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家族による子どもの拉致という犯罪 ~子どもと親の視点から~

アメリカ司法省 司法計画室・少年司法および非行防止室

この記事はアメリカ司法省が2010年に纏めた「The Crime of Family Abduction: A Child's and Parent's Perspective」というレポートを翻訳したものです。

アメリカ司法省
司法計画室
ワシントンDC 20531
北西7番通り810

エリック・H・ホルダーJr.
米国司法長官

ローリー・O・ロビンソン
司法長官補佐官
司法計画室

ジェフ・スロウィコウスキー
管理者代理
少年司法および非行防止室

司法計画室
イノベーション・パートナーシップ・より安全な隣人関係
www.ojp.usdoj.gov

少年司法および非行防止室
www.ojp.usdoj.gov/ojjdp

この文書は、アメリカ司法省司法計画室、少年司法および非行防止室(OJJDP)の協力協定番号 2009-MC-CX-K058 に基づいてフォックスバレー技術研究所が作成したものです。

本書で述べられている見解や意見は著者のものであり、必ずしもOJJDPやアメリカ司法省の公式な立場や方針を表しているものではありません。

少年司法および非行防止室は、司法支援室、司法統計室、地域社会能力開発室、国立司法研究所、犯罪被害者支援室、性犯罪者処罰・監視・逮捕・登録・追跡(SMART)室を含む司法計画室の一部門です。

2010年5月 初版

エリック・H・ホルダーJr.司法長官からのメッセージ

 家族による拉致は、アメリカで最も一般的な子どもの拉致の形態です。拉致犯の動機に拘らず、この行為は違法行為であり、拉致された子ども、監護親、そして拉致した家族の一員に永続的な影響を及ぼします。家族による子どもの拉致は50州全てとコロンビア特別区で犯罪とされています。
 家族の拉致を経験した6人の協力を得て書かれた本書は、第一線の視点からの貴重な洞察を特徴としています。この本は、子どもを捜索中の家族、法執行機関、メンタルヘルスの専門家に、回復と癒しに対する子どもを中心とした包括的なアプローチを構築するための戦略を提供するために作成されました。とりわけ、この出版物は、家族による拉致という犯罪にさらされた被害者を支援するために作成されました。
 司法省は、子どもと家族を被害から守ることを約束します。「家族による子どもの拉致という犯罪:子どもと親の視点から」が、この犯罪の影響を受けている人々に、彼らが必要とする実用的資源と支援を提供することを願っています。

エリック・H・ホルダーJr.
司法長官

ローリー・O・ロビンソン司法長官補佐官からのメッセージ

 毎年、20万人以上の子どもが、家族による拉致の犠牲になっています。親や別の家族の一員によって家族、家庭、友人のもとから連れ去られ、彼らは不安と孤独の生活に追い込まれます。
 子どもを危険から守るために、私たちは常に警戒し、地域社会の中で子どもが直面している危険について情報を提供し続けねばなりません。この責任の重要な部分は、家族による拉致が重大な犯罪であることを認識することから始まります。
 この出版物は、被害者とその家族が危機に瀕したときに、知識とサポートを提供するために書かれました。この試練に直面している家族にとって、自分たちは一人ではなく、拉致された子どもの奪還を支援するための専門的なリソースがあることを知ることは、慰めになります。この出版物で提供される苦労して得た知識は、大きな犠牲を払って得たものです。この本で提供された知識が、他の人々を助けるのに非常に価値ある知識となりますように。

ローリー・O・ロビンソン
司法長官補佐官

まえがき

 家族の一員よる子どもの拉致は、親がこれまでに遭遇し得る最も悲惨な危機の一つです。また、拉致された子どもは、裏切られたという感覚や信じる気持ちを失うなど、様々な感情を抱くため、心に大きな傷を負います。また、家族による拉致によって被害を受けるのは、このような人たちだけではありません。友人は勿論のこと、兄弟姉妹、祖父母、その他の親戚も影響を受けているのです。
 このような被害者のために、「家族による拉致という犯罪:子どもと親の視点から」は、この犯罪に詳しい方々の協力を得て執筆されました。
子どもとその家族のウェルビーイングを守ることは、少年司法および非行防止室の使命の中核をなすものです。私たちは、この資料が、あらゆる意味で犯罪である家族による拉致の被害者とその家族が、その余波に対処するために役立つことを願って提供するものです。なぜなら、拉致の犯罪的性質を過小評価することは、被害者が経験するトラウマを最大化することになるからです。

