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プレテスト「世界史B」 全問解説①第1問 解説動画付き―井出進学塾のマンツーマン授業の実況中継(大学入学共通テスト「世界史」対策)

こんにちは、井出進学塾です。
今年度から新しく始まる大学入学共通テストですが、2年前にプレテストが行われました。

共通テスト「世界史」対策として、「世界史B」プレテストを解説・分析していきます。
これからの勉強で、何を気を付ければよいか?どのような勉強をしていけばよいか?方針を固めていきましょう。

未履修分野もあるでしょうが、それでも、今の段階でどれだけ解けるか試してみるとよいです。問題の完成度としては高いものになっているので、未修の分野でも、それまでの知識や資料のよみとりなどで答えを導き出せるものも多くあります。

それらを実感するためにも、学校でどこまで進んでいるかにかかわらず、挑戦してみることを強くおすすめします。

問題および解答は、大学入試センターの方で公開されていますので、そちらを利用ください。

「大学入試センター 平成30年度試行調査 問題、正解」等は こちらをクリック

今回は、第1問をみていきます。
その他の問題の解説は、こちらからどうぞ。

共通テスト世界史対策「プレテスト世界史」くわしい分析と解説 まとめ

それでは、はじめます。
教科書、学校で使っている図録、授業ノートなども準備して、必要なところはアンダーラインを引いたり、かきこんだりしていきましょう。

埋め込みの動画は、ピンポイントの解説動画です。
なお、解説動画はタイトルのところにもリンクを貼っておきます。
リンクは、別タグで開かれますので、使いやすい方でどうぞ。

第1問A 問1

北アフリカからヨーロッパに向かう矢印aと、
ヨーロッパから北アフリカに向かう矢印bについて、
正しいものを選ぶ問題です。
選択肢を1つずつ検討していきましょう。

ノルマン人は、北欧(スカンディナビア半島やバルト海周辺:下記略地図参照))原住の人々のことです。ヴァイキングとよばれ恐れられたことが有名なので、矢印aの向きから①はこの時点で消せますね。

西ヨーロッパ地名

(簡単な地図はのせておきますが、あくまで、ご自分の使っている教科書・図録などで確認しましょう。確認したところを、アンダーラインを引くなどすれば、学習したことが積み重なります。)

選択肢に書かれている内容自体は正しく、ノルマン人(ヴァイキング)は10世紀初めに北フランスに上陸しノルマンディー公国(ノルマン朝:1066~1154)を建て、12世紀前半には海路でイベリア半島をぐるっと回り、南イタリアやシチリア島に侵入し両シチリア王国(1130~1860)を建国しました。

②イスラム世界では、ムハンマドの死後、正統カリフ時代(632~661)を経て、661年ウマイヤ朝(661~750)が開かれました。
ウマイヤ朝の時代に領土の拡大も進み、北アフリカを征服し、さらにはヨーロッパのイベリア半島に進出し、その地にあった西ゴート王国(418~711)を滅ぼしました(711年)。

矢印aも北アフリカからイベリア半島と、ピッタリなので、この選択肢が正解です。

③第二次世界大戦前の1935年、イタリアのムッソリーニエチオピアに侵攻したことは史実です。しかし、矢印がずれすぎていて、ダメという選択肢でしょう。

矢印bの根元はフランスの位置で、問題文では「ヨーロッパ」という指定しかないとはいえ、これをイタリアと解釈するのは、かなり無理があるでしょう。
また、エチオピアを「北アフリカ」とは言えないので、はっきりとこちらで不正解と判断することができます。エチオピアは「東アフリカ」と称される位置です。問題で示された地図には入っていません。この下の方のアフリカ大陸の東側です。各自、確認しておきましょう。

アフリカ 国名

(現在の地図で、エチオピアとアルジェリアの位置を示しておきます。)

