【双子】 欧米の法律が優れていたから日本でも取り入れたと学校で習うが、実際は日本には合わない役に立たない法律を押し付けられたものだ。 【阿弥陀仏】 キリスト教と人権思想 【一毛不抜。人権思想】 個人主義vs博愛主義。勝ったのはどっちだ? 犯罪者を逃がしたくて逃がしたくてたまらない人権思想 【尊属殺】 尊属殺違憲判決と子どもの人権
【双子】
検察「防犯カメラに犯行の一部始終が映っており、被告が犯人であることは間違いありません。」
裁判官「防犯カメラに映っているものの、映像が被告のモノマネをしているそっくりさんのモノマネ芸人ではないと断定するには疑いが残る。」
検察「DNAが一致しました。」
裁判官「DNAが一致するものの、被告の生き別れの双子の兄弟である可能性を否定できない。」
被告「私は双子ではありません。」
裁判官「双子ではないものの、それは未知の技術を持った宇宙人が被告の知らない間に作った遺伝子複製体であるかもしれないという推論を妨げるものではない。」
(´・ω・)「そんな…これ以上どうしたらいいんだ…。」
欧米の法律が優れていたから日本でも取り入れたと学校で習うが、実際は日本には合わない役に立たない法律を押し付けられたものだ。
日本の法律を勉強すると、江戸時代以前の日本の歴史は出て来ず、イギリスのマグナカルタ、アメリカ独立宣言、フランス革命など外国の歴史の説明から始まっています。
江戸時代以前の日本の法律は儒教(孔孟学)や商鞅韓非子などの信賞必罰の東洋の法家思想、仏教や神道などの考え方が元になって作られていたと思います。
天壌無窮の神勅、十七条憲法、大宝・養老律令、御成敗式目、公事方御定書などの昔の法律を日本史では習いますが、それらの法律や考え方は全くでてきません。
普通に考えれば日本の法律なら昔からのそれらの考え方をベースに欧米の法律にいいところがあればそれを取り入れて作るべきなのではないでしょうか?
それら日本の考え方が全否定されるほど、西洋の法律の考え方は格段に素晴らしいものだったのでしょうか。(そして現代の法律が日本史上最高の法律なのでしょうか?)
「明治維新で文明開化と同時に西洋の法律を取り入れた!白人は産業革命を起こした優秀な民族であり、法律も日本の江戸時代の法律とは比べものにならないぐらい優れたものだった!」と学校で習うと思います。
世界中を植民地にして搾取した資源と労働力を元に産業革命を起こし、鉄道や蒸気船などの進んだ技術を手に入れた白人。
江戸時代の人は白人のもたらした鉄道、蒸気船、ガス灯、電信など進んだ科学技術に度肝を抜かれたでしょう。
洋の東西を問わず、便利なものは便利なので、それらを取り入れることができたのは良かったと思います。
科学や理系の学問は地球上で物理法則は同じなので進歩しているものは進歩していると言え、共有しても問題は生じないです。
しかし法律などの文系の学問はその人種の性格、精神構造に大きく関わってくるものなのです。
白人は大陸の極西、やや北方に源を持ち、小麦やじゃがいも、肉を主に食べて暮らしており、性格もそれに合わせて個人主義の傾向があります。日本人は極東の温帯で肉をほとんど食べず米を食べて暮らしており、集団主義の傾向がある民族と言えるでしょう。
(´・_・)「個人主義の対義語は集団主義。全体主義という言葉は人権派がイメージを悪くしてるけど、自分勝手と他人への思いやりだったら思いやりあるほうがいいよね。」
白人が描く抽象画や現代アートは日本人にはあまり価値がわかりません。
イギリスは飯が不味いと言われますが、食べ物にはあまりこだわらない民族性なのでしょう。
他にも目で表情を表す東洋と口で表す西洋との絵文字の違いなど、同じ人間なので共通するところももちろんありますが、性格、民族性の違うところもかなりあるように思えます。
戦前にも「西洋のものはなんでも素晴らしい!西洋のものはなんでも取り入れよう!」という人がいて「漢字を廃止しよう!」「ローマ字を取り入れよう!」「英語を公用語にしよう!」などということも議論されていたみたいですが、それはさすがにやり過ぎだろうということでやめたみたいです。法律も導入するのはやめたほうが良かったのでは?