ジェフ・スロウィコウスキー
管理者代理
少年司法および非行防止室

謝辞

 少年司法および非行防止室(OJJDP)は、本書の作成に時間、エネルギー、情熱を注いでくださった皆様、特に親に拉致された、あるいは捜索中の親になったという気持ちを直接体験された方々に感謝いたします。
  ・元児童拉致被害者のリス、レベッカ、サム・F、サム・M
  ・元捜索中の親であるダニエルとCJ
  ・子どもの頃に家族に拉致された大人のためのピアサポートネットワーク「テイクルート(根付き)Take Root」とそのメンバー
  ・全米行方不明・被搾取児童センターと提携した、拉致された子どもの捜索家族のための家族支援ネットワーク「チームHOPE(Help Offering Parents Empowerment)」と、そのメンバー
  ・元捜索中の親であるアビー・ポタシュ氏と元拉致児童であるシェリー・ダンカン氏
 また、OJJDPは、家族によって拉致された子どもを探すために時間と労力を割き、家族による拉致の防止に努め、捜索中の家族および元字王拉致被害者のために本書を纏めてくれた多くの専門家に感謝します。その中には、プリンスエドワード島(PEI)のミックマク族連合、「先住民の正義」の理事で、「子どもの発見PEI」のケースマネージャーであるコンサルタントのロリー・セントオンゲ氏、オハイオ州ハミルトンのバトラー郡児童サービス委員会のジュリー・ケニストン研修・教育部長、フロリダ州ネープルズのコリアー郡保安官事務所の特別犯罪局長のトーマス・スミス元警部が含まれています。本書の作成に貢献して頂いたOJJDPのロン・レイニー児童保護部副部長、フォックス・バレー・テクニカル大学のヘレン・コネリー氏とハリエット・ハイバーグ氏に特別な謝意を表します。
 本書の最終編集は、ロッキードマーティン司法計画室コミュニケーションおよび出版物の支援スタッフであるエフィ・アモア・ヌティム氏、トム・カレン氏、ブライアン・ヒギンズ氏が行いました。本書のデザインと制作は、ファスターキティLLC社のキャサリン・レナード氏が担当しました。
「家族による拉致という犯罪:子どもと親の視点から」は、家族による拉致のサバイバーと、行方不明の子どもを奪回するために今も活動している人に捧げます。

この本について

 米国司法省の報告によると、毎年20万人もの子どもたちが家族による拉致の被害者になっています。拉致された子どもの大半は、見知らぬ人ではなく、親や家族によって連れ去られていますが、家族による拉致の問題には、依然として誤解や俗説が残っています。子どもに壊滅的な影響を与える深刻な失踪事件は、離婚や監護の問題とみなされることが多く、一般市民や法執行機関が関心を持つべきでない私的なものとされています。実は、家族による拉致は、他の形態の子の拉致と同様に、被害者の子にとって身体的に危険であり、命にかかわることさえあるのです。しかし、多くの場合、最悪の被害は目に見えない形で、子どもの心の奥底に発生し、生涯続くかもしれない痕跡を残します。
 本書は、家族が子どもを拉致するとはどういうことなのかについて、洞察を与えてくれます。子どもと捜索する親の視点から書かれた本書は、読者であるあなたが、家族による拉致独特の特徴と、彼らが経験した悪夢を理解するのに役立つよう作られています。著者の事件を取り巻く個々の状況は、家族による拉致の多面的な多様性を示していますが、共通しているのは、いずれも子どもの失踪事件であるということです。これらの事件の被害者である子どもは、拉致犯に隠匿され、捜索中の家族、友人、学校、地域社会からだけでなく、司法や児童保護制度からも隠匿されていたのです。
この文書の主な寄稿者6名は、子どもの頃に家族による拉致の犠牲となった大人4名と、捜索中の親2名で、失踪している子どものコミュニティで活発に活動しています。元拉致被害者は、「テイクルート(根付き) Take Root」という元拉致被害者の団体に所属し、ピアサポートを提供し、被害者のために活動しています。2名の親は、失踪中の子どもを持つ親の支援ネットワークである「チームHOPE (Help Offering Parents Empowerment)」のメンバーか、失踪中の子どもの問題に取り組む非営利団体で活動している方です。
 家族による拉致に関する誤解は、拉致された子どもに更なるトラウマを与える可能性があります。また、このような誤解は、家族による拉致の発生率や期間を増加させることにも繋がりかねません。私たちは、これらの体験談を共有することで、家族によって拉致され隠匿されている子どもがしばしば直面する、破壊的な心理的被害と身体的危険について新たな理解を得ることができればと願っています。私たちの目的は、家族による拉致という犯罪に対する理解を深め、読者が子どもの回復を短期的、長期的に支援するための思慮深い力を身につけることです。あなたが捜索中の親であれ、拉致された、あるいはかつて拉致された子どもであれ、家族であれ、専門家の対応者であれ、隣人であれ、教師であれ、擁護者であれ、何が起きているか、本書を通じて説明されているようになぜ子ども中心の対応が非常に重要であるかを理解し始めることができるでしょう。

