マレフィセント・実写化の先駆け

ディズニー映画の実写化はここ数年間の流行

近年、ディズニーは過去のアニメ作品を実写化・リブートすることが多い。

最近だと『実写 ムーラン』がコロナの影響によりディズニー・プラス配信が決定し話題になっていた。

実写化する際には過去のアニメ映画とは少し違った設定や解釈を加えることが主流となり、時に元のアニメ映画ファンから反発が出ることもたまにある。ちなみに、私は実写版・美女と野獣の最後のエンドロールが油絵だったことが今でも許せない。美女と野獣といったらステンドグラス一択でしょ!ステンドグラスにしてたら手放しで100億点だったのに!!…といったようにディズニー映画は思い入れを持っているいわゆるめんどくさいファンが私含め多い気がしている。いや、私がめんどくさいだけだと思うが。

実写リブートされた映画は(文句を言いながらも)ほとんど劇場で観てきた。その中で一番実写化リブートに成功している作品を挙げるなら『マレフィセント』一択だ。

新設定や新解釈を入れて眠れる森の美女(1959年)とは180度違う作品となっているが、メッセージはかなり現代的だ。

私の周りでは、実写マレフィセントを観たことがある人が少ないor観ても昔すぎて覚えていない人が多かった。

色んな方に少しでも興味を持ってもらいたい。このマレフィセントという映画がいかに素晴らしくて異色な作品なのかをつらつらと語ろうと思う。

特に、今話題のツイステッドワンダーランドはこの作品の影響をかなり受けていると思われる。このゲームに触れている方は絶対に観てほしい。

※ツイステとマレフィセントの類似性については別の記事できちんと語りたい…まずはマレフィセントを観て感じて欲しい。



”ヴィランズ”であるマレフィセントと真実の愛

実写マレフィセントのテーマは「真実の愛とは何か」だと考えられる。

これだけでも、眠れる森の美女(1959年)とは全く違う作品であるとわかるだろう。作中は一貫して真実の愛は存在するのか、をテーマに話が進んでいく。

昔々、妖精の国「ムーア国」と人間の王国は長く対立していた。大きな翼と魔力を持つマレフィセントは、ムーア国の守護者として国を見守りながら、自由に空を飛びまわっていた。

若き妖精マレフィセントは、人間の男の子であるステファンと恋に落ちる。二人は若いうちは愛で結ばれていたが、この恋はステファンが出世のためにマレフィセントの大きな翼を切り落としてしまうことで終わりとなる。マレフィセントは真実の愛など存在しないと思うようになってしまう。

有名なオーロラ姫の洗礼式でのマレフィセントの呪いについても、マレフィセントが真実の愛など存在しないと信じていることが動機となっている。オーロラ姫は、ステファンが国王となり王妃との間に生まれた赤ん坊だ。オーロラの誕生を聞いたマレフィセントは、徒歩でこの洗礼式に乱入する。(だって翼は取られてしまったから!)

「オーロラ姫は美しく優しく成長する。しかし、16歳の誕生日の日没までに糸車に指を刺され死の眠りにつくだろう」

この呪いに対して、ステファン王は膝をついてマレフィセントに許しを求める。その様子をみたマレフィセントは呪いの言葉を追加する。

「ただし、真実の愛のキスによってこの呪いは解かれるだろう

マレフィセントとステファン王は恋仲だった。キスも交わした。それはマレフィセントにとっては真実の愛のキスだったが、ステファンの裏切りによって真実の愛は崩れ去った。これは、真実の愛など存在しないと信じているマレフィセントにとって”絶対に解けない呪い”だ。

マレフィセントが悪意を込めて魔法を使うときのエフェクトは緑だ。この時もオーロラ姫に緑の魔法が掛かる。マレフィセントの悪意そのものだ。


オーロラ姫の成長、子どもには罪がない

呪いを恐れたステファン王は、オーロラ姫の養育を3人の妖精に頼む。しかし、この妖精たちは子守には不向きだった。呪いをかけたもののオーロラ姫の様子が気になるマレフィセントは、カラスのディアヴァルと共にオーロラ姫の子育てを陰からするようになる。マレフィセントがオーロラ姫を見つめるとき、いつも物陰からひっそりと覗いている。森の木々や、窓枠など。マレフィセントは、オーロラ姫に対して罪の意識があるのだろう。

ディズニー作品と毒親については、切っても切れないテーマだ。白雪姫の継母から始まり、ピーターパンのジョージ・ダーリング、メリーポピンズのジョージ・バンクス、シンデレラのトレメイン、リトルマーメイドのトリトン王や、ラプンツェルのマザーゴーテルなど。どの作品も高圧的だったり子供に興味がない親が出てくる。この実写マレフィセントのステファン王も毒親だと言える。オーロラ姫を妖精に預けて国の辺境に追いやってしまう。話が進むにつれてステファン王はマレフィセントが攻撃してくる妄想に囚われどんどん狂っていくが、オーロラ姫を気遣う様子は一切見せない。ステファン王にはマレフィセントへの恐怖と復讐しか残っていない。

