掌編:ストロベリーチョコレート
#小説 #恋愛 #悲恋 #アンハッピーエンド #バレンタイン #百合 #青春
有名なお店の高級ストロベリーチョコレートは、甘酸っぱくて苦かった。
「え、何で、」
「鬱陶しいのよ」
二月十四日。
私は、好きな人にさよならを告げた。
嫌いになった訳じゃない。違うんだ。でも限界だった。大学受験に人も疎らな学校の、放課後の教室。傾く夕日は莫迦みたいな青春小説のように室内を染めて、そこに在った。
あの日みたい。
彼が私に告白してくれた、あの日みたい。
そして。
「────」
彼女が失恋して泣いた、あの日みたい。
いつもだ。
いつも、こうやって、彼女は私の視界にちら付く。これはきっと残像で、私の脳裏に焼き付いていて。
私の中の彼女の、最期の姿だから。
あの日、昼休みに彼女はとうとう想いを伝えると言った。私は笑顔で応援した。がんばって、と。
この告白が上手く行かないことをすでに知っていながら。
だって。
だって彼は、前日、私を好きだと、言ったんだもの。
それでも私は送り出した。彼女もこのときは笑顔だった。ずっと相談に乗って来た私を信じ切っていたんだろう。
裏で蠢く魑魅魍魎染みた、暗がりを感付いていたら。
莫迦な、子。
私だって。
彼が、すきだったのよ。
放課後、待ち合わせた教室で彼女は案の定泣いていた。彼女が振られることを、内心こっそり私はよろこんでいた。だけど。
誓って言える。私はそのとき心の底から彼女を心配したのだ。
彼を好きになる前から彼女とは友達で。喧嘩だってした。けど、いつだって私たちはすぐ仲直りして、そう。
今回だって、甘く観てた。
私は彼女にいろいろ話し掛けた。あんな男やめなよ、アイツ見る目無いね、他にも素敵な人いるよ。全部、本気だった。彼女のほうが私より、全然、良い女だった。彼女程素晴らしい女はいないのに。……ああ、うん、そう。
私は彼女に卑屈なコンプレックスと、同時に信心とも言える憧憬を抱いていた。なので、このときも私の中には彼女に勝てた歓喜と、何だ彼はこの程度の男だったのかと言う失望めいた安堵が在った。
彼には私くらいの女がお似合いだったって考えてたんだ。
彼女には相応しくない。
これで良かった、本気で。
本気で。
やがて、ひたすら励ましを喋りまくる私へ、彼女が俯いていた顔を上げた。そうして。
「うそつき」
頭が、真っ白になった。
そのあとはよく憶えていない。気が付けば彼女は先に帰ってしまっていて、私はふらふらしながら帰宅した。
翌日、ただ謝らなきゃと考えていたことは確かだった。
謝れば取り返せる、私は。
本当に愚かだった。
彼女の家から電話が来るまでは。
「そんな……」
立ち尽くす彼に胸が痛む。
彼女は、あの日帰ってから塾に向かって。
スピード違反の車に跳ねられたらしい。ダッフルコートのパーカーが後輪に引っ掛かり、数メートル、俯せに引き摺られた。
幸い即死だったから痛くはなかっただろうと警察の人。
何の慰めにも救いにもならなかった。彼女に掛けた、数々の私の言葉のように。
行われたお葬式ではもうお棺に封がされてしまっていた。顔は見ないでやってと、泣くおばさんに言われた。
だから。
だから私の彼女の最期は、あの涙を流す姿だった。
うそつき、彼女に初めて罵倒された、あのときの。
「何で……どうして、いきなり」
「いきなりじゃないわよ」
ずっとだ。付き合って一年程いつだって彼女はいたんだから。
「そう、なの……? だけど今まで一度だってっ……!」
「そうね」
言ったことは無い。言ったってわからないと思うから。
あなたに彼女は見えないでしょ。
これは私の、後悔だもの。
「でももう無理」
限界だった。
「鬱陶しいの」
日常も、デートのときも。
「セックスのときだって」
不意に意識を掠めた。
「私イけたこと無いんだから」
彼女は泣いている。
あの日と同じような、放課後の教室、指先の感覚も無い寒さ。違うのはあの日は雪で、今日は晴れ。そして。
鞄の中の、ストロベリーチョコレート。
有名な専門店の、高級チョコレート。彼に渡すためでは無い。
私は鞄を手にすると、項垂れる彼の横を擦り抜けてその場をあとにした。
「……ねぇ、これで満足?」
とある墓地で、墓の前で、私は呟いた。目の前には彼女の苗字が彫られた墓石。当然、彼女の墓だ。
彼との一年ちょっと。勿論彼女の残像を無理矢理奥に押し込めようとしたことも無視しようとしたことも在った。
「だけど無理だよね」
彼女とは家族ぐるみ。部屋は無論、家も学校も町も、彼女を示さない場所は無かった。
第一、彼が一番、彼女を連想させた。
「ねぇ、満足?」
これは誰に言っているんだろう。彼女にか、私にか。
問わずにはいられないだけか。
「ねぇ、満足?」
こたえなんて、無いのに。
私はおもむろに鞄を開け、ストロベリーチョコレートを出すと包装紙を破った。大雑把な私がこう言うことをすると、几帳面な彼女によく叱られた。そんなこと、起こる訳が無い。
可愛い、よりは優雅とか上品とか言う類の包装紙の下からこれまたシックな箱が現れた。蓋を開くとシンプルながら美しい、様々な形のストロベリーチョコレートがやっぱりきれいに整列されて鎮座していた。
私は一つ取り出すと、墓に向かって投げ付けた。チョコレートはかこん、と音を立てて跳ね返った。
更に一つ摘み出すと、私は口に放り込んだ。
彼がいなかったころ。この有名店が出来たころ。
お小遣いを出し合って二人で買ったのが、このストロベリーチョコレートだった。
美味しいけど普通だね、見た目は豪華だね。二人で批評し合った。私たちは笑い合っていた。
夏目漱石の「こころ」で、先生はこんな気持ちだったんだろうか。だとしたら確かに堪らない。
口の中のストロベリーチョコレートは、あの甘酸っぱくて苦いまま変わらない味で、溶けて喉奥へ消えて行った。投げたチョコレートは。
この寒さで墓の真下、変わらない姿でそこに転がっていた。
【Fin.】