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思考の自分(エゴ、ネガティブな思い込み)があるメリットを見つめてみた

世界はもっともーーーっといろんな要素からできている〜

こんにちわ!novaです

今日は思考(エゴ)を使うメリットについて見つめていきたいと思います


私たち人間は今まで『思考で考える自分』で生きる時間が長い時代を過ごしてきました


しかし、『思考で考える自分』の先にもっと大きな自分がいて頭で認識している自分は『自分のほんの一部』だったりします


頭で考える自分(エゴ)は自分の可能性を妨げたり、不安や心配のフィルターを通して物事を解釈する性質があるため、自分の心を内観をしていくときどうしてもエゴは厄介なやつにしか見えなくなってきます


しかし、メリットがあればデメリットも必ずあります


今回は思考の自分(頭で考える自分,エゴ)があるメリットを見つめていきます


思考の自分(エゴ)は不安や心配のフィルターを通して物事を解釈していく性質があると認識しています

思考で考える自分であることのメリットは

危機管理能力や事務的作業が高まっている状態といえて、私たちをあらゆる危険や細かい作業をサポートしてくれていると感じます


ですから、時と場合によって思考でも考える自分(エゴ)を使うという感覚だといいバランスだと感じます(それらのバランスをとるためには大きな視点の自分の認識が必要)


現代社会で生きていくには、思考で考える自分(エゴ)で動かなくてはならないことが多いです

思考の自分でいることも大切ですが、思考が100%をしめると不具合が生じてきます


バランスが偏っているからです
(※のちに詳しく描いていきます)

もう一つメリットがあります。

それは傷つく出来事から守ることです。


これは、その時のその状況にとってエゴはメリットになってたり(デメリットにもなる)もするんだなという感じです


これについて、詳しく見ていきます


エゴ(思考で考える私)は、もう『私』がそれ以上トラウマになってる感情について傷つかなくてもいいように、その感情を隠して感じさせないようにする性質があります


しかし、それはいつまでも膿んだ傷を抱えていることになり、そのまま隠し続けることはずっと痛みを抱えたまま放置することです


痛みを取り除きたい場合の根本的な解決にはなっていません


痛みから解放されたい場合は、その傷は消毒をして、空気にさらして、自然治癒させるのが適切な対処法だと言えます


まずは傷があることを確認
そして消毒(感情を吐き出す)
そして、空気にさらす(傷の完治を自然に待つ)のが傷の回復には必要です


いつまでも見て見ぬふりは一生その痛みを感じながら生きることになります


なので、その傷の痛みを認識させないようにに巧みに甘い囁き(また傷つくよ?)を呟くエゴに気づくことが、痛みのない人生を選択する場合には必要になってきます


しかし、現状を生きていく時、思い込み(考え方の癖=心の傷=エゴ)があるから、今の人格のバランスをとっていることがあります


その思い込み(エゴ、思考、ネガティブな考え方の癖、以下同意義)も含めてその人の個性を形成しているからです。

エゴも含めてその人の人格を形成しています。


その思い込みがあるから出来ることがあります。
(ただ、過剰になると苦しくなると感じます)



※そしてまだ多くの人が『思考で考える自分』で生きる世界で活動するにはそういった思い込みの癖が必要だったりします


現実を生きる上でバランスをとっています



なので、傷を癒すには傷を癒す順番(いい感じのバランスやタイミング)があります


思い込み(心の傷)にも軽いものから重いものまで、様々です


今までこしらえてきた傷の中で1番大きいものにとりかかれば、小さな傷は自然と癒えていきますが、1番大きい傷にとりかかるにはリスクもあるわけです


今まで1番自分に慣れ親しんだものを、自分から剥がす作業は精神的にかなりダメージを受ける事もあるわけです


なので、日常の生活を送りながら全身にできた傷(心の傷、ネガティブな考え方の癖)を癒していくには小さい傷から順番に癒していくのが安全といった感じです



その時に、バランスをとっていくためにその心の傷(ネガティブな考え方の癖、エゴ)は必要なわけです



しかし、順番といいましたが、何を選択してもいいわけで。

なので大きな傷から癒すことをしてもよいわけで、そのときは少しメンタルキツめ(痛いけど治りが早い)

小さい傷から癒せば、少しずつ、メンタルダメージ少なめでゆっくり治す(痛くなくじっくり治す)


やっていることは意識の拡大であり、傷を癒すことであり、ネガティブな考え方の癖を解放して多面的な視点で物事を捉えていく力を拡大させていくことに違いはないと思います


(一瞬の痛みを体験するのを選択せず、鈍痛を持ち続けながら生きるか、一瞬の痛みを体験してそのあとスッキリして生きるかの選択はいつでもできる)


そのほか、思考で考える自分(ネガティブな考え方の癖)がある自分でいることでのメリットとして、感情的なドラマが体験できます

すっごい悲しい、すっごい寂しい、すっごい恐い、すっごい不安、すっごいムカつく、すっごい惨め、すっごい切ないetc...。

これは、この感情の最中にあるとこれが体験できることにメリットなんかあんのかよ!と思っちゃうけど(それふつー)、これってとても素晴らしいことというか、とても尊い体験だったりもします。(最中はほんとーーーに苦しかったり、痛かったりしますよね。痛いですよね。私も結構やりました。でもそのときは、意識を拡大させることをあなたが選択したということです。目を逸らさずに起こった出来事の本質を見抜いていきましょう!)



私たちはいつも絶妙なバランスで生きてます


それも含めて、全て大きな自分はちゃんと見ていてやりたいようにやらしてくれているとも感じています



思考で考える自分(エゴ)で生きることはダメなことのように感じてしまいますが、全くそんなことはなくて
エゴを一つの性質として使いこなすことが大切だと感じています


エゴだけで生きるというより、エゴ以外の自分でも生き、その2つのバランス、グラデーションをとっていく

そんな感覚でしょうか?



ということで、思考で考える自分(エゴ)で生きるメリットについていろんな方向から検証してみました




だれかの心がスッキリするお手伝いになっていたら嬉しいです(ややこしくしちゃったらすまそ笑)


読んでくれてありがとうございます


らぶ♡
















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