白人はキリスト教や人権思想、死刑の廃止やヴィーガンの肉を食べない習慣、クジライルカ漁の禁止など自分達の考え方をやたらと押し付けてきます。
中国やイスラムを侵略的だと思っている人もいるみたいですが、彼らはそんなことは全くしてきません。
白人は自分達の考えが世界で一番正しく世界中の人間はそれに従わなければならないという侵略的な精神性をどうも持っているようなのです。
最初に押し付けられたのが明治なので、「明治は戦争で負けたわけでもないし、自分から取り入れたんじゃないの?」と思うかもしれませんが、「欧米の法律を採用しないと一流国として認めないぞ!科学技術を教えないぞ!」という圧力に屈したのかもしれないし、アヘン戦争で清国が負けたのを見て戦ってもムダだと思ったのかもしれないし、薩英戦争、下関戦争の時点で半分乗っ取られていたのかもしれません。
高杉晋作が古事記を暗唱して領土割譲されずに乗り切ったという話がありますが、イギリスがそんなに甘いわけはないでしょう。
それだけ敗軍の将を持ち上げるということは利用価値があるということ。
その後長州は賠償金も払わず幕府に押し付けた。
山口県対日本が戦って山口県が勝ったとか、うーん、半分乗っ取られていたのではないでしょうか。
憲法の発布を絹布の法被がもらえると勘違いしたのは日本人がバカだからなのではなく憲法が日本には必要ないものだからなのではないですか。
教科書で習うのは日米修好通商条約でそれまでの日本の法律は「刑法が十分に整備されていなかったので」治外法権を押し付けられ、その後西洋の法律を導入して運用できるようになってから撤廃されたということ。
これはつまり犯罪者に甘い西洋の人権思想に基づく法律を押し付けられたということです。
自国で裁判する権利を回復した!やった!みたいに言われてるけど、自国で裁いてはいるが、日本人が日本人の考え方の法律で裁くことができなくなり、白人の考え方で作られた法律で裁かなければならなくなったということ。
それなら今のイスラム教の国が「属人主義」でイスラム教徒は伝統的なイスラム法で裁かれ、それ以外の人は別の(おそらく白人好みの)法律で裁かれているみたいに日本人は日本人の考え方で裁かれ、白人は白人の法律で裁かれる治外法権のままのほうが良かったんじゃないの。
その後中体西用(儒教の政治体制+西洋の技術)の清に和魂洋才(政治体制も西洋化)の日本が勝ったとかプロパガンダくさい説明がされるが、選挙制度や議会制を取り入れることで国が強くなるわけはないから、もしかしたらいち早く西洋の子分化したことで白人社会で中国よりも日本が優遇されたのかもしれないが、日本が勝ったのは単純に日本人が戦争に強いからだろう。
しかし最初優遇されて後になって叩き潰されるのは最近の中東でも同じようなものを見た気がするが。
【阿弥陀仏】
裁判官「復讐からは何も産まれません。憎しみを捨て、心を穏やかにして加害者の過ちを許し、その幸せを神に祈りなさい。アーメーン」
( ・ω・)。oOばひつくていにも劣るやつら、生きたまま生魚が食べたい。
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(´・ω・)「日本人の感性に合うように少し判断を変えてもらえないでしょうか。」
訟務検事「欧米の価値観より優れた日本の価値観など存在しねぇえええええ!!!」
弁護士「『汝の親の仇を愛せよ恋人を殺されたら妹を差し出しなさい』が近代法の原則です。宇宙創造神を疑ってはいけません。」
裁判官「そんなことをしたら私が死後白人様の天国に入れていただけなくなるでしょう。却下します。」
―死後―
