
「働く人と運用する人」
私がフォローしている、ある凄腕ビジネスコンサルタントがYouTubeで興味あることを語っていた。
平時、平和な時代は資本家の時代。
戦時、非常時は労働者の時代。
第一次世界大戦ではフランスの成人男性の1/3が戦死して、労働力が急激に低下、それが大不況にも繋がった。そういう非常時は、日銭を稼ぐ労働者の時代。
林檎一個買うのにトランク一個の札束が必要だった大恐慌時代には、「お金」「資本」はほぼ意味がない。カツアゲして、闇市で現物を稼ぐヤクザの方がお金持ちになれる。
日本の戦後もそうだった。
しかし、平時になり、経済が安定してくると、労働者の稼いだお金をうまく運用して、新しい産業を創造したりして稼ぐ資本家の時代になる。
言われてみると、日本も欧州もほぼ同じ変遷を経てきている。
歴史がそれを証明している。
では、今はどういう時代かというと、
資本家であり労働者である人の時代だそうだ。
資本家である比率がより高い労働者。これまでにない時代。
自分もそう思う。
自分が考えるに、これを可能にしたのは、ネット社会だ。
有名なビジネス系ユーチューバーは、本来実業でも有名で稼いでいる人が多い。そういう人が数十万人のフォロワーを抱え、一月に数百万円の広告収入を得ている。そして、キャピタルゲイン課税ゼロのシンガポールに住んで海外に投資している。
そういう人はもう特殊ではない。自分の周りだけでも何人かいる。
彼らも働く資本家の範疇に入る。
従来の資本家とは明らかにビジネスモデルも行動様式も違う。
種銭稼ぐと、運用する。それが当たり前になっている。
運用先は複数。ポートフォリオがしっかりとしている。
これは世界的傾向だと思う。
運用とか投資に、胡散臭いイメージを抱える日本人は特異な存在だ。自分は、なぜそれを嫌うのかというと、日本人は「リスク」を嫌うからだと思っている。
リスクのない運用ばかり望んでいる。そんなものは存在しない。
元本割れのリスクがあるのは、当たり前だ。
これまでの有能な経営者(ほとんど創業者かその一族)をみると、リスクテイカーだ。サラリーマン経営者になると、自分の在職だけの無責任な考え方になるので、決して会社の将来を考えてリスクはテイクしない。
多分、考え方が「労働者」なのだ。
平から上がってきたのだから仕方ない。
労働者根性が抜けきっていない。
「資本家」の考え方だと、どこかで必ず大きなリスクをテイクする。
トータルでゲインになれば良いと考えるからだと思う。リスクゲインコントロールの考え方がしっかりしている。
一時期、孫さんの目の前で仕事していたが、そのリスクテイクぶりは恐ろしいほどだった。役員はいつも震え上がっていた。その結果は現在のソフトバンクだが、今でもすごいリスクテイカーだと思う。
「労働者」が多いということは、即ち、「資本家」メンタリティの経営者がいないということ。
いつまでも労働者だったらギャラは増えない。会社の利益も伸びないし、リスクをテイクしないからイノベーションも起こらない。
これが、約40年、給料がほとんど変わっていない大きな理由の一つなのだと思う。
現在は、種銭があったら、誰でも資本参加できる。
だから、もう労働者マインドは捨てたほうが良いと思う。
もちろん労働者が存在しないと世の中は動かないが、その労働で生まれた富を運用して儲ける。という発想が自然に定着しないと、資本主義的な豊かさを得るのは難しいと思う。お金を生み出すのは労働者に任せて自分は運用する側に来る。と考えることだと思う。
幸にして若い子たちは、このままでは将来には期待が持てないので、利口な子は、資本家的考え方をどんどん学んで、種銭から地道に資本を増やして、すでに多くの富を得ているものもいる。
金持ちになれる人からどんどん金持ちになって欲しい。
まあ、それは絶対的なものではなく選択の問題だけど。
質素に、人を使わず、人から使われず、自分の時間で生きていくには金がいる。年金や国の補助に戦々恐々とするのも惨めだ。
それを避けるためは、時間的に自由になれる資本家になることだ。
まあ、全てを捨ててヒマラヤでヨギをやるのも手だが、色々と選択肢があるのは、楽しい。
そういう世の中に生きれて自分は幸せだ。
※写真は1930年中国の青島に駐在していた商社マンたち。
祖父の同僚。商売だけでなく諜報活動にも従事していたらしい。