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生きるのやめるのをやめた日

僕には大好きな友人がいる。
僕は友人が多い方だと自負しているが、その友人のことは特別好きだ。何故かは分からない。別に分からなくていい。

そいつは身長が180cm以上ある男で、少し眠そうな目をしていて、じゃれてくる力が強い。
大学で出会った頃は白くて丸めで、僕はそんな彼をシロクマと呼んでいた。
卒業後地元で公務員となった彼は、黒く日焼けして痩せてマッチョになっていた。僕はそれを「俺の白熊が……」と嘆き悲しみ、仕方が無いのでヒグマと呼んだ。
最近は中間を攻めているので、単純にクマと呼んでいる。

クマは大分変わっていて、結構いい加減で、なかなかに我儘で、それなのにどうしても憎めない不思議な男だ。
僕を家に泊めてサークルの先輩への暑中見舞いを大量に代筆させたり、東京に来る前日(ド平日)に「明日暇でしょ?」と電話をかけてきたり、自分から誘ってきた夢の国に入って5メートルで「じゃ出よっか」と言い出したりする。あの時の僕の抵抗は強かった。
人の好き嫌いはわりと激しい方で、主張を曲げることもない。
そんな彼に気に入られているということが、僕は本当に嬉しい。僕にとってはそれが、心底強い支えになっている。

年下の友人が亡くなった。もう十年以上前になる。自殺とも事故とも呼べる、なんとも後味の悪い死だった。
その当時、僕はぐらぐらに揺れている真っ最中だった。中学生頃から強くなっていった希死念慮は、長いこと僕の脳みそを殴り続けていた。
沢山の自傷をした。神経がギスギス尖って、いつでもツンケンしていた。人の目が嫌いだった。こんな姿かたちと声をしている自分が大嫌いだった。
それらはほとんどが一つの大きな悩みから来ていて、僕を二十代半ばまで苦しめた。
亡くなった友人は、同じ悩みを持っていた。それを僕より一足先に解決した。こんなに楽しく生きていけると示してくれた、はずだった。
当時主流だったコミュニケーションサイトの日記に、僕は絶望を書き殴った。やはり自分は幸せになんてなれないんだと、生きている価値なんて無いんだと世界から否定され押し潰されたような感覚でいた。
何故かその年は友人知人が立て続けに自殺していて、さあ続けと言う声が聞こえてくるようだった。実際、続こうと思った。

そんな時、一番に電話をくれたのは恋人でも親友でもなく、クマだった。
「日記読んだよ」
「死んじゃダメだよ」
「俺、秀ちゃんのこと好きだから、秀ちゃんが死んだら悲しいよ」
ゆっくりとした口調でそう言った。普段はいい加減で、人がどうなろうが知ったこっちゃないという風でいる男が、そう言ってくれた。
「ありがとう」
僕は消え入りそうな声で返事をして、泣いた。

そこから今日まで、なんとかかんとか生きている。死んでしまいたいと思うことはまだあるけれど、いつもあの時のクマの言葉が浮かんで踏みとどまらせてくれている。
家族恋人親友、そのどれにも当てはまらない特別枠の男。
たまに突然真面目なことを言い、東京に来る時は必ず声を掛けてくれて、結婚の報告はわざわざ電話でしてくれた。あの時と違って、少しだけ照れたような声だった。
彼が「そろそろ秀ちゃんヤクルト戦行きたいでしょ?」という自分勝手な電話を掛けてくるのを、僕は毎日心待ちにしている。

クマのお陰で、今日も生きてるよ。

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