#7 【最古の鉄ヲタ】ドヴォルザークの鉄道愛エピソード | 音楽おもしろ豆知識
連載「明日誰かに話したくなる音楽おもしろ豆知識」
音楽がより身近に感じられる、ちょっとした雑学やおもしろエピソードをお届けします。
クラシック界を代表する鉄道ファン、ドヴォルザーク
チェコ出身の作曲家、アントニーン・ドヴォルザーク(1841-1904)
交響曲第9番『新世界より』などの作品が特に有名です。
後期ロマン派・国民楽派を代表する作曲家であるドヴォルザークは、クラシック音楽界を代表する「大変熱心な鉄道ファン」としても知られています。
この記事では、「最古の鉄道ヲタク」の一人でもあるドヴォルザークの"鉄道愛エピソード"をご紹介します。
※エピソードの中には真偽不明のものも混ざっています。あくまで読み物としてお楽しみください。
■鉄道とほぼ同時期に誕生したドヴォルザーク
1841年、ドヴォルザークは、チェコ(当時はオーストリア帝国)のネラホゼヴェスという町に生まれました。
ご実家はお肉屋さん&宿屋さんだそうです。
当時のオーストリア帝国は鉄道や機関車産業に力を入れていました。
ドヴォルザークが4歳になる1845年にはウィーンープラハ間に鉄道が開通し、数年後には実家の近くを経由する鉄道路線もできました。
現在は、生家の目の前に「Nelahozeves zámek(ネラホゼヴェス城駅)」という駅があります。
■暇さえあれば駅に出かけ、時刻表や車体番号を覚える
ヨーロッパの鉄道ファンには、車体を見て車両番号をノートに記録する「トレイン・スポッティング」という独特の楽しみ方があり、ドヴォルザークもこれを趣味にしていたようです。
車両番号どころか、時刻表や、何なら運転士さんや駅員さんの名前まで覚えていたそうです…!
■下宿選びの基準は「鉄道の音が聞こえるところ」
下宿先を選ぶとき、普通は学校や勤務先に近いところを探しそうなものですが、ドヴォルザークの下宿選びの基準は「鉄道の音が聞こえるところ」だったそうです。
作曲のちょっとした息抜きに、窓から線路を眺めたりしていたのかも?
■汽車の走行音のリズムが違うことから、車体の異常を見抜いたらしい!?
ある日、ドヴォルザークは、機関車の走行音を聴いて違和感を覚えます。
そして、駅員さんに「機関車の走る音がいつもと違う!今すぐ調べた方がいい!!」と主張。
調べてみたら本当に機械に不具合があったそうです。
■「新しい機関車が来るから車体番号見てきて」と弟子(娘の彼氏)に頼み、番号を間違えたら大激怒
見たい機関車が近くの駅まで来るというのに予定があり見に行けなかったドヴォルザーク。
苦肉の策?で、弟子であり娘の恋人(後の夫)でもあるヨセフ・スクに
「新しい機関車が来るから車体番号見てきて!!!」とお願い。
ヨセフ・スクさんは鉄道に詳しくなかったようで、間違えた番号を控えてきてしまいます。
大ショックを受けたドヴォルザークは、
「そんなんで娘と結婚する覚悟できてんのかぁぁぁ!!!!!」と怒ったという噂…。
■地元大好きドヴォルザーク、アメリカ時代の心の拠り所は「鉄道」(と「船」)
1892年、ドヴォルザーク(51)は、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長のポストを(それまでの給与の約25倍という高額な年棒とともに)打診され、アメリカに渡ります。
アメリカに渡ってからもボヘミア入植者の街を訪れるなど祖国への思いに駆られていたドヴォルザーク。見知らぬ土地での暮らしの中、鉄道という世界共通の趣味が心の拠り所になったかもしれません。
ちなみにドヴォルザークは、ニューヨークに居た頃は船にもハマっていて、しょっちゅう港に行っていたそうです。
■もし本物の機関車もらえるなら、自分の作品ぜーんぶ差し出してもいい!!!
筋金入りの鉄道ファンであるドヴォルザーク。
「もしも本物の機関車もらえるなら、かわりに自分の作品を全て差し出してもいい」と言っていたとか…。
機関車はもらえませんでしたが、チェコーオーストリア間を運行する特急列車「レイルジェット」に「アントニン・ドヴォルザーク号」という名前がつけられているそうです。
自分の名前を冠した電車が存在するというのは、鉄道ファンとしては嬉しいものなのではないでしょうか?
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