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腐れ外道の城2ー5
もちろん元々半田の家臣だった者がそれを許すはずもなく、半田家家臣と黒田から来た世話役との間に衝突が起こる。
しかし、十歳とはいえ公高は正式な当主であり、その幼い当主は、幼い頃から面倒を見てくれた相談役の意見しか耳に入れない。
やがて公高は、世話役の全てを重臣の座に付け、それに従わない者を降格させ始めた。
勿論、排斥された所謂「保守一派」は密かに集結し、公高を亡き者として、新たな半田家を再興しようと、団結し武装化を進めた。
その動きが起こる前から、それを見越していた公高の世話役であり、重臣となっていた者達は、黒田本家と早い段階から連携を取っていたのである。
初代樋野領主、本田正信の代から言われてきた「智の黒田」「武の半田」の血筋は代が変わっても引き継がれており、その両家の特徴が、両家の運命を大きく分岐させることとなる。
半田家の重臣の座から追い落とされた「保守一派」は、武装決起し、半田家当主の屋敷からほど近い寺に集結し、「公高一派」を牽制した。
「保守一派」からすれば、この威嚇は有効的であった。
何故なら、強引で狡猾な「公高一派」を指示する者は少なく、武装決起した「保守一派」の方が圧倒的に人数で勝っていたので、「保守一派」からすれば、この人数を見せつければ「公高一派」は恐れ、それでも駄目なら、この人数で屋敷を取り囲めばよい。
それでも聞かないようであれば、武力で駆逐するまでの話だ。いかにも武力でのし上がった家の考えだが、勝算は十分に見込めていた。
だが、一枚も二枚も上手であったのが「智の黒田」の者達であった。をなして、「保守一派」の意見を聞くようになるだろう