④けっこう、特徴的な出題の工夫です。
ド=ゴールといえば「フランス」の指導者、「北アフリカ」にあるアルジェリアといえば、かつてのフランスの植民地・・・さらに矢印bは、まさに「フランス→アルジェリア」になっています。

でも、これはまちがいの選択肢です。①~③は、選択肢の内容そのものは史実でしたが、④だけ選択肢の文の中にまちがいがあります。

細かい年号ではなく、必要最低限の知識をつなぎ合わせて、この選択肢はまちがいと判断できるように、この解説をみているみなさんには、なってほしいです。

まず、ド=ゴールは、第二次世界大戦(1939~45)の戦中から戦後にかけてのフランスの指導者です。

一方、アルジェリアがいつ頃フランスの植民地になったか、考えてみましょう。第一次世界大戦(1914~18)は、遅れて出てきたドイツが植民地を求める、という要素が背景の一つとしてありました。第一次世界大戦がはじまる前の段階で、アフリカ大陸のほとんどはヨーロッパ列強の植民地となっていた、ということです。選択肢④の内容は、時系列の関係から、変なことをいっている選択肢だとわかりますよね。

なお、第二次世界大戦後、大統領になったド=ゴールによって、アルジェリアの独立が認められました。これは、この件との混同を想定した選択肢ともいえます。(最初にフランスがアルジェリアに遠征したのは、1830年、ブルボン復古王政(1814~30)のシャルル10世(位1824~30)のときです。こちらも重要な事件ですので、気になる人はまとめ直してみるとよいでしょう。)

正解:②

第1問A 問2

なるべくスムーズに解答、と考えると「矢印」と「事例」の解釈はとばし、「説明」の解釈からですね。2つしかないので、とりかかりやすいです。

まず X から、みてみましょう。この説明から「事例」の方でいうと選択肢 う 東方植民(12世紀~14世紀)のものとは、わかるでしょう。

しかし、矢印cも矢印dも、これに適しません。地図でいうと、矢印bや矢印cの根元あたりがフランスで、その東側にドイツは位置します。

選択肢の説明のように、東方植民はドイツ騎士団が中心となって行ったものですが、それはドイツの位置からさらに東方に向かうものでした。この地図では上に切れている部分での話です。

西ヨーロッパ地名

ということで、x はなく Y を考えればよい、ということになります。

さて、Y をみてみましょう。

スレイマン1世(位1520~66)はオスマン帝国(1300頃~1922)の最盛期のスルタンです。
その力はヨーロッパ諸国にも脅威を与え、1529年、ウィーン包囲が有名ですね。

ウイーン包囲は、選択肢 え にあります。
対応する矢印dをみましても、矢印の根元は小アジア(現在のトルコがある地域)は、オスマン帝国の中心地でありますし、矢印の先は、オーストリアのウイーンがあるあたりです。これで、まちがいないでしょう。

ということで、「えーY 」の組み合わせが正しく④が正解です。

これは、けっこうすごい話で、「矢印」と「事例」で考え始めると、かなりやっかいになります。「説明」の方から考え始めると、とてもスムーズにいきました。こういう問題のとりくみ方の判断も、試されるということですね。

「事例」の他の選択肢も、一応確認しておきましょう。

あ 第1回十字軍(1096~99)・・・教会の主導で、ヨーロッパ諸国の諸公・騎士が聖地イェルサレムの回復をめざし、イスラーム勢力と戦いました。1099年には、イェルサレムを占領し、イェルサレム王国(1099~1291)が建ちます。
矢印c の先はイェルサレムのあたりなので、「矢印c ―第1回十字軍」の組み合わせは正しいといえます。

う フン人の西進が、ゲルマン人の大移動のきっかけになったといわれています。フン人はアジア系であり、その本拠地は与えられた地図では切れているところです。地図に黒海がありますが、その少し北東あたりです。