最後の審判「裁判官の白人の天国への入国を許可する。」
裁判官「やったぜ。」
裁判官「私は生前日本人に白人様の理念をさんざん叩き込んでやったから天国でもきっと上の位にしてもらえるぞ!」
裁判官「ここが天国か!酒池肉林はどこですか?」
白人「あっ、来た来た。これもって。」
裁判官「ここが酒池肉林ですか?ん?つるはし?」
白人「今拡張工事中だからがんばってね。」
裁判官「いやいやいや、私は生前日本人に白人精神をさんざ叩き込んでがんばったから。そういうのは非改宗者にやらせて下さい。」
白人「ここは天国なんだから非改宗者はいないよ。白人じゃないのに天国に入れてもらっただけでありがたく思えよ。で、白人の天国で白人じゃないやつが奴隷労働やらなかったら誰がやんの?」
裁判官「」
白人「この現場が嫌なら他もあるけど、この天国には大航海時代の時の先輩もたくさんいるからオレは優しいほうだよ。」
裁判官「阿弥陀仏を呼べ!阿弥陀仏はどこですか!?」
阿弥陀仏「はい」
裁判官「オレを日本人の天国に行かせろ!」
阿弥陀仏「ぼくもたいていの悪人なら大丈夫なんですけど、さすがに売国奴はムリですね。」
キリスト教と人権思想
明治で民主主義というシステムを導入した!民主主義はいままで権力者が勝手に作っていた法律を国民が自らの手で作れるものだ!なのでこれからは日本国民好みの法律をバンバン作れるぞ!と習ったかもしれませんが、では現代の法律は江戸時代の法律よりも日本国民好みの法律になっているのでしょうか。どうやらそうではなく、民主主義は白人の考え方が抱き合わせでセットになってついてくるみたいです。
そもそも日本は単一民族国家なんだから権力者の考え方も国民の考え方も同じじゃないの
武士も公家も贅沢せず質素に暮らし、国民のために働いていたのになんで無くす必要があったんだろう。
反日は一方で室町や江戸時代の天皇が貧乏だったことをバカにするが、君主が清貧であることは理想的な国なのではないだろうか。
白人の法律は「悪人を許しなさい」「全能の神ではないただの人の集まりにすぎない国が人を裁いてはならない」というキリスト教の考え方と「国家権力(国民の団結)は魔女狩りをするような暴力装置だからできる限り弱体化させて、厳しく監視しなければならない」という人権思想という考え方に沿って作られています。
「汝の敵を愛しなさい。右の頬を叩かれたら左の頬を差し出しなさい。」という言葉がありますが、これは単に他人に優しくしましょうというものの例えではなく、本当に凶悪犯罪者を許しなさいという考え方なのです。
「悪を許さない」「被害者がかわいそう」という正義や道徳は何よりも大事な当たり前のもので、もちろん法律にも反映されているに違いないと日本人は思っていると思いますが、人権思想はそんな正義や道徳よりも個人の国家からの独立の方が大事だという考え方なのです。
キリスト教の元々の教義にはいいものもあるみたいですが、盗まれたものを「あげたものです」と言って泥棒を許す美談など、妙に犯罪者に甘いキリスト教圏のエピソードは私が「日本の法律って全部外国の考え方でできてるんじゃね?」と気付き始めたきっかけになったもので、分かりやすいので(人権思想の説明をしても分かってくれない人がたくさんいる)そのままにしておきます。
キリスト教が死刑反対運動の先頭に立っているところを見るとキリスト教も人権思想に影響されて教義がだいぶ変わってきているみたいなので「日本の法律が犯罪者に甘いのはキリスト教の影響」と言っても別に間違いではないと思います。
【一毛不抜。人権思想】
