【BOOK INFORMATION】国際的経営学者が語る開発協力論 社会変革をもたらした7つの事例
『日本型開発協力とソーシャルイノベーション 知識創造が世界を変える』
『日本型開発協力とソーシャルイノベーション 知識創造が世界を変える』は、大きな社会変革を導いた国際協力機構(JICA)の7つの事業を取り上げ、開発協力のマネジメントの本質を論じている。JICA職員として本書の制作にも携わった松永正英・政策研究大学院大学特任教授が本書を解説する。
かつてない実践的開発協力論
本書は経営学の世界的な泰斗※がマネジメントの切り口から論じた類例のない開発協力論である。組織外に出ることがなかったJICA内部の動きを描き出し、事業の成否を分けた普遍的な要因を探求している。編著者の野中郁次郎・一橋大学名誉教授は、日本型経営の本質を理論化し、ナレッジマネジメントの世界的な潮流を生み出すなど、世界中の経営者・経営学者に大きな影響を与え続けてきた。JICA事業にも2004年からさまざまな形で携わり、フィリピン、ベトナム、タイなどでは政府高官の研修が同教授の理論に基づいて行われている。
野中教授は開発途上国の開発を社会変革、つまり「ソーシャルイノベーション」と見て、それを実現するために実践すべきことを事例と理論の両面から本書で論じている。取り上げられている7事業は、顕著な社会的インパクトを生み出したものとして、JICA内で多数の候補の中から選ばれたものだ。いずれも事業の継続が危ぶまれる状況を切り抜けている。
そうした危機や転機において、組織内でどのような葛藤があり、また各関係者がどのように思ったかは、通常、公式の報告書に記されることはない。記録として公表されるのは実際に行われたこととその結果のみである。本書では、そうした「ブラックボックス」化してきたマネジメントの実態を、多数の当事者からの聞き取りにより明らかにした上で、結果的に社会変革の実現に寄与したと考えられる関係者の判断と行動を解説している。
※泰斗・・・権威者、その道の大家の意味
内幕も描いた7つの物語り
まず、大都市の社会変革の事例として、「奇跡」とうたわれたカンボジアの水道事業とバングラデシュの廃棄物管理事業の劇的な変化のプロセスが語られている。両者とも課題先進国としての日本の自治体の経験を生かしたことが転機となった。それは当初から計画されていたことではなく、問題の本質を現場で直観した個人が周囲の反対に諦めることなく奮闘したことにより実現した。
続く、ネパールの震災復興とミンダナオ平和構築のケースでは、人間の安全保障に直結する社会変革が実現したプロセスが描かれている。前者では東日本大震災の経験から生み出された復興のコンセプトが、全く異なる社会経済的条件の下で具体化した。後者は凄惨な内戦の終結に日本が大きく貢献した歴史的にも稀有なケースであり、誠実に働きかけることにより内戦の当事者双方の間で信頼関係が深まった。共に現場の現実について日本側関係者の間で認識が割れ、紆余曲折を経た結果だった。
社会変革が停滞しているアフリカについては、日本の協力から生み出された施策が多数の国々に普及したプロセスが語られている。国際社会の優先課題でもある小規模農家の所得向上と初等教育について、従来の国際的な常識を覆す革新的施策の実装が進んでいる。常識にとらわれた現地の人々とのイノベーションや、成功したモデルを条件の異なる他の国々に「横展開」することは容易なことではない。多くの頓挫の危機を乗り越えることで、アフリカ全域に及ぶ流れが生み出された。
最後は、中米の広域的な風土病の防圧に成功した事例である。医療を専門としない若者たちがファシリテーション役に徹することで、また、関係各国間の競争意識を触発することで、当事者の潜在力を引き出した。ただ、技術移転に重きを置いてきた開発協力の常識を超えた試みであったため、JICA内で理解されにくかった。
日本型開発協力の本質
野中教授は、分野や目的などが異なる7事業の共通点として、「相手国に知を移転する一方向の支援ではなく、相手国の知を触発し、新たな知を共創した」ことに着目し、日本型開発協力の本質は組織的知識創造であると論じている。いずれの事業においても、現場の現実を直観した日本側関係者の深い思いが社会的課題の解決の起点になった。それに相手国側のキーパーソンが共感し、ソーシャルイノベーションに展開した。その背景には、日本側関係者が上から目線ではなく、共創の姿勢に徹して相手との共感と信頼の関係を深めていたことがあった。
同教授の知識創造理論は、ナレッジマネジメントの基幹的な理論として世界中に影響を与えてきたが、デジタル化による知識共有よりも、共感に基づく共創のプロセスをイノベーションの焦点として重視している。一見して共通点に乏しい7事業は、そうした知識創造理論に即したマネジメントが行われた点で本質的に同じであることを同教授は解説している。また、同教授は日本の組織において創造性の劣化を招いている要因として、短期的な計画管理が過剰化しやすいことを指摘してきた。7事業は当初の計画にとらわれることなく、現場の現実に臨機応変に計画を変更し、長期間にわたり共創を促進した点でも共通している。
日本型開発協力の「型」
野中教授は本書のまとめとして、社会変革を導くための行動規範をマネジメントの「型」として提示している。
本書は「日本型開発協力」を書名に掲げているが、日本の開発協力はさまざまな点で国際的に独自性が高い。例えば、自国の経験を共有することを重視して、自国民を実施者とし、自国での研修を大規模に実施してきた。それは相手国との信頼と共創の関係を尊ぶからであるが、欧米の開発援助関係者の目には非効率な利己主義の表れと映りやすい。また、「国際標準」と異なることを理由に日本型経営の見直しが国内で進んだように、日本型開発協力もその特徴が国内で不合理なものと見なされ、行政改革の焦点とされた。そうした独自性を強みとして生かす「型」として、行動規範が知識創造理論に基づいて示されている。列挙すれば、①存在目的の追求、②現場での直観と共感、③大局観と現実に基づく戦略、④知の総動員、⑤自律分散的な実践の5項目である。
施設建設や研修を計画どおりに行い、短期的目標を実現することも開発途上国においては簡単なことではないが、持続可能な開発目標(SDGs)のような社会変革を導くことは至難である。その社会の当事者の主体的な取り組みにかかっているからである。それを助ける立場の日本側関係者には、当事者による自律的展開を導くマネジメントのプロフェッショナリティが求められる。世界的に評価されてきた経営理論に基づく日本型開発協力の「型」はその基盤になり得る。
ODA以外への応用
本書の狙いは、ODAに限らずビジネスや研究などで広く開発途上国に関わる人々に、社会変革を導く行動規範を伝えることにもある。少子高齢化が加速する日本の将来にとり、開発途上諸国とのWin-Winの協力関係の構築が益々重要になることは間違いない。途上国の社会経済発展に寄与する点で、企業の営利活動や大学の研究教育活動も開発協力であり、JICAやNGOの事業との間には本質的な違いはない。技術の現地化や組織の活性化など、途上国での活動に本書が役立てられることにより、日本と途上国の協力関係の多角化と重層化が進むことが期待される。
『日本型開発協力とソーシャルイノベーション 知識創造が世界を変える』
野中郁次郎 編著
千倉書房
3,000円+税
・千倉書房
・amazon
掲載誌のご案内
本記事は国際開発ジャーナル2024年6月号に掲載されています
(電子版はこちらから)
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