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昔は美唄よりも栄えていたのよ…北海道 我路と美唄鉄道(2003年10月5日)
「ここは昔は花街なんかがあって、美唄よりも栄えていたのよ…」。我路に住んでいる老婆の言葉が切ない。てっきり廃村だと思っていた我路の街。雪で潰れた家が点在し、人気の無い廃墟が続く。長く、長く伸びる美唄鉄道のホーム跡が、かつてそこが栄えていたことを物語っている。1950年代には人口3万人を数えた炭坑の街は、この我路を含め、実質上、廃墟、廃村になってしまった。
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我路という街
ここに住む老婆の話によると、我路は美唄炭山の隣にあり、商業の街として栄えたそうだ。炭鉱の給料日の後は、盛り上がったという。懐かしそうに話すその言葉は、ネットに溢れるどんな情報よりもリアリティがあった。
炭鉱の施設は廃鉱になれば、ある程度整理されるものだ。しかし、自然にできた街は、自然に朽ちるに任せていたようだ。雪で潰れた家々を眺めると切なくなってくる。
美唄炭鉱とともに発展した我路。美唄鉄道の途中駅があった。木造家屋は自然に倒壊してゆくが、鉄筋コンクリートの郵便局だけは、かつての規模のまま姿を残していた。ここのランドマーク的存在である。そしてまだ現役である。
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美唄鉄道と美唄炭鉱
美唄地区には多くの炭鉱が存在し、石炭の輸送のために美唄鉄道が走っていた。しかし、廃鉱とともに鉄道は廃止され、山奥の街も消え去った。1972年(昭和47年)のことである。
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大きな都市を形成した三菱美唄炭鉱の跡地は整備され、広い、広い、山間の草原に高さ20mの巨大な立坑櫓が聳え立っていた。人気の全く無い山奥に突然現れるものだから驚く。この櫓は地底170mから石炭をくみ出すのに使用された美唄炭鉱の遺構である。この広い草原には炭鉱施設があり、貨物ヤードがあり、周囲りは炭住で埋め尽くされていた。
1972年(昭和47年)に閉山された後は、炭鉱跡は完全に撤去され、櫓と、炭鉱原炭ポケット、小さな炭鉱開閉所がひとつ保存され、「炭鉱メモリアルパーク」として整備された。ただし、昔の炭坑のスケールを感じるにはあまりに不十分ではあるが…。
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炭鉱開閉所に飾ってあった写真を見ると、大工場のような設備と、周りを埋め尽くす、炭住やアパートに驚かされる。ここだけで市が成り立ちそうなスケールである。それが、それが今では、一面の大草原と深い山…。巨大な施設と街が、わずか30年の間に消え去ってしまった事が信じられない。
廃墟マニアには怒られそうだが、施設をきれいに撤去して、街を跡形も無く消し去るのは正しいことかもしれないと思った。何よりも、その土地にゆかりのある方が、廃れてゆく街を見るのはあまりに辛いのでは…。北海道ではゴーストタウンをいくつか見てきたが、どこも恐ろしい雰囲気だった。それにくらべて、ここには暗さが無い。ただひとつ、途中の集落の「我路」を除いて…。
何故ここに残っているのですか
我路の話に戻る。日が暮れてきた。失礼ながら、てっきり廃墟だと思っていた家に灯りが点る。その街が生きているかどうかは、夜になるとわかる。我路の街はまだ生きていた。老婆の話では、ここに住む人は数えられるほどだが、残っているそうだ。唯一の売店も閉鎖してしまい、この老婆はどうやって生活しているのだろうか。
「何故ここに残っているのですか?」 と聞きたかったが、流石に言えずこの街を後にした。お婆さん。いつまでもお元気で…
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訪問日:2003年10月5日
2003年11月2日
執筆日:2004年6月14日
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