2022/8/11自由不自由
快適な生活を目指して日々を送っている人は
本当に快適という感情を持ち合わせているか
一瞬は良いと思うだろうがすぐに不満が生まれていないか
その不満は判断が先立って感情的な不満が生まれているのではないだろうか
エピクテトスは
感情の手前には「判断」がある
と言うらしい
感情的な不満の前に理想との対比を行い
優劣をつけている。
そういう意味では快適な生活を目指す人は実用的な
快適という感情や状態を理解できていない可能性がある。
なぜなら
自分の実現可能な快適を完全に理解するためだけに行動すればよいものを
一旦行動してみて良し悪しを判断しているからである。
となると理想的な生活自体を目指せてはいないような気もする。
目標がないが突っ走る
若者マインド的な
そういった若者は2022年代日本では少ないらしいが
景気が良いときは結構いたらしい。
自身が思う理想的な状態は幼少期の環境に由来するらしい。
つまりはどれだけ夢見ることができたか。
夢見ることができれば自由で何でもできると思い
出来なければ不自由であると思う。
ということなら納得がいく。
理想のない人間が理想を追い
理想的だと思いながら生活している人間は自由と感じている。
ということになりそうだ。
ゲーテは
自由でないのに自由と考えている人間ほど
奴隷になっている
と言ったらしい。
すべての人間に当てはまるが
人間は自由ではない。
人間は生理的欲求に支配され
人間に支配され
地球という自然環境に支配されている。
その中で自由と思うか
不自由と思うか
奴隷出身の哲学者エピクテトスは
記憶しておくがよい。君は演劇の俳優である
しかし、「誰もが主役」というわけにはいかない。自分に与えられた役回りが、たとえ端役や悪役であったとしても喜んで受け入れ、監督や演出家の創作意図を正しく理解し、そのつどその役に相応しく見事に演じ切ることが大切だ。
身体や環境、状況は不自由かもしれないが意思の妨げにはならない。
意思は自由である
と言う。
劇作家としても活動していたゲーテは
自由でないのに自由と考えている人間ほど
奴隷になっている
と言う。
自由とは不自由のことなのだろうか。