コピーは自分の中にあるものからしか書けない。自分を変えるためには、自分の置く場所を物理的に変えることだって気づけた。 〜太田恵美さんインタビュー(前篇)〜
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【そうだ 京都、行こう。/JR東海】
京都✗自分とは違う人に憑依
「そうだ 京都、行こう。」のコピーで有名な太田恵美さんは京都生まれ、京都育ち。小学校からミッション系の学校を経て、東京の大学に進学します。世の中の仕組みに興味があったから社会学を専攻。広告に興味を持ったのも、世の中の仕組みがわかるかもしれないと思ったから。雇用均等法が施行される12年前で女性の就職先といえば、先生か公務員、専門職しかない時代。頼まれて初めてやったアルバイト先でTCC年鑑や宣伝会議の存在に触れ、大学4年生の夏休みで時間があったから、コピーライター養成講座に通ってみたら、たまたま講師に褒められ、ついこの道が向いているのではないかと思ってしまいます…。僕が電通の新入社員の頃から、近くの席でバリバリにコピーを書いていた太田さん。改めてコピーについて、考えることについて聞いてみたく、インタビューをお願いしました。
----その養成講座で講師に褒められたコピーってどんなのでしたか?
太田恵美さん(以下、太田)それがね、課題が丸石自転車の「ピエール・カルダンのデザインした自転車」。それに対する私のキャッチフレーズは「ブティックで見つけた自転車」。笑 50年ほど前ね。当時、ブティックという言葉が出始めた時だったから、そこがよかったみたい。キャッチフレーズは褒められたけど、ボディコピーは全くダメダメと言われて佳作止まり。これを自分には伸びしろがあると勝手に思い込んで、専門コースまで通って、コピーライターとしての就職先を探したら、年収75万円の会社に採用された、年収ですよ。本当はあるファッション企業の出版部に内定もらってたんだけど、そっちは入社式当日にブッチして。ただし、お金はなかったから、社会人になったのに親から仕送りしてもらう生活でした。
----電通との縁はどうやって?
太田 あまりにもお金がなくて別の会社の採用試験を受けたら最終審査まで残ったたんだけど、女性が2人だけだった。ところが、労働組合から女性を時間外勤務させてはいけないと苦情がきて、それで不採用に。フラフラしてたら大学時代に一緒に音楽をやっていた電通のコピーライターから、モーレツに忙しいから手伝ってくれないかと連絡が来た。それまでの仕事をまとめて会いに行ったら、電通では社員としては採用できないけれど、別の会社に籍を置いてそこから給料をもらって、普段は電通で働いてくれればいいとなったの。
----なるほど。僕が入社した時の太田さんの立ち位置ってそういうことだったんですね。話は突然JR東海京都キャンペーンになります。あの時は僕も別チームでJR東海を担当していました。
太田 そうよね。水口さんは三浦武彦さんの元でエクスプレスキャンペーンをやっていました。京都キャンペーンは当初「遷都1200年記念」ということで競合プレゼンだった。有名タレントを起用するような案を提案したりしたらしいんだけど、クライアントからは絵葉書みたいな写真で京都の魅力を伝えるものにしてくださいって再提案の依頼がきた。そこまでは私はチームに入っていなかったけど、CDの佐々木宏さんが、太田さんが京都出身だから入れちゃおうよということになった。京都出身でも、やっぱりありふれた京都の風景写真しか知らなくて悩んでたら、数日前に美容院で読んだ家庭画報の表紙を開いたところにあった写真を思い出した。それは蓮華寺の紅葉の庭を屏風画のようにパノラマサイズで撮影したものでした。それが印象派の絵のようで、実は初めて京都っていいなと思ったとメンバーに伝えたら、それだ!ってことになり、提案したら見事電通チームに決まったの。
----最後まで争った博報堂チームが「電通は本当に絵葉書で提案してきやがった」って、悔しがっていたと聞いたことがあります。
太田 JR東海の当時の役員が電通の提案物が壁に貼ってある会議室に入ってくるなり「これだ!これで決まり!」と。笑 私が40歳になってから京都キャンペーンが始まりました。こんな風に言葉とガッツリ向き合える仕事に、その歳で出会えたのはラッキーだった。
----そこで年間何十本もコピーを書かなきゃいけないという状況になり、限界を感じたわけですね。
太田 コピーは自分の中にあるものからしか書けない、結局は。自分が体験したことや、思想や思考はある意味固まっている。左側に京都があって、その右側に自分がいて、さらに右に答えがあるとしたら、真ん中の自分が変わらない限り、答えはいつも同じになる。例えば、仏像ひとつとってもいろんな見方はあるのに。結構焦り、自分を変えなきゃいけないことに気づき、一番わかりやすいのは自分の置く場所を物理的に変えることだって思ったの。宇宙からこの京都を見た時の桜ってどう見えるんだろうって。たまたま五体満足で視覚も聴覚もあるから動いてみようと。
----都バスに乗って荒川の土手まで行ったんですね。
太田 そう、普段の自分では絶対に出会わない人に会う。それには東京の隅々まで行ける都バスはちょうどよかった。読む本だって同じ。自分の興味あるものだけ読んでるとダメ。何かのきっかけで普段は手を出さないような本を手にとってみる。そうすることをコツとしてつかんだような気がします。
----それは京都の仕事があったからですか?コピーを書かなきゃという差し迫った事情がそうさせた?
太田 私たちって商品が運良く変わっていくじゃない?ジュースについて書いたと思ったら、カゼ薬について書いたり、ベビー用品について書いたり。自分が変わらなくても答えのほうが変わってくれたりする。マーケットが違うわけだから。だからわりかしスイスイと上手にこなしていける。なかには同じ商品でも器用に次々と企画を出せる人もいたりするけれど、私は持って生まれた才能があるわけじゃないから、そんなに書き分けられない。それなら、日本酒好きなおじいさんになったり、子育てする女性になったり、自分を変えていくことしかないなって気づけた。
----それは相当憑依する必要があります。例えば太田さんは子育てしたことない。どうやるんですか?
太田 本によって旅にでるんです。本を読むって、自分のことを知りたくて読むんじゃなくて、自分じゃないものになるために読む。自分探しじゃない、自分なくしのため。自分の延長線上では絶対にありえない人の話を読む。私はそういうことが好きだったし、憑依することが好きだったから全然苦じゃない。
----そうですね。広告やってて一番おもしろいのは、いろんなことについて深く知れることかもしれないですね。
太田 そう、それがどうやって人の幸せに結びつくのか、なんでこんなにも仏像をじっと見ている人がいるのか、そんなことを知れるのがいい。
(後篇につづく)
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