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「食欲カウンセリングルーム」第三話|カラダとココロの栄養

「わっ! ハナさん! 本当にまた来た! どうぞどうぞ、いらっしゃぁーい」
『食欲カウンセリングルーム』のプレートをガタガタいわせながら、食欲カウンセラーの山田は扉を開けて出迎えてくれた。
 私が山田を信用していないように、山田も私を信用していないらしい。

 大きな窓から日が差し込む明るい部屋で、私と山田ははす向かいでソファに座った。

「また食べちゃったんです。全然止まらない。昨日の夜も、我慢できなくて食べちゃって。嫌なことを思い出したりすると、どうにも止まらなくて。だけど、食べても後悔ばっかり。何もいいことないのに」

 わたしは落ち込んでいた。
 ローテーブルに上にある小さな観葉植物を見つめたまま、山田の顔を見られない。

「ボクの元カノもねェ、仕事でうまくいかなかったりすると、レディーボーデンのバニラアイスをドカーンと抱えて食べていたのよン。ほら、絶対ひとりで食べるようなサイズじゃない大きいやつ、あるじゃない? あれをギュッと抱えちゃうのよォ。かわいかったなぁ。アハハハ!」
 山田は幸せそうに笑った。

 笑いごとじゃない。
 こっちは真剣に悩んでいるんだ。
「甘いもの依存って、本当にやめられるんですか?」
「やめられないと思ってるのぉ?」
 山田は身を乗り出して、わたしを見つめた。
「わたし、我慢とか、できないから……。食事制限してダイエットに成功したこともあるけれど、食べるのを我慢できなくなちゃって、すぐにリバウントしちゃったんです。だから、甘いものを我慢する方法もわからなくて」

「我慢なんてしなくていいのよン」
「え……?」
「大好きなことを見つければ、それでいいの」
「はぁ……。それ、前にもおっしゃってましたけど、ちょっと意味がよくわからなくて」

「あのねぇ、甘いもの依存ってねぇ、カラダとココロの栄養不足が原因なわけ。ハナさん、お食事はけっこうきちんと食べてるの?」
「はい。料理するの好きですし、一人暮らしにしてはバランスのとれた食事をしてると思います」
「だったらさ、カラダの栄養は満たされてそうじゃない?」
「はぁ。まぁ、そうかもしれません」
「残るはココロの栄養不足よ。だから、自分の心を満たしてあげると、ココロの栄養不足が解消されて、甘いもの依存の原因にビシッと効くわけよ」

「あのー、心を満たしても、食欲が満たされる気がしないんですけど」
「そぉお? でもさ、さっきハナさん言ってたじゃなぁい? 嫌なことがあると食べちゃうって」
「えぇ、まぁ……」
「心が荒れてるときに食欲が爆発してるなら、心と食欲ってすごぉく関係があると思わなァい?」
 それはそうだと思いつつも、山田のねちっこい言い方が癪にさわって素直に「はい」と言えなかった。

「爆食の正体ってさ、ネガティブに傾いた心を必死にバランス取ろうとしているのよン。だから、大好きなもので心が満たされていれば、食欲は暴走しないってわけ」
 山田はそう言いながら、ポケットから手鏡を取り出した。
 額に髪をかき寄せたりなでつけたりして、手鏡に映る自分の顔に夢中になっている。

「だけど、甘いものを食べ過ぎているんだから、やっぱり甘いものを我慢しなくちゃ、食べる量を減らせないんじゃないですか?」
 鼻息荒く、わたしは山田に詰め寄った。
 今までわたしは我慢ばかりしてがんばってきた。
 それなのに何なんだ。このおじさんは、あっさりその努力を全否定しようっていうのか。

 わたしが食ってかかかると、山田は手鏡から目を離さずに
「甘いものを減らす方法って、我慢するってことだけなのかしら?」
 と言った。
「大好きなもので満たされてごらんなさいよ。がんばっている自分に、たくさん愛を注いであげなさいよ。そしたらきっと、なりたい姿になれるのよン」
 山田はそう言うと、ヨイショと腕を伸ばし、散らかった机からタロットカードの山をつかんだ。

 カードの裏面には、メルヘンな色合いで月と星とサンリオのキャラクターが描かれている。
「うふふ。見て見て、このタロットカード。かわいいでしょう? シナモロールだもン。かわいいの大好きだもン」
 ご機嫌で鼻歌を歌いながら、山田の手が靜かに上下する。
 カードが切られていく。
 山田の手が止まり、カードが一枚ふわっとめくられた。