内容

検事総長からのメッセージ
司法長官補佐官からのメッセー
まえがき
謝辞
この本について
はじめに:家族奪取は犯罪である
拉致:失踪
   拉致された子どもはどうなるのか
捜索:拉致された子どもを捜す
   子どもを拉致された親はどうなるのか
   捜索中の親が感じていること
奪還:拉致された子どもを捜す
   奪還に向けた計画を立てる
   余波に対応するために
   子どもを奪回した時の潜在的な危険を最小限に抑えるには
   最終的な考え
リソース

社会は、親に拉致去られた子どもの影響や意味合いを過小評価しています。

はじめに:家族による拉致は犯罪です

 10歳のとき、私は何者かに家の前の道から連れ去られ、国中を走り回り、新しい名前を与えられ、自分が誰でどこから来たのか嘘をつくように指示され、もう以前の生活には戻れない、残りの家族にも会えないと言われました。
 この物語で一番不思議なのは、私は自分が拉致されていることに気づかなかったということです。私の周りの多くの人は、拉致は全く問題ない、寧ろ私を拉致して2年間も隠匿した人にはそうする権利がある、と考えていたのです。だって、その人は私の実の母親だったのですから。
-リス,
元拉致被害児童

 上記の物語は、アメリカで非常に多くの子どもや家族が経験する、あまりにも現実的な出来事の一例に過ぎません1。不幸にも、多くの人々がこの物語の中の子どもと同じ反応をしています-彼らは家族による拉致が犯罪であることを認識していません。刑事事件ではなく、家庭内の私的な争いだと考えているので、介入に消極的な場合もあります。
 しかし、家族による拉致は、隠匿、アクセスを防ぐ意図、そして逃亡という3つの特徴があり、両親間の典型的な監護権争いとは異なるものです。多くの監護権妨害事件では、一方の親がもう一方の親の子どもへのアクセスを困難にすることがありますが、家族による拉致では、子どもは隠匿され、通常、人為的に操作された生活(時にはそれさえも知らずに)を送ることを余儀なくされます。最も穏やかな形態であっても、家族による拉致は、子どもを、ケア、食事、心理的養育の面で子どもを無視する可能性のある、悩める養育者とともに孤立させることになります。他の形態の拉致と同様、その子どもは失踪中の子どもとなるのです。

[注1]少年司法および非行防止室の第2回行方不明・拉致・家出・遺棄児童の全国発生状況調査(NISMART-2)によると、1999年に家族による拉致の被害にあった子どもは203,900人と推定されています。このうち、養育者から行方不明になっている子どもは117,200人という途方もない数です。子どもは拉致される(即ち、家族によって不法に監護を外される)こともありますが、必ずしも行方不明になるわけではありません。例えば、子どもが親によって拉致され、その捜索中の親がよく知っている住所である、別の州にあるその親の家に連れて行かれた場合、拉致した親が子どもを返すことを拒否したなら、その子どもは拉致されたとみなされますが、行方不明ではありません。
 家族による拉致が子どもに与える実害を認識し、全米50州とコロンビア特別区は、家族による拉致を特定の状況下では重罪として扱う法律を制定しています2。連邦法も、州境を越えて子どもを連れ出すこと、および、国外に子どもを連れ出すことを禁じています。多くの州は、家族による拉致を軽犯罪として分類する法律も有しています。量刑の選択肢には、子どもの返還、社会奉仕活動、損害賠償、保護観察、および投獄などの命令があります。

[注2]サイト「家族による拉致:予防と対応」(www.missingkids.com/en_US/publications/NC75.pdf)を参照。このハンドブックは、詳細な捜索と回復の戦略に加えて、家族の拉致に適用される法律についての詳細な情報を提供します。また、捜索中の家族が弁護士や法執行機関とよりよくコミュニケーションをとるために役立つ用語集も収録されています。

家族による子どもの拉致から間違った考えを取り除く

家族による拉致
  ・犯罪です
  ・監護権の問題ではありません
  ・児童福祉の問題です
  ・拉致された子どもに長期的な心理的かつ社会的影響を与える可能性があります。
  ・拉致された子どもと子どもを捜索している親だけでなく、残された兄弟姉妹、祖父母、親戚、そして、友人にもトラウマになるような影響を与えます。

家族による拉致の一般的な特徴
  ・隠匿。拉致した家族が子どもを拉致したことや子どもの居場所を隠す。
  ・いつまでも拉致し続ける意図。拉致した家族が、子どもと捜索中の親や親の関係者とのアクセスを永久に防止しようとする。
  ・逃亡。拉致した家族が、子どもの奪還をより困難にするために、子どもを州外または国外に移送する。

