なぜこんなにも世の中が速く感じるのか
今日のクラスのゲスト講義が、この2年間の留学の学びを全てつなげるものだったのでとりあえず言語化してみます。
自分の身体や行動に関するデータが国境を越えてあらゆるところから収集され、自分の意図しないところで使われ、それが誰かを富ませている、という状況がある。これが、特定の人種や民族や捕虜に行ってきた過去の悲惨な人体実験や奴隷制度と同じ搾取の構造ではないか、という。
機械(テクノロジー)は道具とは異なる(※原典未読)とみてみると、「イノベーション」なるものは問題を解決するのではなく、問題を解決するという夢を見させるだけの高額な壺なのではないか。なぜテクノロジーやイノベーションと道具が違うのかは、誰かの仕事の置き換えでなく、使う人が変化を望むという目的から始まっているかどうか。とはいえ、何がテクノロジーで何が道具かはそう簡単には分けられないし、多くが元々は道具だった。それでも、少なくともそうした必要を持っているのは、現在の環境において「弱さ」を持っている、感じている人となる。ところが、今やそこから道具を生み出すための資源はどんどん減っている。一方で、資源を持て余し更にそれを増やせる何かを作っては売るための物語も作っている人たちがいる。
テクノロジーは、常に誰かの仕事・身体・感情を無いものとし、それらっぽいものを提供してきたという。一方で、生き物は他者を認識するから自分を認識できる。となると、テクノロジーから他者を認識することができない以上、テクノロジーに囲まれ、テクノロジーのように考えるうちに自分を見失うということが起こっている?ということは、そんな実在としての自分を見失った人は現実の世界で他者を認識できるわけもなく、テクノロジーと物語のループの中で実は自滅していっている?これがもしかしてシリコンバレーフィードバック(自分が摂取したSFを目指してテクノロジーを生み出し、そこから新たなSFが生まれる状況を揶揄したもの)ということか。
世の中は前に進んでいたとしても、置いてきぼりにされるように速く進んでいるようなのはきっと気のせい。人間じゃなくなりつつある誰かが仕掛けたフィルター越しに景色が見えているだけかもしれない。