 シナモンが逆さまになって、ハンモックにのほほ~んと吊られている絵柄が見えた。
 カードの下には『THE HANGED MAN』(吊られた男)と書いてある。
 シナモンの後頭部から後光が差していて、表情はとても穏やかだ。

「おぉっ! ハナさん、いいじゃなぁいっ」
 山田はわたしを置いてきぼりにして、はしゃいでいる。
「『受け入れて、進む』ってシナモンが言ってるよ、ハナさん! ハナさんの甘いもの依存卒業へのロードマップを新しく描きながら、過去も未来も受容して進んでいこうってことだねっ。楽しみだねぇ。スリーサイズも変わるかしらン? ねぇ、今のスリーサイズいくつ?」

 わたしは無言で帰り支度を始めた。
 おじさんの占いコーナーに付き合っている暇はない。
 山田は声をはずませて「あ! これから好きなものを探しに行くの?」と聞いてきた。
「美術館に行ってきます。作品と対話するのが好きなので」
 そう言って、わたしはカウンセリング代をローテーブルの上に置いて立ち上がった。

 狭い玄関で靴をはいていると、ソファに座ったままの山田が、大きな声で「食事記録を書いてみるのも、おすすめだぁよォ」とわたしの背中に投げてきた。
 もう、うるさいなぁ。

 重い扉が閉じた音と一緒に、『食欲カウンセリングルーム』のプレートが乾いた音が背後で鳴った。
 さて、どこへ行こうか。
 新しい挑戦をする今にふさわしい美術館がいい。
 横浜美術館。
 あそこに、わたしを未来へ羽ばたかせてくれる作品がある。  
 わたしは地下鉄を乗り継いで、横浜・みなとみらいに向かった。

 ―――横浜美術館。
 だだっ広い灰色の景色に、両手を大きく広げて寝そべる建物。
 入口の脇に広がる、建物の袖の下のような長い回廊。
 歩くと美術館の鼓動が聞こえてきそうだ。

 がっしりと灰色の石に抱きしめられながら建物に入った瞬間、なめらかな陽の光に、わたしの身体が解放される。
 広く長い天井は、すべてガラス張りだ。
 穏やかな壁に囲まれて、大階段が右から左からわたしを眺める。

 彫刻『空間の鳥』に会いたい。
 力強く上へと羽ばたく、細身で豊かな金色の彫刻。
 あぁ、いたいた!
 展示室を深く潜ったその先に『空間の鳥』が展示されていた。

 見上げる。見つめる。上を見る。
 わたしの顎が天を指す。
 金色に覆われたブロンズの彫刻は、背中をそらせて飛んでいる。わき目もふらず。

 グンッと天に向かう作品のエネルギーを目で追うと、彫刻の台座に行きついた。
 台座は全身全霊でブロンズの重さを支え、地を押し返し、重力を踏み放して輝いていた。
 根を張り毅然と立ち続ける台座と、どこまでも上へ伸び続ける金色の彫刻。
 作品が生み出す空間の揺らぎに身をゆだねると、わたしの生命が響いて踊り出す。

「仕事、どうしよう」
 肩の力がゆるんで、思わずつぶやいた。
 大口案件のクライアントを失った。
 他の案件で食いつないでいくことはできそうだ。けれど、駆け出しの頃の情熱が、今はない。
 輝く躍動感の彫刻を目の前にして、わたしは自分のしなびた信念を余計にみじめに感じた。

 展示室から出て、卵焼きのような黒いソファにおしりを落とした。
 一息つこう。
 ふくらはぎに当たる、柔らかなソファの感触が心地良い。

 作品と対話した内容を書き留めておきたい。いつかどこかで使えるかもしれない。
 と、手帳とペンを出したところで、美術館のスタッフに声をかけられた。
「お客様、申し訳ありません。筆記用具は、鉛筆のみ使用可能となっております。もしよろしければ、こちらをお使いください」と使い捨て鉛筆を差し出された。
 そうだった。美術館では作品保護のためにペンの使用が禁止されているんだった。
 わたしは手帳をしまい、スマホを出した。

 ひと通り書き終えてから、カウンセリングルームからの帰り際に山田に言われたことを思い出した。
 食事記録って言ってたな。せっかく書くなら、ブログで公開しよう。
 わたしはブログの編集画面を開いた。
 ライターの本領発揮といこうじゃないか。