腐れ外道の城3-4
鶏面の小心な自信家である井藤十兵衛が繰り出そうとしている「最後の一手」は。
のちのち小国樋野に終演をもたらす「最後の一手」になってしまうのだが。
この時点では、そんなことは誰も知る由がないし、ここでは物語を先に進ませるために細かく触れずにおこう。
まとまりのない重臣達の会談も、結局は、意見を曲げない頭首の意見が通り、籠城し徹底抗戦する方向で収まりが付いた。
徹底抗戦のむねを綴った書状は、樋野城にいる本田忠康と、前線にいる三郎兵衛に宛との二種類書かれ、双方に送られた。
本田忠康に宛てた書状は、低姿勢な文面でありながら、なんの落ち度も無い自分たちが何故土地を変えられなければならないのか、今一度考え直してほしい、と綴られ、この意見が通らないようであれば、主君に背くのは忍びないのだが、籠城し戦うのみである。
と書かれていた。が、一方、三郎兵衛に送られた書状は、読むに堪えない罵詈雑言が書かれており、締めくくりに、我が弟、六郎太の首、しかと受け取った。
とあり、我が弟の首は、野蛮な田舎者に斬られた事を悔やみ、この恨みを晴らしてくれと十兵衛に語りかけてきているので、亡き弟の恨みを晴らすべく、徹底して籠城をする。
と結んだ後、それでも怒りが収まらなかったのか、黒田三郎兵衛はじめ、山猿どもの首を平野城の門前に並べてやるから、心してかかってくるが良いと書き足されていた。
この書状を読み終わると、三郎兵衛はしたたかに笑った。
「儂はこれまで何度も戦をしてきたが、これほど低俗な書状を目にしたことがないわい、呆れて腹をたてることもできん」
そう言うと三郎兵衛は、その言葉とは裏腹に読み終わった書状を綺麗に畳み、元あったように封に入れ直した。
「このような愚の骨頂の見本となる書状、子々孫々まで残さねばならぬ、これを大事にとっておけ、後にこの書状を目にした井藤の子孫は祖先を恨むことだろうて」
この時の三郎兵衛には、その後忠康が下すであろう決断も読めていた。
きっと忠康は、三郎兵衛にたいし砦に止まり、十兵衛をじらすだけ焦らせと命じてくるに違いないし、出陣する前の忠康ともそう申し合わせていた。
焦らせば十兵衛のような小心者はしびれを切らし城を飛び出して来る。
その時を狙い、討つなり捕らえるなりすれば良いのだ。
だが数日後、忠康から届いた書状には三郎兵衛の読みとは全く逆の事が書かれていた。
僅かばかりだが、援軍をおくる故、援軍が付き次第平野城へ向かえ。
三郎兵衛は、主である忠康からのあまりにも簡単な書状に違和感と、言いしれぬ不安を覚えた。