裁判官「その昔ヨーロッパで東洋型世襲君主制を模倣していた時代、民衆は徳治思想を持たない王家の圧政にあえいでいました。白人様は決然として市民革命を起こされ、自国の王を弑逆して囚われていた犯罪者達を解放し、二度と悪人が犯罪を犯しても取り締まりをすることがないように城下の盟に誓わせて神が生まれながらにして当然に与える個人権を獲得されました。市民の手で王族を皆殺しにしたこともない日本人が犯罪を犯しても罰せられない自由をただでもらえたんだからありがたく思いなさい。いつかあなたが犯罪者になったときもなんの罰もあたえないんだからそれでいいでしょう。全能の神ではない人間が人を裁いてはならないのです。アーメーン」
( ・ω・)。oOきんじゆうにも劣るやつら、じゆうぞくをりくめつしたい。
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(´・ω・)「日本人の道徳や常識に合うように少し判断を変えてもらえないでしょうか。」
訟務検事「国や法律に道徳性を求めるほうがおかしい。『自分さえ良ければ他人がどうなろうが構わない公共のためには脛の毛一本むしる労力すら惜しい』というのが近代人権思想です。それに日本人の道徳性なんかが復活したら早く戦争を終わらせるための慈悲で原爆を落とされたアメリカ様を逆恨みするやつが出てきて第三次世界大戦になるでしょう。国民の生存を外国に委ねることを決意した憲法前文に反する。」
(´・ω・)「道徳的な国家体制そのものを否定するのは天壌無窮の神勅に反しているのではないでしょうか。」
弁護士「国の捜査権や処罰権を拡大したら魔女狩りや初夜権や異端尋問や奴隷売買やポグロムやユダヤ人迫害やスターリン時代の粛清や日系人強制収容やインディアン虐殺やタスマニア原住民族絶滅が復活するでしょう。これだから歴史を知らないやつは。」
(´・ω・)「全部白人の悪行じゃんってつっ込んだらダメなの?」
裁判官「そんなことをしたら私がルメイ将軍と同じ旭日章をいただけなくなるでしょう。却下します。」
―死後―
最後の審判「裁判官の白人の天国への入国を許可する。」
裁判官「やったぜ。」
裁判官「私は生前白人様の世界支配のために日本人の道徳性を壊滅させたから天国でもきっと上の位にしてもらえるぞ!」
裁判官「ここが天国か!酒池肉林はどこですか?」
白人「あっ、来た来た。これもって頭の上にのせて。」
裁判官「ここが酒池肉林ですか?ん?リンゴ?」
白人「今天国でナイフ投げが流行ってるんだけど、うごかなかったら多分当たらないと思うからじっとしててね。」
裁判官「いやいやいや、私は生前日本の仏教神道を衰退させてがんばったから。準聖職者と言っても過言ではないでしょう。そういう冗談は功徳の浅い下層信者にして下さい。」
白人「白人じゃないのに天国に入れてもらっただけでありがたく思え。白人の天国で白人じゃないやつが体はらなかったら誰がやんの?」
裁判官「ルメイ将軍はどこですか!ルメイ将軍助けて下さい!」
ルメイ「はい」
裁判官「私はあなた様の指示通り日本の武士道精神を壊滅させました。もう白人に逆らおうとする日本人はいません。褒美に名誉白人準聖職者贈日本総督にして下さい!」
ルメイ「よくやった。褒美にあげよう鉛玉を。」
裁判官「やったね!」
市民革命
市民と言えば大阪市民のような「都市の住民」をイメージするだろうが、検索したら「市民とはブルジョア、資本家のこと」と出て来てイメージが全然違うぞ。つまり大航海時代の植民地経営で大儲けし、強大化した資本家(大商人)が商売に邪魔な王制を倒したということか。わざと「都市の一般住民が革命を起こした」と思わせるように本質が分からないように訳しているようだ。
個人主義vs博愛主義。勝ったのはどっちだ?