一応の育ての親である3人の妖精も、オーロラ姫には無関心だ。育て方がわからず赤ん坊ににんじんを与えたり、蜘蛛を食べさせたり挙句は16年間もこんなことさせられて…と愚痴っている。

この毒親たちの中、マレフィセントとディアヴァルはオーロラ姫をいつくしみ、陰から育てた。オーロラ姫と交流していくうちに、マレフィセントの悪の心もだんだんと溶けていく。(オーロラ姫を助けたりする場面で使う魔法のエフェクトは金色だ)

たとえ親が悪くとも、その子どもには何の罪もない。

I have know you. ~Once Upon A Dreamの新解釈

眠れる森の美女といえば、楽曲「Once Upon A Dream」が有名だ。実写マレフィセントでは、この歌詞をモチーフにオーロラ姫とマレフィセントが初めて対面する。これも、マレフィセントとオーロラ姫の間に真実の愛が芽生え始めている象徴だろう。元の映画とは全く違う解釈を使いつつも、歌の歌詞がオーロラ姫・マレフィセントの関係性をも表しているような演出が素晴らしい。

「あなたのことを前から知っていた気がする。影からずっと見守っていてくれたのね。あなたが私のフェアリーゴットマザーなのね」


オーロラ姫と対面した後、マレフィセントは自分がかけた呪いを解こうとするが失敗してしまう。もうマレフィセントの心の中には悪意はなく、オーロラ姫への愛情が育っていたのだ。それでもマレフィセントが強い悪意を持ってかけた呪いは続いてしまう。

ここにも、怒りによって過ちを犯すことはあるけれど心は変わることができるといったメッセージが強く出ている。マレフィセントは悪の面もあるが、善の心も持っている。オーロラ姫と一緒に過ごすうちに、本来の優しい心を少しずつ取り戻していく様子がよく描写されている。


真実の愛のキス、誰もが善も悪も持ち合わせている

結局、オーロラ姫は糸車に触れてしまい呪いの眠りについてしまう。

原作ならフィリップ王子のキスで目を覚ますが、そうはいかない。

マレフィセントは眠るオーロラ姫へ心からの謝罪をする。怒りによって心が曇ってしまい過ちを犯してしまったと告白し、また眠ってしまっているオーロラ姫を一生守ると誓い、オーロラ姫の額にキスをする。すると、オーロラ姫の呪いは解け、彼女は目を覚ます。

真実の愛などない、と否定していたマレフィセントの心に真実の愛が芽生えた瞬間だ。

マレフィセントは怒りによって一度は過ちを犯してしまったが、オーロラ姫との交流で反省し真実の愛の心を取り戻したと言えるだろう。マレフィセントの呪いは怒りによるものだった。怒りは誰にもある気持ちだ。その怒りとどのように向き合っていくかが大切なのだ。

単に『マレフィセントは実は良い人だった』という話ではなく、誰もが悪にも善にもなりうるということがこの映画のメッセージなのだろう。

原作映画はもちろん善(フィリップ・オーロラ姫)vs悪(マレフィセント)の構図だったし、今までのディズニー映画もその構図を採用しているものがかなり多い。ディズニーヴィランズと呼ばれるキャラクター達は徹底して悪として描かれてきた。そのヴィランズに違う側面を与えたという点でも、この映画はかなり異色だ。

※オーロラ姫のステファン王が新しいヴィランとして描かれてしまっている。なぜ彼が人間社会でここまで権力に惹かれてしまったのかという掘り下げがあれば、ステファン王が単なる悪(頭のおかしくなってしまった人)とはならなかったな…と思うと少し残念ではある。だが、ステファン王も少年期は心の綺麗な男の子でマレフィセントと恋に落ちた。どんな人でも色んな側面を持っているという点では一応一貫している。


異色の実写化映画

ここまで挙げてきた特徴のうち下記の2点はディズニーの実写化映画においてこの作品ならではだと思われる。

・ヴィランズとして描かれてきたマレフィセントと真実の愛について

・誰もが善と悪の心を持っている。怒りという一時的な感情によって過ちを犯してしまうことは誰にでもある

また、最後の最後に、この映画の語り手がオーロラ姫だったことが明かされる。

誰によって物語が紡がれたか、どの視点から歴史を切り取るかによって話の伝わり方が変わることも重要なメッセージの一つと言える。

ちなみに、何故マレフィセントが悪として話が伝承されていったかという理由はマレフィセント2において明かされる。ここにもまた、誰が歴史を物語るのかというテーマが出てくる。事象は視点によって180度変わるのだ。

ここまで原作のストーリーを改変した実写映画は他にない。かなり実験的な作品だとも言える。

繰り返しになるが、含まれているメッセージはかなり現代的だ。実写化映画として、現代に即した素晴らしいリブート作品と言える。

ディズニー・プラスで観ることができる。少しでも興味が出たら是非観てほしい。本当のハッピーエンドがここにある。

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