正解:④

第1問A 問3

「接触の可能性がない」ということで、地理的な関係と時代的な関係が考えられますが、この問題は「時代的な関係」で接触の可能性がないものを選ぶ問題でした。

ヨーロッパの大まかな歴史の流れが、おさえられているかが問われます。
ここで簡単に紹介しておきます。400年タームでおさえましょう。
(なお、このような歴史の流れのおさえ方は、「井出進学塾の歴史教室 第1回 まずは日本の歴史で、大まかな年代のおさえ方をつかもう!」も参照してください。世界史を勉強するうえでも、日本の歴史を1つの基準として組み立てていくのは有効です。)

まず、共和政ローマの終わり、オクタウィアヌスアウグストゥス(尊厳者)の称号を受けたのが前27年、在位が後14年までです。もちろん、在位年まで記憶する必要はありませんが、これが「帝政ローマ」のはじまりであり、それはちょうど紀元前後のことでした。

0年くらいから帝政ローマがはじまった、とおさえておけばよいでしょう。(注:厳密には、紀元0年は存在しません。1年から、はじまります。)

ちょうど、紀元400年ごろ、375年にゲルマン人の大移動がはじまり、395年にローマ帝国が東西に分割されるので、⑴「0~400年 帝政ローマの時代」とおさえられます。

次の400年をみると、ちょうど800年というきりのいい年号で、カールの戴冠(800年)がありますね。この400年のタームは、とりあえず⑵「400年~800年 ゲルマン民族の移動期」とおさえておきましょう。「西ヨーロッパ世界の誕生期」としてもいいですが、「ゲルマン民族の移動期」と考えた方が、いろいろおさえやすいとおもいます(ここらへんまでくると、個人個人の好き好きです)。

次の400年のタームは、⑶「800年~1200年」になりますね。強いて言えば、「十字軍をさかいに、教会の権威が上がっていってから、下がっていく時期」といえるでしょう。1200年で区切るのは、あまり合理性がないように感じるかもしれませんが、日本の歴史で1192年、鎌倉幕府成立と、ちょうど1200年から武家政権の時代がはじまるので、1200年で区切っておくことは、日本史基準の年代比較の上でも重要です。

ヨーロッパ史大まかなまとめ

(上図:400年タームでのヨーロッパ史のとらえ方。
  注)かなり大ざっぱなまとめです。)

では、問題に入ります。選択肢を1つずつ検討していきましょう。

①帝政ローマが、だいたい0年からと考えればよいので、共和政ローマはその前、紀元前の話ですね。フェニキア人の植民市カルタゴと、3回にわたるポエニ戦争(前264~前146)が、おこったことは有名です。

接触しているどころか、戦争しているので、この選択肢は正しいです。

②ゲルマン民族の移動期、その最有力国となったのはフランク王国です。メロヴィング朝は、そのフランク王国内の王朝名ですね。メロヴィング朝が481年~751年、その後、カロリング朝(751~987)のフランク王国となり、カール大帝(位768~814)も出てきます。

先ほどみたタームでいいますと、メロヴィング朝は「400年~800年(ゲルマン民族の移動期)」に存在した王朝ということができます。

一方、マムルーク朝についてみていきましょう。
イスラームの王朝ですね。サラディン(位1169~93)のいたアイユーブ朝(1169~1250)の次に、エジプト地方を支配したのがマムルーク朝(1250~1517)、・・・もちろん細かい年代まではいいですが、「アイユーブ朝→マムルーク朝」というのが出てくれば、この問題は答えられます。

サラディンは、十字軍と戦い勝利した英雄です。1187年に聖地イェルサレムを奪回し、1189~1192年の第3回十字軍も撃退します。先ほどみたタームでいうと「800年~1200年」以降になりますね。エジプトなので、与えられた地図にもギリギリ入っていますが、時代的に接触の可能性は、ありませんよね。

ということで、この選択肢が正解となります。

③これが、もっとも消しにくい選択肢かもしれませんが、先ほどのターム分けが活きてきます。

まず、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)(395~1453)ですが、ローマ帝国が分割されてできた帝国なので、「400年以降」のタームに入ります。