>公共のためには脛の毛一本むしる労力すら惜しい
一毛不抜 いちもうふばつ
中国の孟子の時代に人気のあった思想家で楊朱という人がいた。楊朱は極端な個人主義で、
孟子曰く、楊子は我が爲にす。一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。
「もし髪の毛を一本抜く程度の自己犠牲で世界が救われるとしても楊子は絶対にしない。」と評された。
もう一つ人気があった墨翟の一派は防衛に特化した高度な戦闘技術を持った集団で、戦争が起こると縁もゆかりもない外国の防衛を買って出て、落城すると責任を取って自決するなど極端な博愛主義者だった。
墨子は兼ね愛す、頂(いただき)を摩して踵に放(いたる)も、天下を利するは之を為す。
【摩頂放踵】 まちょうほうしょう
頭の先から踵まで磨り減らしても人のためにがんばる
墨翟の一派は中華が統一され戦乱の時代が終わると共に極端な考え方は支持されなくなって消滅し、最終的に中庸の儒家(孔孟学)が勝利した。
人権派と議論してた時に「昔の中国にも人権思想と似た思想があった。」って言ってたけど、この楊子のことかな。
こんなのが人権派の理想なのか。
先の大戦では1000年に一度の戦争で現実に絶滅させられそうになったから仕方ないが、殉忠至誠などの極端な自己犠牲の考え方がもてはやされた。
(しかし日本は島国で単一民族国家だから大陸より博愛主義でも報われることは多いかもしれない)
その反動で現代のように個人主義に走るのも必然だが、極端な個人主義も人間の本性から外れるから嫌気がさしてやがて儒教(自分や家族を大事にしたうえでの道徳主義)に戻ってくることも必然であると孟子は予言している。
墨(博愛主義)を逃るれば必ず楊(個人主義)に帰し、楊を逃るれば必ず儒に帰す。
なので道徳教育のために教育勅語を復活させようという運動があるが、それよりもまずは論語を学習するべきだ。
教育勅語よりも論語を推す理由。
論語は軍国主義ではないから反戦団体が文句を言えない。友達に語っても引かれない。
子貢、政を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ずやむを得ずして去らば、斯の三者に於いていずれを先にせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ずやむを得ずして去らば、斯の二者に於ていずれを先にせん。曰わく、食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。
政治に大事なのは軍事、食糧、民との信頼関係の三つだが、大事な順番は信頼、食糧、軍事。
仲尼曰はく、「始めて俑を作りし者は、其れ後無からんや。」
孔子は人を象った埴輪を土に埋める風習を、人間の尊厳を踏みにじるものだと激怒した。
論語は教育勅語などの元になっている。
我が國の稜威(みいつ)振るわざることあらば汝等能く朕と其の憂いを共にせよ。我が武これ揚がりて其の榮を耀さば朕汝等と其の譽れを偕にすべし
『軍人勅諭』
「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」
『孟子』
漢文として学校教育で少し習うから、その延長でできる。書道で書く題材にも適している。
論語は短いから朝の時間に一日一つ紹介するなど、正規の時間外の学習が容易にできる。
日中韓に共通する文化だから友好行事にかこつけることもできる。江戸時代以前はわりと仲良かったのだから無理に未来思考にする必要はない。
有史以来戦前までの日本の知識人、歴史人物はみんな読んでいるから日本史の学習にも欠かせないものだ。
神儒一致論
三種の神器はそれぞれ智仁勇の三徳を象徴するものとされた。
智、仁、勇の三者は天下の達徳なり
『中庸』
知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず
『論語』
犯罪者を逃がしたくて逃がしたくてたまらない人権思想
黙秘権、身体刑の禁止、拷問の禁止、時効、自白を証拠にしてはならない、警察の民事不介入、疑わしきは被告人の利益等、これらの人権規定を学校では進歩したすぐれた制度として教わります。
社会科の先生は「悪辣な警察に冤罪で捕まらないための素晴らしい制度だ」と言います。
そう言われると、学生はもちろん真犯人はちゃんと捕まえた上で且つ冤罪を完璧に防ぐシステムだと思うでしょう。
しかし実際は「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」と言う法格言があるように冤罪を完璧に防ぐためにはいくら真犯人を逃がしても構わない。
9割疑わしくても無実の可能性が少しでもある人に罰を与えたり捜査、取り調べ(民事の尋問なども)をすることすら許さない。その原則を守るためには犯罪者をいくら逃がしても構わないという冤罪防止(犯罪者擁護)のみに極振りした頭おかしい考え方。
日本人の常識感覚なら冤罪被害者(が存在するのであれば)の苦痛と犯罪被害者の苦痛を足した総和を最小にするように警察権と人権の緩急を設定するべきだと思うだろう。
国が加害しなければよそで加害行為が起こっていても知らないというのは自分の手さえ汚れなければいいということなのだろうか。
証拠がなく疑わしいぐらいで捜査、尋問するのが人権侵害だっていうならその捜査をするために必要な最初の証拠はどうやって入手したらいいんだろう。
泥棒や強姦魔が捕まって取り調べしたらいままで捕まってなかった余罪が何百件あったとかわけわからんことになってるのはそのため。
殺人や傷害みたいな証拠が残りやすい犯罪ならまだいいが、もっと証拠が残りにくい種類の犯罪はやりたい放題になるのでは?
