長野亭ごりら

ラーメン食って寝て、映画観て海外ドラマ観て、頭に浮かんだことを苦手な文章におこす。 社会不適合者です。 よろしくお願いいたします

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最近の記事

腐れ外道の城3-4

鶏面の小心な自信家である井藤十兵衛が繰り出そうとしている「最後の一手」は。  のちのち小国樋野に終演をもたらす「最後の一手」になってしまうのだが。  この時点では、そんなことは誰も知る由がないし、ここでは物語を先に進ませるために細かく触れずにおこう。 まとまりのない重臣達の会談も、結局は、意見を曲げない頭首の意見が通り、籠城し徹底抗戦する方向で収まりが付いた。  徹底抗戦のむねを綴った書状は、樋野城にいる本田忠康と、前線にいる三郎兵衛に宛との二種類書かれ、双方に送られた。

    • 腐れ外道の城4-5

      甲四郎の顔が見る見るうちに強ばり、父に怒りの感情を剥き出しにした視線を向ける。 「それは三郎兵衛様が父上に直接仰った下知ですか」    十吉は口ごもり、奥歯を軋ませ息子を見た。 「やはりな、思った通り、父上が一存で下したことでしょう」 息子はもう父の目を見ようともしなかった。 「しかしのぉ、儂はお主をおもって・・・」 「お気遣いなさらずとも、わたしは井藤砦の時も一人でやり遂げました。お引き取りを」 「甲四郎!それが親に向ける言葉か」  十吉の鼻息はまだ荒い。 「父

      • 腐れ外道の城 4-4

        人が人を嫌うことや、嫌悪感を抱くことに明確な理由が存在するのか、そう問われると、さしたる理由もない場合のほうが多いだろう。  三郎兵衛と畠中信好が、お互いを嫌いあっているのにもさしたる理由がある訳でもなかった。 三郎兵衛は慣用で大らかで、上下の身分の隔ても無く人と付き合える人間である。  がこと畠中信義に対しては、三郎兵衛の寛容さの扉は、苦手な食物を無理矢理口に詰め込められ、それを飲み込もうにも、どうにも食道が受け付けない心理に似ている。 信義側へ視点を変えると、三郎兵衛

        • 腐れ外道の城4-3

          市蔵達から遅れる事二日、忠康からの援軍が「三郎兵衛砦」へやってきた。 援軍を指揮するのは、畠中信義(はたなかのぶよし)という三郎兵衛より五つ年配の男だった。  三郎兵衛は、信義が援軍を率いて来た事にも違和感を覚えた。  なぜなら、畠山信義の畠山家は本田家の側近中の側近の家柄で、信義も忠康の政治面と軍事面を支える重要な人物であり、三郎兵衛と信義がここにそろってしまったと言う事は、樋野城が裸城になったも同然であるからだ。  しかも、三郎兵衛と畠山信義は以前から反りが合わず、反目す

          腐れ外道の城4-2

          樋野を治める者達は、何度も土蜘蛛の排除や討伐を試みてきたが、うまく行かず、その中でも、三郎兵衛は二度ほど土蜘蛛討伐戦を指揮したが、戦上手の三郎兵衛でさえ、土蜘蛛討伐には手を焼き、二度目の討伐作戦では、忍山という国境沿いの小山に追いやる事は出来たが、それは成功とはほど遠い結果であった。  その二度目の討伐戦で、両親を亡くし、野獣のように泣き狂っていたのが、当時三歳だった市蔵なのである。 「おとう」  市蔵は甚六の方へ駆け寄ると、表情を緩めた。 「きたか、市」  甚六はそれしか言

          腐れ外道の城4-2

          腐れ外道の城4-1

          市蔵     本田忠康からの援軍に先んじて、三郎兵衛の治める領地、黒岩から十数人の援軍が、必要な物資をもって井藤砦に現れた。  因みに「井藤砦」とは、突然本田家に反旗を翻した井藤側が付けた名称で、今ここを守っている者達は、この砦を「三郎兵衛砦」と呼んでいる。  その黒岩からの援軍に、一人の少年がいた。名を加藤市蔵という。  この市蔵は、今では甲四郎の良き参謀役を務めている加藤甚六の養子である。  この市蔵と言う少年の人生は、一言で説明するには難しい。  まず市蔵は、戦場で取

          腐れ外道の城4-1

          エブリスタに投稿していた「腐れ外道の城」を手直しを入れながらこっちに投稿を始めました。 少しでも目にふれる場が増えればと思っておる次第です

          エブリスタに投稿していた「腐れ外道の城」を手直しを入れながらこっちに投稿を始めました。 少しでも目にふれる場が増えればと思っておる次第です

          腐れ外道の城3-3

          重臣達がこの期に及んで、意見を戦わせている中十兵衛だけは、清親への視点が違っていた。 「清親様は、我等が窮地に陥れば、必ず後詰めを出して下さる。だが、徹底抗戦が後詰めの条件じゃ、本家を疲弊させれば、後始末は付けると、清親様は申しておるのだ、あの御方は、儂等を欺くなど小さなことなど考えてはおらぬ、物事の先手の又先手をよむような御方だ・・・儂が先ほどから焦っておるのは清親様の出方などでは無い、黒田三郎兵衛じゃ、何故にあの男は砦を一日で落とせた。何故にあの男は、砦を守備する者共をい

