【ショートショート】偽アートマン
我は偽アートマンである。
本当はアートマンである、と言いたいのだが、そういってしまうとアートマンで無くなってしまうので便宜上「偽アートマン」という呼称をもっている。
私はいつもボコボコに殴られている。よく公園のベンチで寝転がっていると、金髪でピアスを何個もつけた少年少女達がやってきて殴ってくるのである。奴らは拳に私の血を少し付けながら「きったねぇ!」と言いながら帰っていくが私は無傷である。なぜなら偽アートマンだからだ。
私はいつも上司からネチネチと嫌味を言われている。私の仕事が遅く、人に迷惑をかけている、かららしい。そのために深夜まで残業することもある。同僚から「大丈夫か?元気か?」とよく言われるが、私はやはり無傷である。なぜなら偽アートマンだからだ。
私の周りはいつも人が死ぬ。両親とも私が学生の時に死に、私の数少ない友人は自殺してしまった。哲学者や文学者というのはすぐに自殺をしてしまう。遠縁の親戚から「悲しいね。つらいね。」と言われるが、私は無傷である。なぜなら偽アートマンだからだ。
みな、私のことを甚だおかしな奴だ、といってくるがそんな事はない。みな、本来は私と同じなのである。みな、そうでないと勘違いしているだけなのだ。
逆に問う。
なぜ、私が殴られ血を流したからといって私自身が傷ついたと言えるのだろうか?
私の体は傷つき確かに痛みもある。いや、なんならとても痛いが、それによって私という存在は傷ついていないのだ。私の「身体」が傷ついただけだ。
なせ、私の愛した人間が死んだからといって私自身が傷ついたと言えるだろうか?
私は哀しみを感じ、涙を滝のように流すが、それはただ哀しみが認識されたに過ぎない。
私は認識されないが、みな私を持っている。私は認識の主体である。みな、認識するということはどこかにアートマンを隠し持っているのだ。私はあらゆる対象物から隔絶した存在である。
君たちもすぐに対象物と自己をひもづけることはやめるがいい。痛みも悲しみも喜びも快楽も全ては君とは関係のないものなのである。
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