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「何も特別じゃない」からこそ、尊い〜南三陸の記憶〜
2回目の投稿です。
ジェンダーのこと、震災のこと、旅のこと、ラジオのこと、、、
書きたいことは色々あるんですが、ここはあえてあまり順番を整理せずに、思いついた順に書いて行ってみようと思います。
毎年、1月〜3月になると、東日本大震災のことを考える時間が長くなります。
今回は震災の回です。
「南三陸町」と言えば?
このnoteは一応匿名でやっているので、具体名を出すかちょっと迷いましたが、出すことにしました。
私の祖父母が東日本大震災まで住んでいたのは、宮城県の南三陸町という町です。
「南三陸町」と聞いたときに、皆さんは何を思い浮かべますか。
多分、日本人の8割くらいは「あぁ、震災で大変だったところだ、、、」ということを一番初めに思い浮かべるんじゃないかと思います。
私は、このことがなんだかずっとイヤで、心に引っかかっていました。
例えばお隣の気仙沼や石巻だと、まだ「漁業の町」「工業の町」といったイメージを持ってくれている人がいると思うんですが、
「南三陸町」というと、ほとんどの日本人にとっては、「=震災で大変だったところ」のイメージに直結してしまう。
残念ながら、東日本大震災がきっかけで、全国区に名前が知られてしまった町だと思います。
私も、初対面の人とかに「祖父母は南三陸にいました」というと、それだけで気を遣わせてしまうことが多く、それが何だかイヤで、「祖父母は宮城にいました」とか、お茶を濁すようになっていきました。
「平凡な町」。
うまく伝わるかわからないのですが、私がこの記事を読んでいる人に伝えたいのは、
「南三陸町は被災地である以前に、日本のどこにでもあるような風景が広がる、よくある普通の海辺の田舎町だった」
ということです。
あの日を境に「被災地」になってしまって、それで全国に名が知られてしまっただけで、「被災地」のラベルを取り払えば、正直なんの変哲もない、ありふれた田舎町です。
もちろん、海が綺麗だったり、タコが美味しかったり、町としてPRしている良いところや、観光資源は沢山あります。
でもだからと言って、他の町と比べて特別何かに秀でた町というわけでもなかったと思います。
ごく普通の田舎町だったからこそ、人情味あふれた人付き合いもあったし、お節介な人もいたし、時には住民のトラブルや犯罪だってあったと思います。
そこも全部含めて、「平凡な普通の町」だったのです。
「平凡だから尊い」。
誤解されたくないのですが、南三陸町のことをディスっているわけではありません。
特に有名でもない。東北以外の人は名前も知らない。どこにでもあるような田舎街の風景と、田舎ならではの人付き合いがある。
こんなありふれた町で繰り広げられていな、ありふれた日常が一瞬にして無くなる。
そして、突然その町の名が「悲劇の地」として全国に認知される。
この一連の流れを経験して思ったのは、
「何も変哲がない。平凡であることが、尊い。」
ということ。
裏を返せば、全国の名前も知られていない小さな町や村にも、それぞれの平凡な日常があって、それが「尊い」のだろうということ。
そして日本という災害の多い国に住んでいる以上、全国のその尊い日常を送る「平凡な町」は、いつでも「悲劇の町」になりうるのだという、残酷な現実。
クサい言葉になりますが、「特別なことなんていらないんだ」「平凡なことは幸せなんだ」と心から思えるようになったのは、この経験があったからだと思います。
「懐かしさ」を求めて。
東日本大震災からもうすぐで14年。
直接被災していない私ですが、あの日まで南三陸町で流れていた「懐かしさ」「少年時代のノスタルジー」を求めて、迷走を繰り返しました。
もう懐かしい風景はないとわかっていても、何か「残り香」のようなものを求めて、無意味に南三陸へ行ってみたり。
この辺りの10年以上に渡る迷走は、思春期・青年期と重なったこともあり、学生時代の自分の進路選択や職業選択、そして自分のアイデンティティの形成に多大な影響を与えました。
この話はまた今度書こうと思います。
能登への祈り。
正確には能登に限りませんが、東日本大震災以来、どこかで災害が起きると、
「その町では、災害の前までどんな日常が流れていたんだろう」
ということを必ず考えるようになりました。
「復興」という未来の話に焦点が当たるのは必然的ですし、被災者の生活を再建するという観点から、最優先事項です。
ですが、それが最優先されるあまり、「その町の過去」には焦点が当たらないことが多いと思います。
その町は、「被災地」として有名になる前は、どんな日常が流れていたのか。
「その土地にあった平凡な暮らしへ想いを寄せる」。
私が大事にしている気持ちです。
うまいオチに辿り着きませんが、今回はこの辺で。
うまく関連付けながら、次以降も記事を書いていこうと思います!