ヤンキーみたいなやつが得をして真面目に生きているやつが損をするのは「どんな世の中でもそういうもの」なのではなく、現代が人権教が支配する世の中だから。
(´・ω・)。oOもしかして常時録画録音してない限り犯罪者捕まえるのって無理なんじゃね?
実際に事件に巻き込まれてみるとこれら人権規定が被害者の救済を甚だ困難にし、ただ犯罪者を野放しにするだけで日本人が望む社会正義と相反するものであるということが分かると思います。
(´・_・)「でも冤罪防止が目的なら取り調べでウソをついたり証拠を隠蔽する権利が認められてるのはおかしくない?冤罪防止のためなんだったら疑わしい人はむしろ徹底的に調べてもらって無実を証明したほうがいいんじゃないの?」
人権派は「警察の違法な取り調べに対抗するためにはウソをつき証拠を隠蔽する権利も必要だ!検察は全力で有罪にしようとし、弁護士は全力で無罪にしようとすることで真実に近づくんだ!」と言うが、民事では警察は関係ないし、冤罪か否かに関わらず真相を闇に葬ってしまおうというわけだから、さすがにそれは苦しい。
実はこの「冤罪を無くすため」という大義名分すら人権派にとってはただの方便に過ぎない。人権派の真の目的は国家(権力)の解体なのだから。
【尊属殺】
(´・ω・)「でも虐待被害者を救った尊属殺違憲判決とかあったし、おじさんたち本当は日本人の心を持った正義の味方なんでしょ?」
訟務検事「オレたちが正義の味方?クックックッ、教えてやろう。アメリカ様を守護するために結集した我々が最も恐れていたのは日本の家族制度だ!」
弁護士「天皇を中心とする家族制度!これが残っていてはアメリカ様の脅威はなくならない。尊属、つまり先祖を崇拝する心が残っていてはその先祖を惨殺したアメリカ様は復活した日本人にいつか復讐されるかもしれない。どうやっても破壊しなければならないものだ。」
裁判官「我々は子どもが虐待で殺されようがいじめで自殺しようがそんなことはどうでもいいんです。止める法律作る気ないしね。尊属殺重罰は違憲、再婚禁止期間非嫡出子の相続分変更で家族の絆を無くしてしまえ!あなたと家族は他人です、見たこともない先祖なんてもっと他人なんです!ウソつき放題のスーパー黙秘権で言霊信仰も破壊してしまえ!さあ、お前の周りのどこに犯罪者がいるかわからないぞ。憎しみ合え、もっともっと憎しみ合うのだ!」
尊属殺違憲判決と子どもの人権
裁判の話題でまとめによく出てくるのがこの尊属殺違憲判決の話。
というかこれと戦前の大津事件しか話題に出てくることはない。
尊属殺違憲判決
虐待を受けていた娘が親を殺し、親殺しを重罰にする規定がなくなった話
大津事件
ロシアの圧力をはね除けてロシア皇太子を襲撃した犯人の死刑を回避するという話
裁判官が立派で粋な判決した裁判例2個しかないの?
