
本記事は国際開発ジャーナル2024年11月号に掲載されています。
(電子版はこちらから)