ヴァンダル人は、ゲルマン民族の大移動期のゲルマン民族の一派です。
彼らが立てた王国がヴァンダル王国(429~534)です。

同じタームに入るので、接触の可能性は十分にあり、この選択肢も消せます。

ヴァンダル人はイベリア半島から北アフリカにわたり、その地にヴァンダル王国を建てました。

一方、ビザンツ帝国はその最盛期は、地中海沿岸のほぼ全域に勢力を伸ばしました。(これは、知っておくべき内容です。)

この2つの情報をかけ合わせると、ビザンツ帝国がヴァンダル王国を滅ぼしたのではと予想できますし、実際にそうです。

選択肢①や④に比べ、ビザンツ王国がヴァンダル王国を滅ぼしたことまでは覚えてなくてもしかたないでしょうが、この設問は「接触の可能性」という出題の配慮で、この選択肢を消せるようにしています。

やはり、センターに比べ、頭を使う要素を増やすように出題されている、と考えてよいでしょう。

④ナスル朝(1232~1492)は、イベリア半島の最後のイスラム王朝です。1492年、スペイン王国によって滅ぼされました(グラナダ陥落)。

これも、接触の可能性どころか、歴史上重要な戦争があった選択肢です。

正解:②

第1問B 問4

当時、というのは問題文から1402年くらい、ということですが、ここは大まかに考えておけば、よいでしょう。

ここは、アフリカの貿易っぽいものを選べば大丈夫です。
アフリカなので、とても暑い気候です。

④は簡単に消せますね。モルッカ諸島などの東南アジアや、インド地域のことです。香辛料貿易は、大航海時代の大きな原動力になりました。

①生糸からつくられるものは「絹(きぬ)」です。着物とか上質のハンカチって、さらさらした肌触りですよね。あれが絹です。

絹(生糸)の産地といえば中国です。もちろん、その技術はヨーロッパの方にまで伝えられているので、可能性もまったく無いということはないですが、アフリカのような暑い地域で絹の需要がそんなにあるとは思えません。

ということで、この選択肢は消していいでしょう。

この選択肢は、日明貿易(日本と明の貿易)のことでしょう。

中国から日本に生糸、日本から中国に銀が輸出されました。

②アフリカは金や銅の生産量が、多いことで有名ですよね。(どこで習ったか?といえば、中学の「地理」です。中学の歴史・地理の教科書を見直す機会があれば、ぜひ、おすすめです。)

(「銀」はあまり聞きませんね。むしろ江戸時代がはじまるくらいまで、日本の銀の生産量が世界有数で、世界史にも大きな影響を与えた、という話があります。)

一方、アフリカのこの地域の人は「塩(岩塩)」は欲しいでしょうね。なんせ、ものすごく暑いです。

ということで、この選択肢が正解ということで、よいでしょう。

補足しておきます。

トンブクトゥはサハラ砂漠の南にあり、マリ王国(1240~1473)やソンガイ王国(1464~1591)の交易都市です。(これらの国の支配階級は、イスラーム教徒でした。)

その前には、黒人の王国であるガーナ王国(7世紀頃~13世紀半ばごろ)がありました。(いったん、まとめておくと西アフリカ地域は「ガーナ王国→マリ王国→ソンガイ王国」の順に興亡がありました。)

ガーナ王国のころから金を豊富に産出し、サハラ砂漠をこえて岩塩(塩)をもってくるムスリム商人と盛んに貿易を行っていました。
それは、マリ王国、ソンガイ王国にもひきつがれます。
このことが入っていれば、もっと簡単に正解できる問題でした。

③ ①と②は貿易品(輸出品と輸入品のそれぞれ)という書き方でしたが、③の書き方はどちらも輸出品という書き方ですよね。どちらにせよ、どちらも暑い地域でつくられそうなものではないですよね。