サム・Fの物語

 子どもの頃、拉致されたと言うと、みんな恐い顔をして心配するんです。その後に、父が拉致犯だと言うと、直ぐに安堵のため息が聞こえてきます。しかし、拉致されている間、たとえ親による拉致拐であっても、子どもはもう一方の親(両方の親)を奪われるだけでなく、その子どもの人生全体においても奪われ続けることになるのです。親というものは、子どもの最善の利益を考え、世話をし、成長を助けるはずです。親というのは、教え、育て、安全を第一に考えるものです。自分より他人を優先するのは簡単なことではありませんが、それが親の仕事です。しかし、親が自分の息子や娘を拉致した場合、その子の母親や父親としての権利を失うことになるのです。子どもを一人の人間として扱うことをやめ、その代わりに、子どもをモノとして扱うのです。私の父は、母からだけでなく、私の人生全体から私を拉致したときに、父親としての権利を失いました。
 私は10歳の時に父に拉致されました。私の両親は以前から離婚していました。監護権は母が持ち、私は毎月週末の訪問で父に会うことができました。離婚してから拉致されるまでの間、私はどちらの親が大切なのか、決めるのに悩んだものです。幼い私は、離婚というものがよくわからず、両親が別居しているのだから、自分が好きな方を選べばいいと考えていました。母と暮らしている間、私は家事や宿題、用事を済ませ、寝る時間を決めていました。月に4回、父と会うときは、ホッケーの試合を見に行ったり、スポーツやテレビゲームをしたり、好きなだけテレビを見たりしました。父といるときは楽しかった。10歳の私にとって、それは簡単な選択でした。私は母よりも父を愛していたのです。父も同じように私を愛してくれているのだろうかといった疑問を考えたことはありません。子どもは親に愛されているかどうかを疑ってはいけないんだ。
 父と一緒にいるとき、私は受け取ったプレゼントとテレビをどれだけ長く視聴できるか以外、人生を判断する材料がありませんでした。父はそれを知っていました。父は、私を母に敵対させる術も心得ていました。母は私たちを会わせたくないのだ、もっと言えば、養育費を払わなければ父が刑務所に入れられるのだと、さりげなく私に言ってきました。そこから私が得たものは、母が悪者で、父が善人であること、そして母から父を守らなければならない、ということだけでした。それで、私が10歳のときに父がやってきて、母に刑務所に入れられるから逃げようと言ったとき、父は私にとても重要な質問をしました。「一緒に来るか?」と。父に、もし一緒に行かないなら、二度と会えないと言われました。だから、私は「うん」と答えたんです。何が起こっているのか理解しているつもりでしたが、そうでないことを間もなく知りました。
 父は、私を大学に通わせる両親が貯めていたお金で、拉致の代金を支払いました。お金が底をつき始め、楽しみが薄れてきた頃、私は何かがおかしいと気づきました。ホッケーの試合を見に行ったり、スポーツやテレビゲームをしたり、好きなだけテレビを見たりする代わりに、学校にも行かず、友達もいない状態でした。アパートの中でゲームをしたりテレビを見たりすることはできましたが、外に出ることは許可してもらえませんでした。この時点で、私は自分の現実がひっくり返ったこと、そして新しい現実は自分が望んだものではないことに気づきました。この時、私が父と一緒に家を出ることを選んだか、父に連れ去られていたかに拘らず、私が失ったものは母だけでなく、私の現実と人生のすべてであることに気づきました。私はもう本名を使うことを許されなかったのです。新しい人生と、今まで見たこともないような嘘だらけの前世が待っていたのです。私が思い通りにできるのは、私が言える嘘だけでした。私は自分の過去について話すことを許されませんでした。その中には、死んだと言わなければならない母も含まれていました。サムと彼の現実はもはや存在しません。今やベンと彼の現実となったのです。
ある時、父は私がひどく怖がっているのを見て、何が起こっているのかを理解しました。父は私の異変に気付いたことを私に話し、私がどれほどこの状況を恐れているか、そしてどれほどサムでいたいのか、戻りたいのかを話してくれるよう頼みました。話を聞いた父は、バスの切符代をくれて、「帰りたければ帰っていいよ」と言ってくれたのです。私は10歳で、カリフォルニア州のサクラメントで暮らしていました。一方、私の家、サムの家はニュージャージーにありました。父は私が家を去ることができないことを知ってたんです。これが私の新しい人生であり、新しい現実であり、もうひとつの人生を諦めたときに選択の余地がなかったという事実を受け入れ始めたときでした。父と一緒に出て行ったとき、私は全てを諦めることになるとは思ってもいませんでした。父と一緒に出て行くのだとただ単に思っていました。このことが、私にとって非常に大きなショックでした。親と一緒にいることは安全な場所にいることだと思っていましたが、もう親とは一緒にいないのです。私の人生を私から奪い、私に新しい人生を歩ませる人と一緒にいたのです。
 私が父に拉致されたことを話すと、その安堵のため息の次に返ってくるのは、私が救出され、母のもとに連れ戻されたことへの感謝の言葉です。しかし、私は自分の人生、現実、そして母から引き離されたのと同じように、自分の人生、現実、そして母のところにすぐに投げ出されてしまったのです。問題は、父と一緒にいたとき、私は新しい人生と現実を手に入れ、母がいなかったということです。
 回復の過程は、まるで2度目の拉致をされたような気分でした。拉致された時にやっと「何か変だ」と思って戻りたいと思っていたのに、戻ってみると元の自分には戻れないのです。家族や友人にとって大きな変化は、私が拉致され、行方不明になったことです。今、私は家にいて、全てが元通りになっているはずでした。それは当時も今も、真実とはかけ離れています。私は友人や家族から姿を消したかもしれませんが、私の人生のあらゆる部分も消えてしまったのです。知っているもの全てから切り離され、自分で新しい人生を切り開くことを余儀なくされたのです。行方不明になっている間は、嘘をつくことが私の人生でしたから、家に帰れば当然、嘘ばかりついていました。私の信頼と愛情は、私の世話をするために信頼するはずの人物によって裏切られたのです。そして、この試練の間中、私は自問自答していました。父が私の世話をしないのに、どうして他の人が私の世話をするのだろうか?だから、私は心を閉ざし、誰も信用しませんでした。父が私を拉致しようと決めたとき、私の現実と支援ネットワークは全て消滅してしまいました。だから、私が憎むように洗脳された母親と家にいるとき、私が愛する親の欺瞞を体験し、孤独を感じたのです。
 7年間、自分が何者であるかを知ろうともがき続けた結果、それは無理だと悟ったのです。自分が何者かわからないのは、自分がまだ成長しきっていないからです。好きな音楽や着ている服よりも、人間にはもっとたくさんのものがある。私が知っているのは、生まれて初めて、少なくとも名前を問われたら自信を持って答えることができるということだけです。私はサムです。
 本名を名乗ることも許されなくなりました。新しい人生、新しい過去がありました。私が唯一思い通りにできたのは、誰かと話すときにつく嘘だけでした。自分の過去について話すことは許されず、その中には母も含まれていて、母は死んだと言わなければなりませんでした。サムと彼の現実はもはや存在せず、今やベンと彼の現実となったのです。
-サム・F,
元拉致被害児童

