素人の考古学―宮崎県(日向国)西都原古墳群巡り
歴史的な背景
日向古墳群は古代の謎を秘め続け、神話と古代世界が交錯する異空間である。その中でも西都原は「日本書紀」で天孫降臨した瓊瓊杵尊の定住地とされ、東征された神武天皇はその子孫とされている。
日向は宮崎県の中央部に位置し小丸川や大淀川、一ツ瀬川など主要な河川により海と通じており、弥生時代、北九州とは交流がなく、独自に朝鮮半島との交流が行われていた。
弥生時代から、古墳時代にかけて極めて在地的な文化が栄えた。
弥生時代末期から古墳時代初期にかけて、日向は畿内と密接な交流が行われており、大和王権の成立過程と深く結びつきながら展開した。
3c~7cにかけて古墳が盛んにつくられる。
日向西都原古墳群 319基 (宮崎県全体 870基)
西都原古墳群は、国の特別史跡で、一ツ瀬川の右岸の標高70mの台地にあり、南北4.2kⅿ、東西2.6kⅿに及び宮崎平野を一望できる。
➀古墳は3c末~7世紀前半にかけて作られたものだと考えられる。
➁前方後円墳の形が定まる以前の古墳時代前期に作られたと思われる南九州地方に多く見られる「柄鏡形類型」と呼ばれる前方後円墳の存在や、地域を統括する首長の墳墓とされる前方後円墳がほぼ同時期に形成されていることなどが西都原古墳群の大きな特徴である。
この中で典型的な13号墳、男狭穂塚、女狭穂塚、111号墳・4号地下式横穴墓、206号墳を紹介する。
1.13号古墳 4c後半
79.4x6.4m前方後円墳 3段築成 葺石 柄鏡式( 前方部が低くい前期古墳)
主体部 竪穴式 割竹形木棺 8.1ⅿ 3重に被覆 粘土槨
出土品:三角縁神獣鏡
2.男狭塚・女狭塚古墳 5c前半 宮内庁による陵墓参考地
男狭穂塚古墳 176ⅿ帆立貝形古墳(全国最大) 3段築成、2重周溝
女狭穂塚古墳 176.3ⅿ前方後円墳 (九州最大) 3段築成、造り出し
陪塚を持つ
出土品(陪塚):円筒埴輪、形象埴輪
5世紀前半に築造された南九州の盟主墳である。
3.111号墳・4号地下式横穴墓 5c後半
29.5ⅿ円墳
主体部:4号地下式横穴墓(南九州独特) 奥行5.45ⅿの大型玄室 5c後半
出土品:短甲・朱文鏡・刀剣・玉類・歩揺付金銅製品 (首長墓に匹敵する豊富な副葬品)
墳頂部に木簡直葬3基 6c初頭
日向の中央平野以南の地には、全国的にみても極めて特異な地下式墳という特殊な形式の墳墓が存在する。
・地下墓壙の構造は、竪穴の部分を真下に掘り下げ、さらに、玄室に向かっ
て横に掘り進むと一応形態が整うのである。
・その地下墓壙のある上部の地表面には、何らの表示物も存しない。
・内部は、床面は地表面から下に約2.7ⅿの所、その全室形態は、大体、南北
の方向に長方形状を呈しており、その規模も、長さ5.5ⅿ、幅2.2ⅿ、高さ
1.6ⅿとそれまで日向地方で発見された最高級の地下式墳である。(4号地
下式横穴墓)
・玄室内部の床面には、ほぼ中央部に幅45センチ、深さ10センチ、長さ
3.5ⅿの細長い割竹状の凹み床が認められ、そこが主体部としての屍床にな
っていた。
・副葬品は、この細長い粘土床に沿って葬られている。
・玄室内部に副葬品を埋葬した後は、入口の所を数十個の丸石で閉鎖、竪穴
の部分には、地表面まで土を埋め戻してある。
4.206号墳(鬼の窟) 6c末~7c初め
36.4ⅿ円墳 12.4ⅿ横穴式石室 木棺
二重の周堀とその間に高い外堤。2段築成
古墳の周囲に土塁を巡らしているのは中国・朝鮮半島ではよく見られるが、国内では石舞台古墳が類似するのみで、関係が注目される。
出土品:耳環・平玉・刀子・鉄鏃・金銅装馬具片・須恵器・土師器
この地方の最後の首長墓と考えられる。
西都原考古博物館があり、副葬品などじっくり見ることが出来た。
5.日向国府など
西都原古墳群の周辺に日向国府、国分寺、国分尼寺跡があり、この地が日向国の政治の中心地であったことがわかる。
以上
小兵衛
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