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素人の考古学―宮崎県(日向国)生目・持田・松本塚古墳群巡り

●生目古墳群の特徴(国史跡)

大淀川の右岸の標高25mの丘陵地にありで宮崎平野を一望でき,
①  生目古墳群は50基の古墳で構成されており、前方後円墳8基、円墳25基が
     ある。
➁その中の1号墳、3号墳、22号墳は全長が100mを超える規模を誇り、生目
   古墳群は古墳時代前期に於いて、九州最大の古墳群であったといえる。
➂当時、この時代に前方後円墳が連なるのは、吉備以西では生目古墳群だけ
   であり大和王権との密接な関係あったと考えられる。
➃南九州独特のお墓の形である地下式横穴墓も多く発見されており、丘墓の
 周辺に多くの地下式横穴墓があり一族と考えられる。

(生目古墳群マップ)

1.生目古墳3号墳 4c中
 137x11m前方後円墳は4c中頃では九州最大の古墳
 前方2段、後方3段の築成、表面に葺石、周溝
 4世紀には西都原古墳群よりも大型の前方後円墳を築造していることか
 ら、ヤマト王権と密接な関係を保有した南九州の盟主的な首長がここに君
 臨していたことが想像できる。

(3号墳)

2.生目古墳22号墳 4c後半
 101x9.2ⅿ前方後円墳
 前方部2段、後円部3段築成、3号墳と相似形
 葺石あり、周溝、張り出し部と23号地下式横穴墓を確認
 墳頂とテラスに壺形埴輪が並べられていた。

(22号墳)
(壺形埴輪)

3.生目古墳1号墳  3c末~4c初
 古墳時代前期に三代続けて九州最大の古墳が築造された生目古墳群は、初
 期ヤマト政権の直接的な影響が南九州に及んでいたことを示しており、1
 号墳の被葬者は日向国造の祖・豊国別皇子(景行天皇の子)にあてる説も
 ある。
 130ⅿ前方後円墳
 墳丘全面が葺石で覆われ、3段目は階段状の段を持つ。

(1号墳)

4.生目古墳5号墳・19号地下式横穴墓 5c初め
 57x4.4m前方後円墳
 前方・後円共に2段築成、主体部は後円部
 斜面のみ葺石、一部に周溝、個性的な埴輪
     地下式横穴墓
 5号墳の周溝の外側の位置。
 長方形の穴が墓の入口(竪坑)、左側の穴が玄室。
 5号墳の埋葬者に近しい関係者が埋葬されていると考えられる。

(5号墳)
(19号地下式横穴墓)

●持田古墳群(国史跡)
 宮崎県の中部を流れる小丸川左岸の標高約50mの台地上に作られた、貴重
 な鏡を出土した古墳群。
 4cから6cにかけて10基の前方後円墳と75基の円墳。
 日向地方においては持田古墳群だけでしか出土していない2面の舶載の三
 角縁神獣鏡が出土。

●松本塚古墳群(国史跡)
 西都市の南西2.6キロに位置する古墳群。周囲は三納川流域に開かれた水田
 地帯で、松本塚古墳を含めて7基が現存。
 松本塚古墳は、ウガヤフキアエズ尊陵と伝えられ、瓊瓊杵尊と木花開耶姫
 の子、ヒコホホデ三ノミコトの子で、神武天皇の父親の陵墓。 

 古墳群の中心となる松本塚古墳の西側に近接する円墳の5・6号墳と帆立貝
 形古墳の2号墳は、松本塚古墳と同一窯製の可能性が高い円筒・朝顔形埴
 輪を樹立し、5世紀後葉に築造された松本塚古墳の陪冢群である。
 未調査の2基(1・4号墳)の詳細は不明だが、古墳群の構成からみて、他
 の古墳と同様に松本塚古墳の陪冢の可能性が高い。

(松本塚古墳)

                以上
               小兵衛


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