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理詰めで誰でも面白いストーリーが作れる 12 マクロの視点を身に着ける

面白いストーリーを作るための、充分な量と質の理論を提供する連投テキスト。
12回目である今回は、ストーリーをマクロレベルで捉える視点について述べる。


マクロレベルで捉える視点

以前、「理詰めで誰でも面白いストーリーが作れる 5 目的とストーリーの多層性」にて、以下のように述べたことを覚えているだろうか?

ストーリーを把握する視点は大別して、
①キャラレベル(主人公の人生)から捉える視点
②マクロレベル(ストーリー全体や局面)で捉える視点
③ミクロレベル(場面や行動)で捉える視点
の三つがある。

その上で、①②③の順に扱ってゆく旨も伝えた。

前回までの数回で、①キャラレベルから捉える視点については、一応区切りとしておきたい。
今回からはいよいよ、②マクロレベルで捉える視点についての内容に入る。

マクロレベルの範疇に含まれるのは、主に
ストーリー全体の構想を練る際の考え方
局面レベルの構成法
等であり、扱う順序も①②とする予定である。
つまり、今回及び次回以後数回は、ストーリー全体の構想を練る際の考え方について述べることになる。

そこで今回はその手始めとして、そもそもストーリーとは何なのかという点と、マクロレベルとミクロレベルの関係について留意しておくべき点について述べる。

人生の縮図

以下の図を見てもわかるとおり、ストーリーとは、主人公の人生のうち、ある特定の一時期である。

その「一時期」の具体的な長さは、
極端に短いものではほんの一瞬(ショートショートをイメージしてほしい)である場合もあり、
逆に長いものでは主人公が生まれてから死ぬまでである場合もあり、さらには生まれる前から死んだ後までをも含む場合すらある。

後者の存在を根拠として、「一時期」とするのは不適当だと思う方もいらっしゃるかも知れない。
が、後者のような場合であっても、主人公の生まれてから死ぬまでを、余す所無くノーカットで扱うというケースは存在しない。
つまり後者の場合であっても、人生のダイジェスト版という意味において、人生の「一時期」を扱ったものに過ぎないという点では変わりが無いのだ。

それでは果たして、その「一時期」というのは、どのような「一時期」である(あるいはあるべきな)のか?
単に「一時期」でありさえすればよいのだとすれば、全く無作為に何の理由も無く選んだ「一時期」であっても、ストーリーとして成り立つだろうか?

答えは無論「否」である。
ストーリーは単に人生の「一時期」でありさえすればよいというような、単純で簡単なものではない。
ストーリーがストーリーとして成り立つためには、その「一時期」は「他の一時期」とは異なる、「特別な一時期」でなければならない。

その「特別な一時期」とは、具体的にどのようなものか?
それは端的に言うならば、「人生を凝縮したような一時期」である。

人生には、膨大な量の時間と経験が含まれている。
中には比較的意味の小さい、無駄と言っても過言ではない時間や経験もある。
いやむしろ、そのような「無駄な」時間や経験の方が、大半を占めるとすら言えるかも知れない。

そのような「無駄な」時間や経験を捨象し、残された比較的意味の大きな、「無駄でない」時間や経験のみを抽出し、それらを凝縮したような「一時期」。
それこそが、ストーリーが扱うべき「一時期」なのだ。

すなわちストーリーとはいわば、人生の縮図なのである

時間や経験の意味の大小や、それが無駄であるか否かについては、ある種の価値判断が必要とされる。
その判断を下すのは作り手である。
したがって、その判断を経て生み出されたストーリーには、作り手の人生観が反映される

人生の縮図たるストーリーを生み出す作り手には、自分なりの人生観を持つよう、日頃から意識しておくことをお勧めする。

入れ子構造の原則

ストーリーの構成法は、基本的には、入れ子構造とすることが望ましい。
入れ子構造と言うのは例えば、全体を起承転結の四つのパートに分けたとき、その四つのパートそれぞれもまた、起承転結に分けるという意味である。
この連投テキストではこれ以後、これを入れ子構造の原則と呼ぶ。

前回、起承転結に代わる構成法として、ツアフカ理論というものを紹介した。
前回の話ではそれは、キャラクター作りのためのエピソードの構成法であった。
エピソードは、その長さから、ストーリーにおいては場面に相当するものだ。

入れ子構造の原則に基づけば、ツアフカ理論は、場面の構成法であるにとどまらず、局面の構成法としても、ストーリー全体の構成法としても有効である。

「理詰めで誰でも面白いストーリーが作れる 5 目的とストーリーの多層性」にて、「ストーリー全体は、全部で八つの局面から成る」と述べた。
このことと、ストーリー全体をツアフカ理論に基づいて構成することは、矛盾無く両立し得る。
最初の二つの局面をツカミ、次の二つの局面をアオリ、次の二つの局面をフリ、次の局面をカマシとすればよいのだ
(八つの局面の詳細については今後に譲る)。

また前回、カマシパートにおける「決着の決め手となる要素こそが、意味すなわち「テーマ」である」と述べた。
これはストーリー全体についても言える。
ストーリー全体の目的、すなわち究極目的に、カマシパートで何らかの決着が付くわけだが、その決着の決め手となる要素が、ストーリー全体の「テーマ」なのである。

前項で、ストーリーとは人生の縮図であると述べた。
人生の縮図たるストーリーにおける、究極目的の決着の決め手、それはいわば、人生の決め手と言っても過言ではない。
受け手はそこに何らかの人生訓を読み取ることもある。
「物語作品のテーマとは、作者の伝えたいメッセージである」という認識が、世間一般に広く浸透しているのは、そのような理由によるものと言えよう。
「テーマ」は必ずしも「メッセージ」という形を取るわけではないが、一定の人生観に基づいて作られたストーリーの、決着の決め手となる要素であるからには、少なくとも、作り手の人生観において、一定程度重要視される要素であることは間違いなかろう。
それを間接的なメッセージとして受け取るのは、受け手の自由なのである。

まとめ

今回及び次回以後数回は、ストーリー全体の構想を練る際の考え方について述べる。

ストーリーとは人生の縮図である。
そのことを意識して作られたストーリーには、作り手の人生観が反映される。

ストーリーの構成法は、基本的には、入れ子構造とすることが望ましい。
ツアフカ理論は、ストーリー全体の構成法としても有効。
究極目的の決着の決め手となる要素が、その物語作品の「テーマ」である。

今回のテキストは以上である。
最後まで読んでくださったそこのあなた、本当にありがとうございましたm(__)m

参考文献
○ロバート・マッキー著、越前敏弥訳『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』(フィルムアート社)(2018年)
○沼田やすひろ『超簡単!売れるストーリー&キャラクターの作り方』(講談社)(2011年)
○Webサイト『コトバンク』内「政治体系」の項(https://kotobank.jp/word/政治体系-1178804)
○アンジェラ・アッカーマン、ベッカ・パグリッシ著、新田享子訳『トラウマ類語辞典』(フィルムアート社)(2018年)
○Webサイト『シナリオ教室 ONLINE』内「キャラクターの作り方が分からない 人必読:脚本家 清水有生さん脚本術」内「キャラクターをタイプ別に分ける」の項(https://www.scenario.co.jp/online/23302/)
○リンダ・シガー著、フィルム&メディア研究所監訳、田中裕之訳『ハリウッド・リライティング・バイブル』(フィルムアンドメディア研究所、愛育社)(2000年)

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