「文化人類学の思考法」から「くもをさがす」へ
文化人類学の思考法について
久しぶりにペア読書のコミュニティに参加した。ちょうど再読したいと思っていた本のペア読書のお誘いがあったので飛びついたのだ。
言語交換を始めて、お互いに英語と日本語を教え合っているのだが、その中でさえ、異文化に由来する出来事や差異から、発見することが多い。
ex "子供を産むことが重要であり、価値観" / 会話の際に必ず"調整はどう?Goodです/And you”から始めること など。
文化人類学の距離と射程の考え方をリロードしておきたかった。
この本は、もう一度私が文化人類学を出会い、発見するに至ったきっかけとなった本で、なんなら読書についての意義を改めて示してくれた一冊だ。
この本は13章からなり、それぞれ別な先生が文章を書いている。どちらかというと全編を通して深掘りするのではなく、各章で異なるテーマを扱うため、発散していくような内容である。しかし、目的としてはあえて多様なテーマを扱い、それらについて文化人類学の思考法をもって論じることを持って、そのエッセンスを示そうということである。
異文化に触れることで、自分との差異からつまり自分を文化についての考え方を認識するようになる。その時、異文化を発見すると同時に自文化を発見するという体験は、異文化に対してオープンでありながら、非常に内省的で、まさに”発見する”という言葉に相応しい、驚きと思考を占有してしまう魅力を持っている。
言語交換で1回1時間ほどの会話を終えた後、ノートをまとめながらも思考は扱ったトピックに対する相手の当たり前という反応や、言語を扱う感覚について完全にとらわれている。
「くもをさがす」に見る"ケアの論理"
前置きが長くなってしまった。今日読んだのは未読であった、「12 ケアと共同性──個人主義を超えて」を含む3章である。
この章で述べられていた”ケアの論理”が、まさに「くもをさがす」の中で見られるバンクバーの医療に述べられているように思えて面白く読み進めた。
"ケアの論理"は"選択の論理"と対比する形で以下のように述べられている。
「くもをさがす」ではバンクーバーでガンを告知された筆者と医師や看護師たちとのやりとりが描写されている。それは、決して患者を王様のように扱わないという点で、”選択の論理”における顧客とサービスを提供する医療機関という隔たりは見えない。そこに見えるのは、患者と看護師がより近く双方向的なコミュニケーションに基づいた、ガンの治療と筆者自身の人生そのものを気に掛ける態度である。
私はそれを素晴らしいと思いつつもそれがなぜかということを理解できなかったが、それはまさに、”ケアの論理”の実践であったからだと理解した。
2023/5/14 追記
看護師が彼女らの領分に従い仕事をしていることを忘れてはならない。同時に自分の体のボスは自分であり、それは自分の領分である。そのため、結局は選択は自分でしなければならない。ただ選択肢を与えるのではなく、患者が自分で選択できること、その選択を尊重することができるのは看護師と自分がそれぞれの領分に対しての責任を全うしているからであるように思う。
サポート窓口の"ケアの論理"
一方で、私は"選択の論理"と"ケアの論理"から、スマートフォンが流行り出した頃の体験を思い出した。私は当時、あるアプリケーションの顧客対応部門で働いていた。企業や個人の顧客からの問い合わせに電話やメールで対応する担当だった。
スマートフォンが流行り出した当初は、アプリケーションそのものというよりも、「このアプリケーションとこのアプリケーションを同時に入れても大丈夫ですか?」というような、自社のアプリケーションに閉じない、スマートフォンそのものについての問い合わせが多かったように思う。全ての人がアプリケーションを自由にインストールできるようになり、強制的に選択を求められるようになったのだから無理もない。選択には責任が伴うが、その選択に必要な情報というのは、スマートフォンと同じタイミングで広く普及したとは言えなかった。
窓口の担当者としては、”選択の論理"ではなく、”ケアの論理”に基づくようなサポートができることがより、顕著に求められたタイミングだった。スマートフォンという波は、それまでのフレームとは異なった波であったからこそ、いきなり選択を求めるのではなく、話すことや、感情や状況にフォーカスすること求められたのだった。
ちなみに、1年ほど経つと、問い合わせの件数は徐々に減っていき、問い合わせの内容もアプリケーションに閉じたものに変化していった。私はスマートフォンが我々の生活の一部になったことと、それに伴い、選択に伴う責任がある意味で認められたのだと私は理解した。新しい技術が生まれ、拡散し、混乱がありつつも、いずれ我々の生活に溶けていく様子を定点から観察できたことはとても貴重な経験だった。
文化人類学の思考法へ
この「文化人類学の思考法」という本は、読んでいるうちにどんどん思考が飛ばされる本である。昨年読んだ時もそうであったし、今日も
3章ほど未読の章を読んだが、各章で最近出会ったものとの関連付けが想起されて、メモしたり検索して調べたりという工程があった。(ex OSSコミュニティと贈与の関係について、携帯電話会社の家族割の変遷は家族の捉え方の変遷を表しているか?など)
各章の分量はそれほど多くないのだが、非常に示唆に富んだ内容で、自分の中にあるものが、別の意味や側面を持って立ち上がってくるので、この本を課題本として読書会をするときは、特に少人数で長めにシェアする時間を撮る形にするとより充実した時間になると思う。
読書会の本
定期的に開催している吉日IOブッククラブでシェアされた本や個人的に読んだ本のタイトルを紹介します。読書会や本記事で扱う本の、リンク先はhontoとしています。埋め込みリンクの画像が統一感があり、美しいです。