養老孟司とスティーブ・ジョブズと幸福論
何して生きるのが幸福か、先人の知恵を引用して記してみる。
養老孟司
ひとは基本的に自分で物事を決めたいと思う傾向にあり、その代表に仕事がある。ただ、何かの仕事をしようとすると、大体の場合、ありとあらゆることをしなくてはならなくなる。例えば医療をやりたいなら、患者さんを見ることがやりたいかもしれないが、そもそも患者さんは勝手に向こうから来るからこっちが勝手に選ぶことはできない。基礎医学をしたいのであれば解剖をする必要があり、そのために検体、死亡した人が必要になるので、死んだ人を探さなければいけない。好き勝手に検体を作るわけには行かないし、死ぬ時期は選べないので、例えば元旦でも検体のために、そこに、伺わなくてはいけない。結局、好きなことをしたかったら、やらなきゃいけないことも好きになるしかない。つまり、仕事を変えるのか自分を変えるのかを天秤にかけてどっちかとるしかない。しかしそれを心理的に吟味してる暇なんかないので自分を変えたほうが楽。そして、やらなきゃいけないことをやっていくと、その内にその中でも自分の好きなことと好きではないことが別れてきて、自分の好きなことがはっきり見えてくる。それで結構面白いのは、これを実践するためには半端な気持ちだとダメで、いつでも逃げたいという気持ちでやっているとうまくいかない。そうすると、実は、好きな仕事しようが嫌いな仕事しようがあんまり変わりがないのではという気がしてくる。
なんとも俯瞰的な意見である。結局目の前の仕事を一生懸命やって、それを好きにすることが重要と、そういうわけだ。
ただ、これだけではなんかワクワクしない。そこでスティーブ・ジョブスの登場である。
有名な「コネクティングドッツ」だ。
スティーブ・ジョブズは、学生の頃、カリグラフィーという「字をいかにかっこよく書くか」という授業に興味をもち授業に潜りこんでいた。その後、Macのパソコンを開発していく中で、モニターの中に文字がどう浮かび上がるか、文字の美しさがどれほど人間の視覚認識に大切か、ということに気づいた。その時、彼の頭の中に浮かび上がってきたのが10年前のカリグラフィーの授業だった。これが「点(ドット)がつながった」、コネクティングドッツだ。これによって、世界中のパソコンに「フォント」という概念が生まれた。
結局、何をするべきか?なんて悩んでいる時間も、どうすればうまくいくか?なんて悩んでいる時間も無駄なのかもしれない。眼の前にあるものに集中し、取り組む。
そうすれば好きなものもはっきり見えてくるし、イノベーションも生まれてしまう。本当に嫌いだと思う瞬間も結局、眼前の集中した取り組みのあとでしか生まれない。
時間があるなら動くこと、それが一つの幸福論であるかもしれない。
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