拉致:失踪

 想像してみてください。あなたは慣れ親しんだものばかりに囲まれて家にいます。家族、ペット、友人、そして持ち物があります。誰かが部屋に入ってきて、あなたの名前を呼ぶと、あなたは顔を上げて返事をします。あなたは、大切な人と一緒に用事を頼まれます。あなたは車の助手席に乗り込みます。好きな人は、あなたを今まで見たことのない場所へドライブに連れて行ってくれます。あなたは幸せな気分になります。
 それから、もう二度と家に帰れないと告げられます。あなたはもう自分の名前を使うことはできません。全てを失ってしまうのです。残りの家族にも、ペットにも、家にも、もう二度と会うことはできません。残っているのは車の中のものだけです。他のものは全てなくなってしまった。他のみんなはもういなくなってしまった。この一瞬があなたの人生を変えるのです。

 ある子どもにとって、これが拉致されるときに起こっているのです。また、日頃から残酷な虐待をしている親に連れ去られる子どもたちもいます。また、よく知らない家族(例えば、家に不在の父親)に連れ去られる子どももいます。更に、現実の、あるいは自覚している虐待から逃れるために拉致される子どももいます。子どもと拉致犯の関係に拘らず、子どもは一瞬にして、もう一人の親や家族、友人、ペット、学校、活動、更には家族の写真やお気に入りの玩具でさえ、全てを失ってしまうのです。
 このように一瞬にして失われたコミュニティは、長期にわたるうつ病、安心感や安定感の喪失、自分や他人を信頼する能力の低下、見捨てられることへの恐怖につながる可能性があります。

