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PCの歴史 前編


1623年  シッカートが機械式計算機発明

シッカート(ドイツの大学でヘブライ語の教授してた人)がパスカル、ライプニッツの計算機よりも機能は少ないけどいっちゃん早く作ってる。ケプラーにトリセツを送りつけて宣伝してた。ネイピアの骨(あとで説明するのとこれ発見されたのシッカートが計算機作る六年前!さすが流行好き)を使った6桁の+ー計算できた!あとデザインは20世紀までよく分かってなかったけど1960年にレプリカできた

上はネイピアの骨を利用した計算ができて下の6つのボタンみたいなやつは何が出来んのか知らん

ネイピアの骨とは 小中学の頃ひたすらやらされた多桁の計算で使ったこの方法の大元

これ作った経緯
シッカート:ヘブライ語文法もっと知りてぇ!!

17世紀 パスカル君(19歳)が使い方非公開の機械式計算機作る(パスカリーヌ)
19歳で第一号機作って10年で53台量産して12ぐらい売れた!8桁いけるけどまんま出来るのは足し算だけで引き算も減基数の補数(元の数に足しても桁上がりしない数のうち一番デケェ数字)使わんと出来ねぇ!!しまず当時のフランスの通貨10進法ちゃうし!!桁以外シッカートの劣化版やった。しかも誰もこんなん書いても分からんて言ってトリセツ無しで死にやがった

これ作った経緯
税務官だった父さんが金の計算にクソ忙しそうだったから楽にしてあげてぇ!

1670年代 ライプニッツの計算機

階段状に歯の付いたドラムと、それとの噛み合い位置により任意の歯数だけ回転する円盤ていうメカニズムのおかげで四則演算全部出来た!
この人二進法もやってて"偉い奴が誰でも出来る計算で時間食うの勿体ねぇ‼︎"て言わしめる位バリバリ学者だった

1818年 コルマーが計算機(アリスモメーター)を商業利用する

ライプニッツの計算機改良したやつで数字をダイアルに合わせ、手でクランクを回して計算するクソ面倒いモノだった。第一回ロンドン万博(1851年)にも出した

1868年 オドネルがロシアで特許付き歯車式計算機作る
元スウェーデンに住んでてロシアのサンクトペテルブルクに移ってから発明した。その後息子達がロシア内に計算機工場建てて1918年のロシア内乱(WW1途中離脱した時)で工場閉鎖になるまで作ってた
 ソ連の計算機コレクションらしー(クソ見にくい

ちなサンクトペテルブルクは1703年建設やが元の地盤が永久凍土の湿地帯のせいで建設が難航且つ食料衛生(ジメジメ洪水多発)事情が悪く(パンがモスクワの3倍)人(建設時は大北方戦争で得たスウェーデン人奴隷)がクソ死んだ血の都だったそれでも建てたのはバルト海に面する港町が欲しかったから

よかったらみてみ(さんこーぶんけん的な)

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