これは、おそらく中国東北部の女真についての記述でしょう。
明の支配下になりましたが、薬用人参(にんじん)や毛皮の交易が盛んになり、その利益をめぐり部族内での争いが激化しましたが、16世紀末ヌルハチ(位1616~26)がそれをおさえ、アイシン()を建国します。
2代の太宗(位1626~43)が1636年、国名を清(1616(1636)~1912)と改め、中国を支配し、大帝国になっていきます。

正解:②

第1問B 問5

アは、「地図1のもととなった地図がつくられた時代」なので、14世紀(1300年代)のこと、イは、「地図1から200年後」なので、1402年~1602年のこと、です。まず、このことを、しっかり確認しておきましょう。

選択肢の中で、まず古すぎるものを済ませておきましょう。
bの大秦王安敦(あんとん)というのは、ローマ皇帝のマルクス=アウレリウス=アントニヌス(位161~180)とされています。後漢時代の話ですね。

先ほどみた、「帝政ローマ」のタームで年代をしぼってもいいですが、ここは「漢」でしぼったほうがいいでしょう。

漢も、紀元を基準に前後200年ちょっとずつが前漢・後漢とおさえればいいです。大ざっぱなまとめですが、紀元前200~0が前漢、0~200年が後漢です。(正確には前漢(前202~後8)、後漢(25~220)ですが、まずは大まかにおさえることが、本当に大切です。)

前漢と後漢

(上図:前漢と後漢の大まかな時代のとらえ方)

ということで、選択肢b は「0~200年」の間と判断でき、この選択肢は消せます。(正確には166年です。もっとも、ここまで考えなくても、この選択肢は消せますね。)

アをみていきましょう。実質、a か d かの選択になります。
14世紀(1300年代)のものが、どちらかを選びましょう。

ここは、年号で攻めてみます。

1492年に、コロンブスがアメリカ到達、1498年に、ヴァスコ=ダ=ガマがインド航路の開拓を達成しました。(順序が逆のような印象を受けるかもしれませんが、アメリカ航路に関してはこれがはじまり、インド航路についてはこれが一応の達成なので、こんなものです。)

これらの年号は、覚えておくべき、というか覚えられる年号です。 

覚えられる、というのは日本の歴史とのからみからです。戦国時代の終わり、1500年代に入って、急激に鉄砲やキリスト教などヨーロッパのものが入ってきましたよね(ここらへんは、先にも紹介した「井出進学塾の歴史教室」を参照してください)。

コロンブスやヴァスコ=ダ=ガマの事業は、その少し前の1400年代の終わりくらいだろう、ということから、これらの年号は自然に入ります。

というわけで、1400年代なので、選択肢 a は消えます。

選択肢 d で、合っていることを確認しましょう。

イブン=バットゥータ(1304~68/69あるいは77)はイスラーム教徒の旅行者です。彼は陸路を旅しました。

問題文のアにつづく部分にも重要なヒントがあります。
この時代は、「東西交通が活発だった」とあります。

何のことか、わかりますよね?

モンゴル帝国が、広大なユーラシアの領域を支配していた時期、ということです。1300年代前半の話です。(1200年代の終わりくらいに元寇、1368年にが成立、くらいは覚えておきたいところです。これらから、これが1300年代前半の話と導けます。)

問題の完成度が高いといえますね。

問題文の「東西交通が活発」と、選択肢の「イブン=バットゥータがユーラシアを旅行」が、モンゴル帝国を媒介として、完全に結びつきます。

アには、d が入ると決まります。

アには d が入ると決まったので、選択肢は⑤か⑥にしぼられ、イは e か f ということになります。

イは1402年~1602年ですが、これは先ほどの大航海時代の話の続きから簡単にきまります。

コロンブスやヴァスコ=ダ=ガマに少し遅れて、マゼランの艦隊が世界周航を成し遂げます(1519~1522)。

これも問題がよくできていて、地図2をみると、アメリカ大陸まで描かれていますね。

マゼランの世界周航がなければ、描くことができない情報です。(マゼランの艦隊は世界周航の際、南アメリカ大陸の南端を通過しました。教科書・図録などで確認しておきましょう。)南アメリカ大陸南端の海峡(かいきょう)部には、マゼラン海峡の名が残っています

