【第3回】生物多様性・生態系保全へ向けたグローバルな取り組みの次のステップ(全3回)

※本記事は、3回に分けて掲載させていただきます。

3-1.ポスト2020生物多様性枠組と企業・組織の情報開示

ここ数年、生物多様性と気候変動の分野で自然科学・社会科学の垣根を超えた異なる分野の科学者・専門家の協力が進み、科学と政策との対話も活発に行われるようになった。

2019年1月、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムにおいて、フューチャー・アースとそのパートナー機関から「地球委員会」(Earth Commission)の設立が発表された。委員会は、気候変動分野での2℃(現在1.5℃)目標のように、水、土地、海洋、食料、生物多様性などの自然システムについても同様に目標を設定することを目的としている。世界のトップ科学者が既存の研究を評価し、全地球システムの視点から科学的知見を提供する[8]。具体的には、地球の生命維持基盤システムを守るための科学的ターゲットを2021年までに設定する。
また、SDGsについても、実現可能な科学に基づくターゲットを特定し、目標達成に向けて一助を担う。最終目的は、都市や企業レベルで科学に基づく定量的なターゲット(science-based targets)を特定することだ。このプロセスは現時点ですでにほぼ終了している。先駆的NGOが連携するScience Based Targets Network(SBTN)が地球レベルから都市や企業のターゲットへ落とし込む具体的作業を行い、2020年9月、自然のあらゆる側面を統合したSBTsの最初のガイダンスSBT for Natureの草案に基づいて、企業の自然資本利用に関する評価方法を多数の企業などと共同構築するプロセスを開始した[9]。

2020年12月には、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)と生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(IPBES)がオンラインで共同ワークショップを開催した。
以前から、科学界や政策立案者の間では気候変動と自然の喪失は相互に関連していることは認識されていたが、実際には2つの課題は、ほとんどの場合、異なる研究コミュニティによって個別の領域で扱われていた。それぞれの課題に対応する独自の国際条約(国連気候変動枠組条約と生物多様性条約)があり、利用可能な科学的知識を評価する上でもIPCCとIPBESが機能的に分離されていた。
このワークショップは2つの政府機関が初めて共同で行ったもので、それぞれの歴史の中でも画期的な意味を持つ。ワークショップでは、生物多様性の保護と気候変動の緩和・適応の間の相乗効果(シナジー)とトレードオフがテーマとなった。これには、生物多様性・生態系サービス(NCP)関連リスクのもとで気候変動が生物多様性に与える影響、不可逆的な変化への閾値を考慮した気候変動下での生態系の回復力、気候のフィードバックと緩和への生態系の貢献が含まれる。ワークショップの報告書は、パリ協定、ポスト2020生物多様性枠組、SDGsの実施にフィードバックされることになった[10]。

生物多様性条約、SDGs、パリ協定をめぐる動きの中で、サステナビリティ報告の国際基準を提供する機関であるグローバル・レポーティング・イニシアティブ(GRI)も、これに対応する試みを開始した。
GRIが公開しているGRIスタンダードは、マルチステークホルダーをユーザーとしていること、企業と組織が経済・社会・環境に与える広範なインパクトを重視することにおいて、非財務情報開示の国際基準の中でも最もSDGsと整合的で親和性が高い。現行の項目別GRIスタンダードで生物多様性の課題を重点的に扱っているのはGRI 304:生物多様性(2016)だが、GRI 305:排出(2016)、GRI 303:水と排水(2018)、GRI 306:廃棄物(2020)も関係している。
GRIの独立した基準設定機関であるGSSBは、2021年の優先プロジェクトとして、9月にGRI 304改定の準備を公式に開始した。同プロジェクトは、IPBES地球規模評価報告書、GBO5地球規模生物多様性概況報告書、ポスト2020生物多様性枠組草案など、今後の政策形成につながる政府間文書や取り組みのベストプラクティスに沿った内容に変更することを目的にしている。1年後の2022年9月には、GRI 304改定スタンダードがGSSBで承認される見込みだ[11]。

企業の間でもここ数年、生物多様性・生態系サービス(NCP)の危機への認識が急速に高まり、民間主導による取り組みも始まっている。グローバル・リスク報告書に続いて、世界経済フォーラム(WEF)はこの課題に取り組むべく3つの報告書を相次いで公表した。

2020年1月に公表された最初の報告書(Nature Risk Rising: Why the Crisis Engulfing Nature Matters for Business and the Economy)は、企業の経済活動が自然に大きな脅威となっているだけではなく、自然を覆う危機があらゆる産業分野の企業にとってどれほど深刻なものとなりうるかを説いた。
世界のGDP合計の半分以上に相当する44兆ドルの付加価値の産出は、自然とそのサービスに中程度または高度に依存している。これは特に自然への依存度が高い4つのセクター(建設、農業、食品・飲料で約8兆ドル)だけではなく、第二次、第三次産業でも、6つの業種の例で見ると、自然への直接の高度な依存度は15%未満だが、サプライチェーンを通じた「隠れた依存性」を持っている(サプライチェーンの付加価値の50%以上が高・中程度に依存)。このような自然への依存は、いくつかのルートを通って、自然リスクが企業にとっても「マテリアル」となることを意味している[12]。

