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腐ったみかん🍊のハイデガー
(以前、山田さんのサロンで披露した理論だけど、新年なので初心に戻るつもりで書く。みかん🍊の理論は、ハイデガーの哲学を、人間とは文化的な趣味を楽しむことを通して人生を豊かにするべきだという持論をもとに、面白おかしく僕なりに発展させたもの)
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最近、面白いストーリーがまったく思いつかなくなってしまったけど、別に何とも思ってない。 面白いことが思いつかなければ、他のことをやればいいのだ。
僕は趣味活動の基本となる「三本柱」を意識しています。
「文学」と「映画」と「音楽」の3つかな。
「文学」には小説を書くこと、読むことが含まれる。「映画」とは視覚に訴える趣味の筆頭という意味だから、「イラスト」「写真」も映画に含む。「音楽」は聴くこと、歌うこと、弾くこと。
活動の基本となる三本柱ですが、三点を結んでできる三角形△にもっと他の趣味活動を足していくことができます。
例えば、
「釣り」「料理」「ワイン」「ファッション」「オートバイ」「剣道」「コーヒー」「お笑い」
などでしょうか。
三角形△に他の趣味活動が足されていき、点(その他の趣味活動)がもっと増えれば△の角が取れて、円に近づいていき、これは「円」熟を意味します。
とげとげしい芸術至上主義が、やがて蜜柑🍊の丸さを持つようになります。
下手の横好きでいいから、 なんにでも手を出してみて取り入れることが大切なのではないでしょうか。 だけど円熟とは、「完熟」ではありません。
芸術活動に完成はない。その活動が人間の手によるものである限り。
ここで蜜柑🍊と、人間を比較してみたいと思います。
蜜柑🍊や檸檬🍋の果実には、完熟があります。つまり完成です。
それでは、人間は成熟した大人になったら、それは完成したと言えるのか。完成した大人は、蜜柑が腐るみたいに、後は腐って崩れ落ちていくだけなのか。
そうではないでしょう。
人間は死の瞬間に完成するわけでもなく、いつまでも未完成なのが人間です。
「蜜柑🍊」ではないけど、「未完🍊」なのが人間です。
芸術にも完成はないのだ。
あらゆる人間の活動に完成はない!!
●数学者は円周率(π)を割り切ろうとするけど限界はない。
●芸術家は蜜柑🍊のような円熟を目指すけど完成はない。
●女たらしは三角関係の二股を、三股の四角関係、四股の五角関係、五股の六角関係・・・・・・・とどんどん円に近づけて丸く収めようとする。笑