拉致された子どもは、どのように家族による拉致を定義するか*

「怖いこと」
「人生で最も大切な人の一人に裏切られたこと」
「心に傷を負ったこと」
「自分自身で『家』を作ることを学ぶ」
「自分以外に頼れる人がいないこと」
「子ども時代を失う片道切符」
「愛する人の行動によって、愛する人を失うこと」
「過去を否定し、架空の過去を作ることを強いられること」
「親をこれまで以上に愛し、信頼することを恐れ、それによって、拉致していない親との満ち足りた関係を自制し続けること」
「自分が誰であるべきなのか、なぜ昔の自分ではいけないのかがわからない」
「自分が嘘つきだとみんな知っているのだろうかと思う」
「表には出していないけど大きな悲しみを感じている。けど、その悲しみに溺れてしまうことを恐れて、それを調べることができない」
「外見上はうまくいっているように見えるけど、心の中はこんがらがっている」
「長い間『ママ』を求めていたのに、『ママ』を取り戻した時には『ママ』と呼ぶには年を取りすぎてしまった」
「恐怖、不安、混乱、欺瞞、疎外感でいっぱいの子ども時代」
「どうしてこれが愛の行為なのだろうかという疑問」
「拉致犯に傷つけられ、今も痛みに耐えていることを知りながら、身体的なあざや傷跡がないことで、世界中の人に自分の痛みを知る権利があることを示すことができない」
「親と一緒だったから大丈夫というわけではありません」

*「テイクルート」のメンバーからの回答。「テイクルート」は、家族による拉致被害児童だった大人のための非営利の支援ネットワークです。

拉致された子どもはどうなるのか?

 慣れ親しんだものや愛するものが突然消えてしまうことは、子どもにとって拉致体験の始まりにすぎません。数ヶ月あるいは数年間、子どもは常に引越し、名前を変え続け、根を下ろすことも、本当のつながりを作ることもなく、流浪の生活を送ることになるかもしれません。あるいは、子どもと拉致をした親が新しい地域に定住し、新しい身分のもとで全く新しい生活を確立することもあります。ただ一つ確かなことは、拉致されている間にも、子どもは急速かつ大きく変化しているということです。故郷の行方不明者のポスターに描かれている子どもから、どんどんかけ離れていくのです。
 家族による拉致は、他人による拉致よりも隠蔽が容易であるため(子どもが親と一緒にいるのを見るのは自然であり、期待される)、家族による拉致事件は、しばしば日や週ではなく、月や年単位で測定されるようになります。「拉致のアイデンティティ」は、時間の経過とともに、その子の主要なアイデンティティとなる可能性があります。子どもがその新しいアイデンティティの下で形成する絆や経験は、「置き去りにされた」人生におけるそれよりも強く、重要なものになり得ます。そして、拉致が続くにつれ、行方不明の家族が存在しないことを説明するために与えられた情報が、子どもの心に刻み込まれるようになります。

家族によって拉致された子どもは、しばしば・・・

・拉致される前に、拉致した親から口説かれたり、手懐けられる。
子どもともう一方の親との間の絆を弱めようと、拉致犯は拉致する前に、数週間から数ヶ月かけて子どもを手なずけ、洗脳することがあります。このような洗脳は、拉致した後も続くことがあり、子どもを奪還した際に、子どもを捜索している親との再統合がより困難になります。拉致犯と一緒に家を出て行くことに「同意した」という感覚は、後年、子どもに問題を引き起こす可能性があります。子どもは、もう一方の親から離れることに罪悪感を感じたり、拉致犯と一緒に家を出て行ったことで自分を責めたりするかもしれません。拉致の責任は拉致犯にあることを覚えておくことが重要です。

 父は、母が私たちと会うのを望んでいない、父が養育費を払わないなら刑務所に入れる、と私に言っていたのです。私の中では、母が悪者で、父が善人でした。私は父を守らなければなりませんでした。だから、父から「家を出るから、一緒に来ないなら私と会うことは二度とないだろう」と言われたとき、私は「うん」と答えました。
-サム・F,
元拉致被害児童

・拉致犯と一緒に身を隠すことを余儀なくされる。多くの拉致された子どもが、その経験を証人保護プログラムに入るのと似ていると言います。拉致犯は、子どもを隠匿し、捜索している親との接触を避けようと、身を隠したり、完全に出国してしまうことがあります。
・見つかることを恐れるように仕向けられる。子どもは自分を助けてくれる警察、教師、医者といった人たちを恐れるように教わるかもしれません。子どもを隠そうとするあまり、拉致犯は、子どもが適切な教育、医療、社会サービスやサポートを受けさせない場合があります。このような場合、子どもの安全とウェルビーイングが損なわれ、子どもは拉致犯に全面的に依存するようになります。

私は、母が-私たちが-捕まり、何か恐ろしいことが起こるのではないかと、常に恐怖を感じながら生活していました。母は私に嘘をつき、私たちの秘密を守るために透明人間になることを教えました。私は、私が原因で母が刑務所に入ったり、私たちが離れ離れになるのが怖かったのです。それが一番の恐怖だった。なぜなら、私には母しかいなかったからです。
-リス,
元拉致被害児童

