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素人の考古学―神奈川県多摩川右岸の横穴墓群巡り

 古代は多摩川をはさんで両岸は同じ武蔵国であるが、古墳の展開が異なっている。東京側の左岸は墳丘墓が下流から上流にかけて続いており、特に中流域に集中しているのに対して、川崎側の右岸は南部周辺に初期にはほぼ左岸に負けないほどの墳丘墓が築成されているが、中期以降は、墳丘墓は少なくなりバラバラに築成されている。また北部周辺に横穴墓が多く見られる。これはこの地方が屯倉に献上された影響か、首長クラスよりも豪農クラスが多く居住していたのではないかと考えられる。
 
①  荏子田横穴墓
横浜市青葉区にある荏子田横穴墓を見に行った。
昼は暑いので夕方4時に家を出て6時半帰宅。
東急田園都市線あざみ野駅を降りて、徒歩20分くらいの丘陵地の公園の中にあった。

横穴墓は全国に3万5千基見つかっており、内神奈川に3千2百基あり、全国でも有数の密集地である。

墳丘墓が作られなくなり、6世紀末から7世紀にかけて横穴墓が作られた。
はじめは首長クラスのものであったが、村長クラスまで普及していった。

残念ながら施錠されていて中を覗くことが出来なかった。

(荏子田横穴墓)

この古墳の特徴は、玄室規模が大きく、高さは2メートル以上ある。
また家形横穴墓は、内部の天井や壁に家形の陽刻がある。

参考写真によると、切妻妻入り作りで、棟木、垂木、
軒桁、柱などが陽刻されている。

(切妻妻入り作り)

先日行ってきた、三浦市の白山神社古墳が同じ作りであった。
 
➁早野横穴墓  線刻画古墳
 川崎市麻生区にある早野横穴墓は7世紀頃の線刻画があるので有名。
鶴見川の支流、谷本川の中流に位置している。7c中葉の築成。
学者仲間では有名でも、地図も標識も何にもない。
向かいの山の中腹にあるという情報を手掛かりに手探り足探りで探した。

登り口が分からないので、上から降りてきて中腹に穴を見つけた。

早野横穴墓

かなり荒れていて入り口が崩れかかっている。中はかなり広い。藪蚊が襲い掛かってきた。

奥壁に線刻で、人の顔面、人が騎乗した馬、馬が5匹、馬を引く人、馬小屋などが描かれている。
古代のこの周辺は馬の産地として知られており、被葬者は牧の管理者クラスか。


線刻画

報告書に写生図がありこれと比べ、絵を読み取ってみた。


報告書の写生図

髭を蓄えた顔面。牧場の管理者か。

髭を蓄えた顔面

うしろの馬に人が騎乗している。

馬に人が騎乗

馬が5頭並んで歩いている。

馬が5頭

馬小屋へ馬を追う人。

馬小屋へ馬を追う人

装飾古墳は全国に600基以上あり、そのうち半分が九州にある。
装飾古墳には石壁に絵を描いたものと、土壁に線刻したものとがある。
関東には線刻画しかな。

➂町田三輪横穴墓群
 東京都町田市三輪町の古墳群探訪。
町田市は神奈川県に接して三輪町は川崎市に突き出た所。
起伏があり谷戸が多いところで、古刹やTBSスタジオ、鶴川女子短大、こどもの国などある昔ながらの風景を残しているのどかな町。
三輪町には谷戸に沿って横穴墓群が沢山ある。

小田急鶴川駅から徒歩30分の所に白坂横穴墓群があった。


白坂横穴墓群 7c築造 都史跡
入口だけよく整備されている。

白坂横穴墓群登り口

横穴墓が13基見つかっているが見られるのは2基のみ。

5号墳。
数体の遺骨、刀子や須恵器などが出土。きれいな奥壁。

6号墳。
棺床があり、床に川原石が見える。

西谷戸横穴墓群。
迷よって散歩していた人に聞いたが、とんでもない所を教えてくれ、1時間以上ロスした。
偶然丘陵を越えたところで見つけた。

7c築造の横穴墓が7基。
史跡を保護するため吹き付けコンクリートで被膜してある。
人骨、直刀、鉄鏃、ガラス玉など出土。

西谷戸横穴墓群

左から2つ目の5号墳からは、金銅製圭頭太刀など威信財が出土している。

5号墳には、人、船、波状文、三角文などの線刻画が確認されている。但しこれが当時描かれたものか否かは不明。

線刻画か

帰りはこどもの国まで歩いたが、途中に鶴川女子短大があった。この校舎の設計は新国立競技場を設計した隈研吾氏。

鶴川女子短大

コロナ感染の心配な3密(密集・密着・密閉)でない古墳巡りで、満開の桜を眺めながらの、1万9千歩の旅でした。
➃生田横穴墓群
 川崎市多摩区にも古墳が沢山ある。
今回はあまり有名でないところを地図で探しながら歩いた。
多摩川の沖積低地に細長い丘陵があり、その上に古墳群が続いている。

根岸古墳群
地図ではわからない50mくらいの丘陵がありここを登ってみた。

民有地の林の中に円墳5基を見つけた。
直径十数mの古墳時代終末期の古墳群。
斜面を利用して大きく見せている。
副葬品は須恵器、直刀、玉類があったようだ。

根岸古墳群

十分ほど歩くと飯室山があり、そこに横穴墓群がある。

生田長者穴横穴墓群。
江戸時代の「江戸名所絵図」にも紹介されているそうだ。
32基見つかっているが、現存するのは6基。
幅3m、奥行き5m程度。古墳時代終末期の一族の墓と考えられている。

生田長者穴横穴墓群

勾玉、管玉、金環、小玉、鉄鏃などが見つかっている。

生田長者穴横穴墓群から出土した副葬品

さらにひと山超えると、枡形山。
頂上に枡形城跡があった。鎌倉時代の山城。
北条政子の妹を妻とした稲毛三郎重成の居城。

枡形城跡

北の守りに多摩川沿いに7つの城が作られている。

展望台から、新宿ビル街やスカイツリーなどが望める。

展望台から、新宿ビル街やスカイツリーなどを望む

この山を下ると日本民家園や、岡本太郎美術館などもある。
                以上
                小兵衛

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