マゼラン海峡

イは f と決まるので、正解は⑥です。

e は、新しすぎますね。クック(1728~79)が太平洋を探検したのは、18世紀の話です。近代諸科学の発展が、その背景にあります。

c は、さらに新しいです。それは、そうです。南極点到達なんて、そんなに簡単なことではありません。20世紀に入り、1911年のことです。

正解:⑥

第1問B 問6

朝鮮半島の歴史についての問題ですが、隠れテーマとして「日本の歴史」についての問題ですね。

まず地図1は1402年のものとはっきりしています。
こちらを先に解釈しておきましょう

これが、どういう年代かというと倭寇(わこう)がキーワードです。

中国に(1368~1644)朝が成立したのが1368年。ここらへんは細かい年号ですが、歴史の流れをおさえるために覚えておきたい年号です。

明といえば日本の室町幕府3代将軍である足利義満(あしかがよしみつ)が始めた日明貿易(勘合〔かんごう〕貿易)が有名です。倭寇の活動が活発な時期と重なる時期だという印象は残っていますよね。(勘合貿易と倭寇との関係については、以前のような単純な解釈は最近されなくなってきました。くわしくはこちらのブログ記事「勘合貿易の秘密」をご覧ください。)

この時期、朝鮮では李成桂(りせいけい:1335~1408)が倭寇を破って名声を高め、1392年に高麗(こうらい)を倒して朝鮮王朝(1392~1910)を建てる、というエピソードがあります。その時代の話ですね。

選択肢をみていきましょう。

a:だいぶ新しい話ですね。甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)は1894年で、日清戦争(1894~95)のきっかけになった事件です。
この選択肢は、後ろの方になるでしょう。

b:こんどは、またえらく古い話です。楽浪郡(らくろうぐん:前108~後313)は、前漢の武帝(ぶてい:前141~前87)が、朝鮮半島への支配を進めるために設置したものです(前108年)。前漢の話なので紀元前の話ですね。この選択肢は、前の方になるでしょう。

c:この問題は、実質 c と地図1の年代比較といえるでしょう。
地図1が中国でいうと明の時代、日本でいうと室町時代と解釈していれば簡単に判断できます。

豊臣秀吉(とよとみひでよし:1537~98)なので、室町時代の後の戦国時代の後の安土桃山時代の話です。なお、秀吉は朝鮮に2度出兵しましたが、それが1590~98年の間のできごとであることは「井出進学塾の歴史教室 第2回 「『本能寺の変』は何年?」・・・覚えようとしなくても、自然と出てくるようになる方法」をみてもらえれば、本当に自然とわかるようになります。

順に並べると、b→地図1→c→a の順になるので、正解は③です。

正解:③

第1問C 問7

けっこう軽い問題です。
文章をしっかり読めば、自然と答えられます。

まず、ウからみていきます。

資料をみると、カナダ全体では英語が第一言語という人が多いです。

「英語」を話す人が多いということは、イギリスによる支配を受けていたということになりますね。ということで、b か d の選択になります。

このうち、d:プラッシーの戦い(1757)に関する記述は、明らかにインドでの話ですよね。 「明らかに」と書きましたが、イギリスによるインドの植民地化の進展は重要事項なので、必ずおさえておきましょう。

ということで、ウにあてはまるのは b です。

次に、エです。

資料では、ケベック州はフランス語を第一言語とする人が多いことがわかります。これも、「フランス」の植民地であったことが原因と考えられるので、a か c にしぼられます。