          腐れ外道の城3-3

          腐れ外道の城3-2

          「そうだ!本田はこの平野を治める領主を次々に変えておる。十兵衛様の前の領主も領主に付き、七年ほどで突如べつの土地へ22BB移らされた、我が井藤家も平野に移り五年、唐突に土地替えを命じられた。本田は平野に何か長居させたくない訳があるに違いない!」  それまで広間をグルグルと歩き回っていた井藤十兵衛の足がピタリと止まった。 「儂は・・・儂は降伏などせぬぞ」 十兵衛は何かを決心したように、深く息を吐き、言葉を続けた。 「我等には、清親様がおる・・・清親様は、いざとなれば、我等の後ろ

          腐れ外道の城3-2

          腐れ外道の城3-1

          井藤十兵衛 「樋野」という土地の名の由来は、「樋」つまり、物の表面に付けた細い溝、水を引き入れる筒などの意味がある言葉である。  樋野は正に高い山脈を、深く細く削り取って出来た平坦な土地であり、言い換えるなら山脈に囲まれた半島のような土地である。  V字に切れ込まれた狭い土地の付け根は、大国「山名」と接していて、「半島」の先端部分にあたる地域を「平野」と呼び、急勾配の山脈の前にある平たい土地である。  その崖のような勾配に三方を囲まれた平地に、平野城があり、現在の城主が井

          腐れ外道の城3-1

          腐れ外道の城2ー7

          国衆や隣国山名と繋がり、半田家を乗っ取ったように本田家を丸呑みする計画を立てているのではないかと疑っていたのだ。  だがしかし、大広間の中でただひとり穏やかな表情で三郎兵衛を見る者がいた。  本田忠信である。  忠信は、重臣等の厳しい調べを退屈そうに聞き、その問いかけが一時やんだ所を見計らい。 「黒田三郎兵衛則久、ここにおる者等はな、お前を殺してしまえといいおる。だから、お前を殺すことにする」  三郎兵衛はただ反問することも無く、頭を深々と下げ、忠信の言葉を受け入れた。  こ

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          腐れ外道の城2ー6

          取り囲み始めていたときとあたってしまった。  何から何まで保守一派の計算外であった。  数的優位により、圧力をかけようとしていた「保守一派」の先陣は、運悪く、黒田からの第一陣と出くわしてしまう。  しかも、黒田の第一陣が少数であったため保守派の先陣は、敵は援軍を合わせても少数であると見くびっり、前戦の者同士が小競り合いを初めてしまったのである。 そこまでなら内輪もめの騒動や、小規模な戦でありがちな光景であった。だが、その小競り合いの最中に、本田黒田連合の援軍が到着してしまっ

          腐れ外道の城2ー6

          腐れ外道の城2ー5

          もちろん元々半田の家臣だった者がそれを許すはずもなく、半田家家臣と黒田から来た世話役との間に衝突が起こる。  しかし、十歳とはいえ公高は正式な当主であり、その幼い当主は、幼い頃から面倒を見てくれた相談役の意見しか耳に入れない。  やがて公高は、世話役の全てを重臣の座に付け、それに従わない者を降格させ始めた。  勿論、排斥された所謂「保守一派」は密かに集結し、公高を亡き者として、新たな半田家を再興しようと、団結し武装化を進めた。  その動きが起こる前から、それを見越していた公高

          腐れ外道の城2ー5

          腐れ外道の城2ー4

          その時点で両家に何の他意もなく、純粋に家同士の友好的繋がりによる婚姻関係でしかなかった。  黒田家から半田家へ行くことになった男児は五歳、必然的に黒田家から世話役の者が数人付けられることとなり、その世話役は黒田家から出された五歳の婿が正式に婚姻関係を結べる年齢になるまで、教育係も兼ねることとなる。  高齢であった半田家頭首は、我が娘と黒田からの婿との正式な婚姻と、時期頭首指名を急いだ為、黒田から来た子は八歳の若年で十四歳の半田家三女と祝言を迎え、正式な後継者となった。  その

          腐れ外道の城2ー4

          腐れ外道の城2ー3

          戦国初期は主従の上下関係は甘く、甲四郎もそれ以上の平服はしなかったが、聞かれた話題が話題であるため、甲四郎と甚六の躯の固まりようは尋常ではなかった。  しかし三郎兵衛の表情は穏やかであり、子供にお伽噺でも聞かせるように甲四郎の疑問に答え始める。 「甲四郎、儂はな、この世とは、外道界に落とされた者が住む世なのではないかと思うことがある。誰も皆善人の顔だけでは生きられぬように、一族の系譜にも善もあれば悪もある」  そういって話し始めたのは、黒田一族の闇の歴史である。  本田家が三

          腐れ外道の城2ー3

          腐れ外道の城2ー2

          「その噺では、なぜ三郎兵衛様が旗の由来を嫌うのかが解らんではないか」 「もう旗の由来は申しました故、これ以上はよろいしいでしょう」 「よろしくはないわい、儂の興味はすでにそこにはないわい、何故に三郎兵衛様は旗の由来を嫌うのか、そこが知りたい、なっ甚六よ申せ申せ、もうそこまで聞いて引くなど出来るか」  甚六は頑なにそれ以上を語ろうとはしなかったため、暫く二人の押し問答が続いたが、ある瞬間を境に固かった甚六の表情が引きつり、俯いてしまった。  いつの間にか三郎兵衛が、聞かせろ聞か

          腐れ外道の城2ー2