「企業は、気候リスクと同様に、事業にとって重大な影響を与える可能性の高いマテリアルな自然リスクを特定し、評価し、その情報を開示すべきであり、そのような情報開示を通して、事業活動やその他の経済活動がネイチャー・ポジティブ(自然の喪失を食い止め、回復させること)に向かうように、世界の資金の流れを変えることができる」と報告書は結論づけた。
その具体的な手立てとして、すでに成功を収めている気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)のアプローチを、自然の特性を考慮しつつ援用し、「目的に適合した自然ベースのリスク・マネジメント・アプローチ」を提案している[12]。

3-2.自然関連財務情報開示に関するタスクフォース(TNFD)の設立[13][14]

2020年7月に、自然・生物多様性に関連してTCFDと類似の財務情報開示枠組の国際基準の開発を行う「自然関連財務情報開示に関するタスクフォース」(Task Force on Nature Related Financial Disclosure:TNFD)を結成する構想が発表された。
この構想のイニシアティブの設立メンバーは国連開発計画(UNDP)、国連環境計画金融イニシアティブ(UNEP-FI)、世界自然保護基金(WWF)の3つの国際機関とNGOのGlobal Canopyで、枠組開発と試験運用に関わる非公式作業部会(IWG)には、金融機関・企業49社、政府4機関、コンソーシアム4団体が参加し、TNFDの機能の範囲決定と作業計画の準備に入った。

2021年6月4日にTNFDは正式に発足した。今後、実用的な枠組草案の構築(第1フェーズ)、検証(第2フェーズ)、コンサルテーション(第3フェーズ)、を経て2023年第二半期にTNFD枠組の公表(第4フェーズ)を予定している。
同時に発表された報告書(Nature in Scope)には、TNFDの範囲(アプローチ、自然関連のリスクと機会の概念・定義、自然関連財務情報開示の中核要素)、今後2年間のアウトプット、基準設定機関とデータプロバイダーのエンゲージメント、作業プラン、組織体制、及び資金源とコミュニケーションに関する方針が示されている。

TNFDの枠組は、TCFDで採用されている構造と同様、組織運営に関する4つの中核要素であるガバナンス、戦略、リスクマネジメント、指標と目標(ターゲット)からなるアプローチを採用している。
このアプローチでは、企業は情報開示に際して、マテリアルな自然関連リスクを特定・分類し、4つの中核要素の枠組を通じてリスクマネジメントを行う。しかし、重要な点でTNFDのアプローチはTCFDとは異なっている。

第一に、自然関連の枠組には自然を測定するという特有な課題があり、枠組の設定にはリスクの体系的な性質の認識、広範な政策と市場の開発が必要であるため、TNFDでは「リスクと機会」という用語の使用範囲を超えた広範な定義を明示的に表す「自然関連のリスクと機会」という用語を用いることになった。
第二に、リスクには短期的な財務リスクに加えて、組織が自然に与えるインパクトと組織の自然への依存性(dependencies)の双方を含む。このことは、組織は自然が組織の直近の財務パフォーマンスに与える正または負のインパクト(内向きのインパクト)だけではなく、組織が自然にもたらす正または負のインパクト(外向きのインパクト)についても開示すべきだということを意味する。
TCFDが単一の財務マテリアリティに限定したアプローチをとるのに対して、TNFD はダブルマテリアリティのアプローチをとることを明確にした。これは、欧州委員会の委託を受けて非財務情報開示指令(NFRD)の改正やコーポレート・サステナビリティ報告指令(CSRD)の提案を行なってきた欧州財務報告諮問グループ(EFRAG)のアプローチとも照応している。

今後、企業や金融機関には、事業活動の自然への依存度や自然に与えるインパクトを特定し、評価し、開示することが求められる。そのためには、共通の目標設定、評価、報告の測定の基礎となる、既存データの活用や新規データの算出方法などのツールの開発が課題となる。

【第1回】1. はじめに—生物多様性条約第15回締結国会議(CBD COP15)
の記事はこちら
↓↓↓↓

【第2回】2. 持続可能な開発目標(SDGs)、気候変動・パリ協定、生物多様性の記事はこちら
↓↓↓↓


参考文献
[8] 東京大学未来ビジョンセンターウェブサイト
https://ifi.u-tokyo.ac.jp/news/4885/ 
[9] Sustainable Development Targets Network (SDTN), SBTs for Nature, September 2020.
[10] IPBES and IPCC, Biodiversity and Climate Change: Workshop Report, IPBES-IPCC co-sponsored workshop, 2021.
[11] GRI, Item 02-GRI Topic Standard Project for Biodiversity: Final project proposal, GSSB Meeting, 23 September 2021.
[12] World Economic Forum, Nature Risk Rising: Why the Crisis Engulfing Nature Matters for Business and Economy, May 2020.
[13] TNFD Website: https://tnfd.global/
[14] TNFD, Nature in Scope, July 2021.

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