このうち、a の「『黒人』共和国」というのは、ないでしょうね。カナダは、白人が多い国です。(a はハイチのことです。1804年、ナポレオンが派遣したフランス軍を破り、史上初の黒人共和国になりました。)

ということで、エは c となりますので、答えは③です。

この問題は、読解力だけでも正解にたどりつけますが・・・

近代、イギリスが、世界に大きく伸張しアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの地に大いに植民してたということ(アメリカ、カナダ、オーストリアの白人は、すべてイギリスがルーツ)はあたりまえとして、

・「北アメリカにおける、フランスとイギリスの植民地獲得競争」

・「インドにおける、フランスとイギリスの植民地獲得競争」

・・・などの重要事項を、ある程度でも受験生の中で整理されているか?を問われた、問題です。上でみましたように、ある程度でもおさえられていれば、この問題は簡単でした。

正解:③

第1問C 問8

まず、近代史なので、「1860年代」と「1920年代」とでは、だいぶ差があることを意識しましょう。この問題のキモはそこにあります。
(第一次世界大戦が1914~18年なので、1920年代は第一次世界大戦の後ということになります。第一次世界大戦後、ヨーロッパ諸国は停滞し、アメリカが世界の中心となっていきますので、これは大きな時代差と考えてよいです。)

アメリカ合衆国は、18世紀の終わりころの1776年独立宣言によって独立しました。独立当初は、太平洋岸の13州だけです。そんなにすぐに、今のアメリカの領土をおさえていたわけではありません。とはいえ、すごいペースで領土の拡大〔西進運動〕は進みましたが、それでも、建国から100年足らずで中米のパナマまで進出する、というのは、ちょっと考えられないですよね。

ということで、「大陸横断鉄道」と「パナマ運河」の選択は、「大陸横断鉄道」でよいでしょうが、もう少し、つめておきましょう。

1860年代のアメリカの状況をつかむために、次のIOPがあります。


日本の開国とアメリカ南北戦争(IOP)

1853年、アメリカのペリーの来航をきっかけに日本も開国します。

今の国際情勢から、アメリカによって開国したというのは違和感のないところですが、当時はまだイギリスやフランスの方が勢力が強く、アメリカというのは、わりとたまたまです。

アメリカは、せっかく日本を開国させましたが、開国後の日本の貿易相手はほとんどイギリスで、イギリスがうまみをもっていってしまったような形です。

なぜそうなったか?というと・・・
IOPのいうとおり、アメリカは南北戦争(1861~65)で、それどころではなくなっていたからです。

この南北戦争を経ることで、アメリカは南部と北部の対立をのりこえて、さらに発展していくことになります。最初の大陸横断鉄道が完成したのもこの頃(1869年)で、アメリカがさらなる発展を始める時期を象徴しています。

パナマ運河の建設が進んだのはもう少し後で、セオドア=ローズヴェルト(任1901~09)のときの話です。

次にカをみていきます。

「アジア系の移民を禁止する」と「特定の居住地に強制移住させる」からの選択になります。

メモ2をみますと、中国人や日本人に対する反感が強まってきたため、とられた政策だとわかります。ですから、ここはすなおに「アジア系の移民を制限する」の方を選んで問題ないでしょう。

第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは経済の「永遠の繁栄」を謳歌(おうか)していた時期です。そのような時期でも、ここでみたようにアジア系の移民を禁止するなどの側面も持っていました。

「特定の居住地に強制移住させる」というのは、西部開拓が進められていた時代に、先住民に対してとった処置のことでしょう。第7代大統領ジャクソン(任1829~37)のときの話ですから、1860年代より前の話です。

これも時代感覚さえある程度つかめていたら、覚えきれていないところがいくつかあっても、十分に正答できる問題です。

正解:①

以上です。ありがとうございました。
コメントなどいただけると、とてもうれしいです。
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執筆:井出進学塾(富士宮教材開発) 代表 井出真歩

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