共同体について

生れは大阪、
これは自分では変えられない共同体。

仕事で東京に、
これは自分で変えることができる共同体。

共同体とは
血縁に基づく家族,地縁に基づく村落,友情に基づく都市などのように,人間に本来備わる本質意思によって結合した有機的統一体としての社会。
-広辞苑

だそうです。

本来備わる本質意思ということであれば
子供には
「血縁に基づく家族,地縁に基づく村落」
について選択の余地はないので
その共同体へ属していると言えるのでしょうか。

子供でも家族やその周辺地区の名前はわかります。
そこに住み、生活しているのもわかります。
でもそれが自分の本質意思なのかどうかはわかりません。

そもそも人間がその共同体に属したいという意思は備わっているとは思いません。

属したいと思うには理由があるはずです。

「なんとなく居心地がいい」
「尊敬する人、好きな人と活動したい」
「優位に立ちたい」
「利益を得たい」
「楽をしたい」えtc

本質意思というのが欲求のことを言っているのであれば理に適う。

この「本質意思」というのが無意識に存在する「集団欲」とするならば
上記の理由がなくてもその「集団欲」を満たすために共同体に属しているといえそうです。

理由は後付けで
とりあえず仲間と認識できる何かと共にしたい。
という無意識の欲求が共同体を形成するということ。

ならば自分で変えられる共同体はどうでしょう。

ただ単に
主に関係している共同体の種類が変わるだけ
といえそうです。

会社をやめて別の会社へ入る。

会社をやめて自営業で生活する。

会社をやめて趣味をやる。

どれをとっても結局は何かに属することになりそうです。

もしくは
死ぬ

これは自分の意志とは別に

死者という共同体
もしくは

墓地という共同体
に他者が振り分けそうですね。

他者の持つ「集団欲」が
自分へ振りかかるようなもです。

つまり「集団欲」があるとするならば
自分に対しての欲だけでなくて、他者をも集団化させたい、
振り分け、区別したい。
そう思うことかもしれません。

得られた教訓
自分が集団を見ているときは
集団も自分を見ていると思うこと。

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