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素人の考古学ー北部九州装飾古墳3/8(石棺・石障系)巡り

(3)-1石棺系(福岡県 石人山古墳)

 全長約107mの前方後円墳 5c前半の築前方部幅約63m・高さ約11m 後円部径約53m・高さ12m、後円部3段・前方部2段築成で、葺石・埴輪・周溝を備える。
くびれ部にある小屋には甲冑を身に着けた石人が保存されている。埋葬施設は後円部中央に築かれた横穴式石室で、遺存状態が悪いため石室全体が覆屋で保護されている。玄室長さ約3.9m・幅約2m、内部に収められた凝灰岩製の妻入り横口式家形石棺には縄掛突起のほか重圏文や円文などの装飾が施されている。
磐井の祖父の頃の墓といわれている。国指定史跡

(3)-2石棺系(「福岡県 浦山古墳」

横穴式石室は、後円部の中央にあり、玄室に阿蘇溶結凝灰岩で作られた、妻入りの横式家形石棺を安置してある。石室の規模は長さ2.8m幅1.5m、高さ2m。石棺蓋は寄棟式に加工し、両側に各2個の環状突起を作り出してある。装飾は、石棺の内面の奥壁と両側壁に直孤文と同心円文。前壁の内外面に鍵手文を宣告している。石棺内面には赤色顔料が塗布されている。
出土物については、古くから開口していた古墳であるため詳細は不明であるが、勾玉・金環・刀剣・甲冑が出土したと伝えられている。
古墳の築造時期は、墳丘上で採集された須恵器の年代観から5c後葉が推定される。国指定史跡

(4)-1石障系(熊本県 井寺古墳)

 直径約25m・高さ5mの円墳 5c末~6c初頭 国指定史跡
南西方向に入口を持つ横穴式石室。玄室部長2.94m・幅2.47m・高さ3.08m、羨道部長さ1.08m・幅0.56m、玄室部は凝灰岩の切石を用いてドーム状に構築され、壁に沿って石障が設けられている。
石室内は赤色顔料が全体に塗布。石障や羨門、羨道側壁には線刻と彩色による装飾がある。
直弧文や同心円文、梯子文、柱状文、鍵手文などが赤・青・白・緑の4種の顔料を用いて塗り分けられている。出土品は鉄剣など。

(4)-2石障系(熊本県 千金甲1号墳)

 権現山の中腹に所在する装飾古墳。直径約12m・高さ3mの円墳。葺石を備える。
西側に入口をもつ横穴式石室で、玄室部長さ約2.7m・幅約2.6m・高さ約2.5m。
安山岩の割石を平積みにして構築。羨道部は埋没しているが、長さ約3~4mと推定されている。
1号墳の石室内に凝灰岩の板石6枚を使って石障がめぐらされており、その内側に靫、同心円文、対角線文などが刻まれ、赤・青・黄で彩色されている。副葬品は残っていないが、5cの築造と推定される。国指定史跡。

(4)-3石障系(福岡県 日輪寺古墳)

南北を軸とする前方後円墳で全長約50m。現在の墳丘はほぼ後円部のみで直径約22m、高さ約4m。石室はほとんど原型をとどめない。出入口は西側に開き、羨道は幅約0.75m、長さ2mと推定。
石障が側壁に沿って置かれている。この石障の上には赤色に染めた楕円形の礫石が多数発見された。石障は長さ2m、幅1.7m、高さ0.5mあり、阿蘇溶結凝灰岩と呼ばれる灰色の軟石を厚さ0.2mの板状に切り出して、切込みをつけ、四枚を組み合わせて形成されている。
石障の内側には奥壁と左右両壁の上半に鍵手文と同心円文、直孤文を交互に配置した線刻画が施されている。
刻線は細かく細いが深く、文様にはやや浮彫の感がある。鍵手文は直線を3本ないし5本組み合わせた本格的な表現である。
出土品は、石枕・勾玉・管玉・耳環・土師器・須恵器・漢式鏡など。
5~6世紀初頭築造。国指定史跡

   (博物館等の資料を参考に使わせていただいています)

    以上
   小兵衛

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