素人の考古学―東京都多摩川中流(砧・喜多見・狛江・三鷹)古墳群巡り
多摩川下流の荏原台古墳群の田園調布古墳群および野毛古墳群に続き、今回は多摩川中流である世田谷区の砧および喜多見、狛江市、三鷹市の古墳群14基を訪ねた(5~7世紀の円墳群)。
狛江地域にはかつて70基前後の古墳群があったようで、現在は十数基の古墳が主に民家の敷地内に保存されている。
この辺りは独立した政治の集合体であったが、やがて荏原台古墳群の政治体制に組み込まれていった。
1. 砧中学古墳群4号墳
この古墳群は砧中学校校内にあり、野川と仙川に挟まれた台地上に分布している。本古墳群は台地南縁沿いに10基内外(前方後円墳2基、円墳4基以上)から形成されていた、学校建設などのため次々に破壊され、現在はわずかに1基だけが現存している。
2. 喜多見稲荷塚古墳
円墳 径約13m、高さ2.5m
出土品は圭頭太刀、直刀、刀子、鉄鏃、耳環、玉類、土師器、須恵器、横穴式石室など多数。
古墳時代後期7世紀の砧地域の有力な族長墓かと言われている。
3. 喜多見慶元寺古墳
もともと8基あったが、慶元寺境内に3~6号墳の4基が保存され、うち3基は本堂裏の庭園内にあり非公開。
見学できたのは1基のみ。径5mほどの円墳で、隣の建物にかなり削られていた。
4. 喜多見第六天古墳
喜多見古墳群のなかの1基で、同古墳群で最大規模の円墳。
直径28メートル、高さ2.7メートルの円墳、周囲を幅約8メートルの周溝がめぐっていた。
埋葬施設が礫槨であること、埴輪が立てられていた、このことから、5世紀末~6世紀初めごろの古墳と思われる。
狛江市内の古墳マップ
狛江市南部を中心に分布する狛江古墳群は南武蔵の屈指の古墳群として知られている。総数70基余りが存在していた。
5. 狛江土屋塚古墳
東側に小規模な造出部を伴う造出付円墳で、周溝から出土した円筒埴輪片から築造時期は5世紀中葉と判明。
出土した埴輪の製作技術から、世田谷の野毛大塚古墳と同様に、狛江地域にも畿内王権からの影響を受けた集団が存在していたことが裏付けられた。
6. 狛江亀塚古墳
全長40mの前方後円墳または帆立貝形の古墳。
出土品 円筒埴輪、形象埴輪、木炭槨、石棺、銅鏡、金銅製毛彫飾板、馬具、直刀、鉄鏃、鈴釧、玉類 など多数。
狛江地域の首長墓と考えられる。
7. 狛江前原塚古墳
個人の畑の中にあってしっかり形態を維持している。この古墳のほかに7基で猪方支群を形成している。
直径20ⅿ、高さ2.4ⅿの円墳。幅4ⅿの周溝が巡る。6c前半。2基の主体部が存在。
8. 狛江緒方小川塚古墳
墳丘はほとんど削られていたが、横穴式石室が発見された。
直径約15ⅿ、高さ約3ⅿの円墳。7c半ば。
この石室は、多摩川流域でも数少ない貴重なもので、切り出し石材を加工しつつ積み上げていて、壁面を工具で加工された痕跡がみられ、巧みに組み合わせて造られたことがわかる。
9. 狛江経塚古墳
円墳で規模は 径40m、高さ5m。マンションが隣接しており、形はよくわからなかった。
10. 狛江兜塚古墳
円墳で 径38m、高さ6m 。
亀塚古墳からは高句麗的色彩の強い遺物が出土しており、帰化人系集団との関係が推測されている。
本墳も亀塚古墳と同じ集団を背景として、5~6六世紀頃に築造されたものと考えられている。
11.三鷹天文台古墳
国立天文台敷地から10基が発見されている。その中に全国で5基しか確
認されていない上円下方墳の1基がある。
墳丘は種類の異なる土を交互に突き固める版築によって構築されており、周囲には幅約7m、深さ約2mの溝がめぐる。
出土品は、須恵器、土師器、横穴式石室など 。
12.三鷹出山横穴墓群8号墳
出土品は、須恵器 平瓶など7世紀に焼かれたもの。10基が発見されている。
墓の入口である羨門はアーチ形の石組みで丈夫につくられている。内部は細い羨道と遺体が置かれた玄室とに分かれて、石が敷かれている。天井はアーチ形で、掘り道具の刃の跡がはっきり残っている。
玄室は、前室と後室に区切られ、4体の人骨が埋葬されていて、40代と30代の男性、20代の女性、8歳の小児。
以上
小兵衛
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