工作員が大量にわき、「儒教の価値観はおかしい!」「裁判には日本人の常識が通用する!」「前例主義と言われるが、正義のために柔軟に前例を変えている!」「裁判所は児童虐待問題をなくそうと真剣に取り組んでいる!」かのように思わせようとするが、
しかしこれもよく見ると「虐待されていた子どもが虐待から救われた」「虐待していた親が法による厳しい罰を受けた」話ではなく、裁判でよくある「殺人犯が重い罰から免れた」話なのである。
事件後尊属殺重罰規定は無くなったが、もし裁判所が児童虐待問題に真剣に取り組んでいるんだったら、それよりもなんで大元の「児童虐待を早朝発見して重罰化しよう」という話にならなかったのか
人権派は児童虐待問題に取り組んでいるかのように見せかけて実際はたいして何もしておらず、虐待をイメージアップのためだけに利用している外道。児童虐待を「子どもの人権問題」と言うことがあるが、その「子どもの人権」と「憲法の人権」は何の関係もない。
人権教は教是である国家権力の解体の延長として小国家となりうる宗族、大家族制度を破壊し修身、斉家、治国(地域のまとまり)、平天下(国)の全てを行えないようにして強制的に核家族、個人主義社会にしようとする。
人間関係を核家族、友人関係のみに限定して商品、サービスの売買以外で助け合うことができないようにするのが資本主義。そして児童はお金を持っていないから資本主義のシステムでは児童虐待問題を解決することはできない。
(´・ω・)「児童労働の禁止って、子どもが搾取されないようにっていう建前だけど、親と教員以外の大人との交流の機会、社会参加の機会、学校よりも仕事のほうが向いている子どもの居場所を奪ってるよな。搾取されるのが心配なら搾取されないように工夫したらいいだけだろ。」
人権教に支配されたマスコミはマザコン、こどおじ、子どもの問題に親が~など最後に残った核家族の人間関係すら破壊するための宣伝を次々投下してくる。しかし本当に死にそうなほど困った時に家族以外の友人や会社、役所や資本主義のシステムが自分を助けてくれるだろうか。
儒教の考えが虐待を助長しているかのように思っているやつがいるが、親子の愛は仁の心の源泉であり儒教で最も尊ばれているものだ。むしろ道徳や家族、地域社会の関係を無視する人権教(現代教)のほうが虐待を作っている。
人を使うに道を以てせざれば妻子に行う能はず
『孟子』
道徳的な態度、やり方を心掛けなければ妻子を動かすことすらできない
虐待親は「しつけのため」と暴力を正当化することがあるが、儒教ではそもそも親が子にしつけをしないらしい。
古へは子を易へて之れを教ふ。父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥これより大いなるは莫し
『孟子』
昔の親は他人と子どもを交換してそれぞれしつけをした。親が子どもをしつければ怒りの感情が生まれ、親子の絆が損なわれてしまいそれよりも悲しいことはない。
(´・_・)「よその大人を不審者扱いして子どもに関わらせないようにして、親は子どもを殴ろうが罵倒しようがお構い無しの現代日本と真逆だぞ。」
儒教でも普通に無道な親には諫言し、暴力からは逃げることが奨励されている。
親の過ち大にして怨みざるは疎んずるなり。小弁(人名)の怨むは親を親しむなり。親を親しむは仁なり。疎んずるは不孝なり。
『孟子』
過ちを犯した親を恨んだり諫めたりしないのは不仁であり不孝だ。
道に従いて君に従わず、義に従いて父に従わざるは、人の大行なり。
『荀子』
親よりも正義に従うべき時もある。
現代の虐待親は外面がいいことが多いのだから、子を慈しむことが奨励され密な地域のまとまりがあった近代以前の環境なら虐待しなかったのではないだろうか。
例えば五人組は左翼史観では反乱を起こさせないために密告し合い連帯責任を負わせるろくでもない組織というように習うが、普通に親睦を深め助け合い団結するための組織でもある。
人間は自分より偉い人がいない場所では調子にのる。人権教の平等社会では親より偉いやつがいないから虐待が起こる。儒教社会なら本家や名主、武家や封建領主、僧侶神官、同列の他人でも長幼の序など自分より上の権威が必ずあるのだから牽制して己を律するだろう。
泣く子と地頭には勝てない
鎌倉時代の日本人にとって子どもに泣かれることは権力者に怒られることと同じぐらい怖いことだった。
戦後の家制度の破壊や最近のLGBTの権利獲得など、人倫、伝統の破壊が人権教の教是。
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