・新しい名前、生年月日または出生地、および身元を与えられる。家族による拉致が他の形態の監護権妨害よりも深刻である1つの理由は、子どもが突然のアイデンティティの変化を経験することです。拉致された子どもは、しばしば名前を変えられます。容姿を変えられたり、異性になりすまさなければならなくなったりする場合もあります。多くの場合、自分の本当の身分や境遇を明らかにしないよう、厳しい指導を受けています。これは、最終的に、子どもが奪還されたときにアイデンティティの混乱という重大な問題を引き起こします。また、幼すぎて、拉致の事実を知らなかったり、理解できなかったりする子どももいます。このような子どもは、知らない、あるいは覚えてもいない捜索中の親や家族と「再会」した後に、混乱を来します。

 この見知らぬ人(FBI職員)が私に何を言っているのか理解できなかったのです。私の名前はヘザーで、レベッカではない、そして私には父親がいない、なぜなら父は私を愛していなかったし、何も望んでいなかったからだ。そう言われ続けてきた人生でした。
-レベッカ
元拉致被害児童

・失ったものを悲しむことを妨げられる、あるいは、禁じられる。拉致犯は新しいアイデンティティを作ることに重点を置いているので、多くの場合、子どもは昔のことを話したり、失くした家族や友人を悲しむことを禁じられています。しかし、子どもが感じる喪失感は尋常ではなく、子どもが奪還された後も、その喪失感によって、子どもが捜索中の親を再び愛し、信頼することを学ぶのが困難で、より苦痛になる可能性があります。

母が死んだと聞かされました。そして、悲しむ理由はない、泣く必要はない、これ以上母さんのことを話し合う時間はないと言われたのです。
-サム・M,
元拉致拉害児童

・自分の過去について嘘をつくように言われる。拉致犯は、子どもに自分の身元や境遇について真実を隠すように教えるかもしれません。子どもは来客の応対に出ることを禁じられ、外で遊ばないように、ブラインドを閉めるように、車に乗るときは隠れるように、当局者を避けるように、あるいは個人的な質問から逃れるように、あるいは嘘をつくように言われるかもしれません。このような状況では、当局者に対する不信感が常態化する可能性があります。

 正直、名誉、誠実。あなたの人生が影に隠れ、欺瞞の領域で生きてきたとき、あなたは物事を覆い隠し、秘密を守り、そして、自分を守るために嘘をつくのが本当に上手になるのです。
-リス,
元拉致被害児童

・捜索中の親に関する嘘をつかれる。拉致された子どもは、捜索中の親に関して嘘をつかれることがよくあります。探索中の親が非常に危険または暴力的であるため、拉致犯はあなたの命を守るために逃亡したとか、捜索中の親はあなたを愛していない、あなたを求めていない、あるいは捜索中の親や兄弟は事故で死んだとさえ告げられる子どもがいるかもしれません。

 私は母やその家族から愛されず、必要とされていなかったのだと語る父の顔が今でも目に浮かび、声が聞こえてくるのです。
―ジェレミー,
元拉致被害児童

・強要され、感情的に恐喝される。また、拉致した親は子どもに、もしあなたの秘密を誰かに話したら、私は刑務所に連れて行かれ、もう二度とあなたに会えなくなると話します。子どもは、いなくなった親が何故いなくなったのか嘘をついていたにも拘らず、真実を知る術がないのです。子どもが受け取る唯一の情報は、拉致犯からのものです。子どもの現実と視点は、拉致犯が子どもに話した内容によって形作られます。捜し出された後に真実を知った子どもは、長い間、誰も信用できなくなるかもしれません。
・学校に通わせない。拉致した親は、見つかるのを避けるために、子どもを学校に行かせないようにすることがあります。この行為は、子どもの学業成績に悪影響を与え、子どもが奪還されてきたときに教師やクラスメートと関係を築くことが難しくなる可能性があります。

私の世界は全て粉々になり、そして今、私は全てをやり直さなければなりませんでした。父が真実を話してくれていると信じることができるまでには、長い時間がかかりました。
元拉致被害児童

 全体として、拉致犯の行為は、子どもに深刻な感情的、発達的、心理的影響を与える可能性があります。この文書の「回復」のセクションには、再統合時のトラウマを最小限に抑える、そして、子どもが新しい人生を始めるための手助けとなる方法に関する推奨事項が記載されています。

