はじまりは、3月3日。
寝ているところ、夜中に私のスマホが鳴り、その音で起きました。
こんな夜中にだれからかと見ると、義理姉からでした。
この電話の着信音がすべてのはじまりだったんだと今は思っています。
義理の母が危篤だから病院へ来いと主人へ伝えろと言うのです。
主人は風呂に入っていたので、風呂からでると伝えました。
私は気もすすまなかったし、行きませんでした。
今考えると行っておけばよかったです、何故なら嫁は駆けつけなかったと一生、親戚の間で言われるからです。
義理姉も主人も駆けつけた時は、すでに義母は亡くなっていたそうです。
葬儀屋の遺体搬送車が手配され、自宅へご遺体を運ぶのが普通ですが、私の嫁いだ先の家の人達は葬儀屋が決められないという理由で、自分達でご遺体を自宅まで運びました。
ワゴン車の後ろに抱っこした状態で運んだそうです。その後、ペチャンコで汚い布団の上に寝かせて、胸の上に台所から持ってきた出刃包丁を置いたそうです。
本当に出刃包丁が置いてありましたし、布団は古くて汚くてペチャンコな布団でした。
少しおばあちゃんが気の毒に思えるくらいでした。
翌朝、葬儀屋を決めて、葬儀屋がきちんとした布団と守り刀、屏風、線香を用意し普通の形になりました。
義母の子供は4人居ます。長女(64歳)、長男(62歳)、次女(56歳)、次男(53歳)です。
私は末っ子である次男の嫁(48歳)にあたります。
この時亡くなった義母は88歳。
残された義父(Tくん)は89歳。
長女は張り切って葬儀を取り仕切りました。表面上はいい人を演じ、自分はこま遣いであるようにみせていますが、裏では仕切って実権をに握っている天才的な女優です。
長男夫婦は何も関わりません。
次女は、長女のいわば子分です。お金がないとか、困っているとか、泣いたふりをして、いつも長女からお小遣いをもらって、後ろでぺろっと舌をだすような人。
主人はこの兄弟の中では1番大人しく、権限もなく、言われた事だけをやるような人です。誰にも逆らいません。
ものすごく記憶に残っているのは、3月3日命日となる日に次女は、自分のお店(飲食店)を開けたことです。
この日は、お線香をあげに来る方が多かったし、葬儀屋の出入りも多かったはずです。でも彼女は自分の母の死んだ日に仕事へ行きました。
私と娘はお線香の番人となり、交代で義母のいる本家に待機していました。