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理詰めで誰でも面白いストーリーが作れる 2 ストーリーを作る者としての心得

面白いストーリーを作るための、充分な量と質の理論を提供する連投テキスト。
2回目である今回は、いくつかの基礎的な語句について説明しつつ、ストーリーを作る者として心得ておくべきことについて述べる。


物語と物語作品

物語の語義は広範に及ぶ。
神話や民話や昔話の類も物語と呼ばれているし、
小説や映画や漫画等、ストーリーを伴う芸術作品・エンタメ作品もまた、同様に物語と呼ばれている。
同じ物語という言葉で呼ばれてはいても、前者と後者は似て非なるものである。
それらを明確に区別すること無しに、物語についての思索を深めるのは難しい。

異なる二つの概念を区別するために最低限必要なことは、異なる呼び名を付けることだろう。
よってこの連投テキストでは便宜的に、
前者については従来どおり物語と呼ぶこととし、
後者については物語作品と呼ぶこととしたい。

神話や民話や昔話の多くが自然発生的に成り立ち、そのままの形で語り継がれてきたものであるのに対して、
小説や映画や漫画等のストーリーは、人の手によって作られたものである。
この作られたという事実を重視する意味でも、
物語作品という呼称には、それなりの妥当性があると言えよう。

作り手と受け手

物語作品の形式は、小説、アニメ、漫画、映画、演劇、ゲーム等、様々である。
この連投テキストで語られる内容は、それらのうちのいずれかに特化したものではなく、それら全てについて当てはまるものである。

物語作品の形式も様々なら、そのストーリーを作る人の呼び名も様々である。
小説を書く(小説のストーリーを作る)人は小説家、
漫画を描く(漫画のストーリーを作る)人は漫画家、
アニメや映画や舞台演劇のストーリーを作る人は脚本家、
ゲームのストーリーを作る人はシナリオライターといった具合だ。

この連投テキストでは煩雑さを避けるために、
小説家・漫画家・脚本家・シナリオライター等、物語作品(のストーリー)を作る人のことを、
全てひっくるめて作り手と呼ぶこととする。

物語作品の形式の違いは、その作品を鑑賞する人の呼び名の違いにも表れる。
小説や漫画を鑑賞する人は読者、
アニメを鑑賞する人は視聴者、
映画や舞台演劇を鑑賞する人は観客、
ゲームを鑑賞する人はプレイヤー、
ボイスドラマを鑑賞する人はリスナーといった具合だ。

この連投テキストでは煩雑さを避けるために、
読者・視聴者・観客・プレイヤー・リスナー等、物語作品を鑑賞する人のことを、
全てひっくるめて受け手と呼ぶこととする。

物語作品における作り手の責任

自然発生的に成り立った物語とは異なり、人の手によって作られた物語作品には、上手いか下手かの評価が付き物である。

例えば日本の昔話である「桃太郎」は、物語作品ではなく物語なので、そのストーリーの上手い下手について語られることは少ない。
自然発生的に成り立ったものに対して、上手いだの下手だの言うこと自体が的外れだからだ。
「桃太郎」という物語の価値は、ストーリーの良し悪しには左右されない。
悠久の時の流れの中を、そのような形で語り継がれてきたという事実そのものに価値があるのだ。

だが仮に、「桃太郎」が物語ではなく、物語作品であったとしたら――
例えば、明治時代のどこかの誰かが、無から作り出したものだったとしたらどうか?
展開が荒唐無稽であるとか、桃太郎の動機が明確でないとか、鬼が弱過ぎるとか、さまざまなダメ出しが飛び交うことだろう。

このように、物語については不問に付されるストーリーの上手い下手が、物語作品については大いに問題になるのだ。

物語は自然発生的に成り立ったものであるから、ストーリーが【そのようにあることの責任は、誰に対しても問いようが無い。
しかし物語作品は人の手によって【作られたものであるから、ストーリーが【そのようにあることの責任は、全面的に作り手にある。
物語作品の作り手は全てを【意図して、ストーリーを【そのようにあらしめたのだから、その意図や上手い下手について、責任を問われるのは当然なのだ

作り手の頭の中で、物語と物語作品の区別が曖昧だと、そのような責任意識も曖昧になる。
その場合、自作のストーリーに何か悪い所があることに気付いても、「こういう昔話もあるし」「似たような民話読んだことあるし」「神話によくある展開だし」と言い訳をして、悪い所を放置してしまうかも知れない。
それは物語と物語作品の差異を無視・軽視した愚行であり、作り手にあるまじき無責任であり怠慢であると、心得ておく必要がある。

まとめ

自然発生的に成り立ち語り継がれてきた物語と、
人の手によって作られた物語作品は全くの別物である。
物語作品の作り手は、ストーリーの全てを【意図して】【そのようにあらしめた】存在である以上、その意図や上手い下手については、全面的に責任を負わなければならない

どのように意図し、どのようにあらしめれば、上手いストーリー・良いストーリーになるのかについては、次回以降徐々に語られてゆくだろう。

今回のテキストは以上である。
最後まで読んでくださったそこのあなた、本当にありがとうございましたm(__)m

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