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恨まれる覚悟

先日、ようやく仕事が決まった。来週から週5日の日勤勤務になる。そんなに働けるのか?この体が動いてくれるのか?全く自信はないけれど、流される様に働くほか、私が前に進む道はない。
しかし私は前に進んでいいのか?社会の一員として社会生活を送ってもいいのか?自問自答してみるが、少なくとも子供や生活のためにはお金がなければ生きていけない。

【7月25日、私はあなたの車を降りあなたの全てを無視して一切の連絡を断ちました。】
少しづつ社会の中に戻ろうとすると同時に、改めて私自身がしてしまった事の重大さに恐ろしくなる。

基本的な人間関係において、突然全ての連絡を断ち、全く無視、既読なしの状態は、やはり間違っているだろう。どれだけ憎い人に対してでも消息が分からなくなれば、“事故に遭っていないか?” “いきているかな?”などと生死やその状況を心配して思い悩むだろう。付き合っていた関係なら、尚更だ。どんなに喧嘩して別れても、彼は心配してくれる人に違いないのに、それを考える事すら出来なかったのが、あの日の私だった。

あれからまもなく2ヶ月になる。
私が彼にしてしまった卑劣な行為、そしてそれを続けている事に対しての恐ろしさが私に襲いかかる。過ぎる時間の中でいたたまれなくなる。しかしそれは私が犯した罪の罰なのだ。

【愛とは、求めるのではなく与えること】
彼はそう言っていた。彼は全力で私の望みを叶える様に努力してくれていた。なのに私は、彼に苦しみと絶望と憎悪を与え続けている。いつも彼が言っていた『お前は俺を愛していない』と。彼の言う通りだ。

初めて会った時、私は彼の目の奥に見え隠れする何かが気になった。知性や存在感、圧倒的な包容力の陰に、何かが隠されている。そんな気がした。そしてそれが忘れられず、そこに触れたくて、別れを繰り返しながらでも、私は彼と一緒にいた。そしてその奥にあるものは、弱さなのではないかと思う事があった。彼の“愛されたい”と言う思い。それに気がついた私は、私なりに精一杯愛してきたつもりだった。
しかし私は根本的に欲深い人間。それは彼と一緒にいる事で自覚した。嫉妬も強く、貪欲だった。欲しがるばかりで愛を与え続ける事は出来なかったのだ。


彼が私を憎んで、彼に生きる力が生まれるのならそれがいい。わたしはもう許されない人間だ。こんな残酷な事ができる私は、もう彼に何も求めてはいけないのだ。


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