リスの物語

 私は10歳の時、アパートの前の道から連れ去られ、車に乗せられ、国中を走り回り、新しい名前を与えられ、自分が誰でどこから来たのか嘘をつかせられ、もう元の生活には戻れない、家族にも会えない、と言われました。しかし、それは私の物語の中で最も奇妙な部分ではありません。
 私の物語で最も奇妙なのは、この事態が起こっている間、私は自分が拉致されていることに気づかなかったということです。そして、2年後に発見された私は、その後20年間、実際に何か異常なことが起こったのかどうか、確信が持てないまま過ごすことになるのです。というのも、私の周りの多くの人が、「拉致してもいいんだ」「拉致して匿ってくれた人には、そうする権利があるのだ」と思って拉致に応じていたからです。なぜなら、拉致を実行したのは、私の実の母だったからです。
 この事実一つで、私の周囲の人、そして社会全体が、拉致を別の色に染め上げてしまったのです。家族以外の人に子どもが拉致された場合は違っていて、誰もが拉致を事実として認識します。違法であることは言うまでもなく、トラウマになるようなことが起こったかどうか、つべこべ言う必要もないのです。
 私が拉致された時、後から知ったことですが、友人や家族は二つの派閥に分かれていました。「ハーブがかわいそう。ベニシアに子どもを連れていかれるなんてひどい」と思う人もいました。「かわいそうなベニシア、理不尽なハーブに人生を狂わされた、ハーブから離れてよかった」と思う人もいました。この両方の人たちの中に、"大変だ、子どもが拉致された!"と言う人は誰一人もいませんでした。「拉致」や「行方不明の子ども」という言葉は使われず、家族でさえも親同士の戦いのように状況が矮小化され、正常なものとされ、捻じ曲げられていました。
 このことは、私にとって、証人保護プログラムに参加するようなものでした。ある日、私は生まれ故郷のニューヨークで、愛情あふれる大家族の一員として育っていました。翌日、私はバージニアビーチで生まれ、他に家族のいない別の子どもになって、カリフォルニア州サンディエゴの女性用シェルターに引き上げてきたのです。文字通り、一夜にして別人になったのです。離婚とは、両親が喧嘩し、家族が味方になるのを見ることです。家族による拉致とは、家族が地球上から抹殺されることです。
 拉致されて辛かったことはたくさんあり、私たちを逃亡者として孤立状態に置いた後に情緒不安定になった母が、その場で一番身近な大人になったこともそうです。私の子ども時代は終わりました。母は、社会保障番号も身元保証書も職歴もなく、最初は住所や電話番号さえも知らなかったのに、偽の身分証明書のために収入を得ようと必死で、いつも飢えから逃れることができないことを私たちは知っていて、常に恐怖を感じていました。私は常に恐怖とともに生活していました。母、そして私たちが捕まり、恐ろしいことが起こるのではないか、母が刑務所に行くのではないか、あるいは母が私に信じ込ませたように、父が何かひどいことをするのではないかと。そして、私と母が離れ離れになってしまうのではないかと。それが一番の恐怖でした。だって、私には母しかいないのですから。子どもの頭では、それが母自身の行動によるものだとは考えもしなかった。私が知っていたのは、みんながいなくなったとき、母だけが残ったということだけでした。母は私の全てとなりました。それは勿論、母が望んでいたことでした。
 恐らく、一番辛かったのは、悲しみでした。愛する人を失うことがどんなことか考えてみてください。たった一人の、愛する人を失うだけで、大人は大混乱に陥るのです。一晩で、私は愛する人全員だけでなく、これまでの人生で知り合ったすべての人を失ったのです。それがどのようなものか、想像できますか?そして、私は悲しむことができませんでした。
 母は、父が私に悪い影響を与えると思ったから、そして父が自分の人生を惨めなものにしていたから、私を隠していたのだと言いました。父が身体的虐待をすることはなかったのですが、嫌がらせをして、もう耐えられない、誰も助けに来てくれない、だから自分で解決するしかない、と思ったそうです。それで、母は私を拉致して姿を消したんです。しかし、逃亡生活は決して楽なものではありませんでした。直ぐに、母は再び、耐えられない、誰も助けに来てくれない、だから自分で解決するしかないと思うようになりました。母は私と一緒にアイドリングしている車の中で計画を立て、車の窓を閉め、排気管にホースを取り付けました。幸いなことに、私はまだここにいます。
 なぜ母は、私を拉致することが父との継続する戦いにおける正当な進行過程であると、多くの友人や家族を納得させることができたのか、私にはわかりません。今にして思えば、母は主張したような「私の最善のために」という見当違いの考えで実際に行動していたのではなく、代わりに父に致命傷を与えたいという思いから行動していたのだと、私ははっきりと理解することができました。父は確かに早世しましたが、一人の子どもを失い、自分を憎む赤の他人を奪還したことの精神的ダメージが、どれほど役割を果たしたかは誰にもわかりません。
 悲しいことに、私は父が死んで初めて、母のしたことの現実を完全に理解するようになりました。父が初めて私たちを探し出したき、父のすることは全て、父が本当に敵、即ち、母が作り上げた狂気の、危険な、邪悪な敵であることを私の心の中で確認させたのです。父が、母は私を連れ去るという英雄以下のことをした聖人以下の人間だと言おうものなら、母が言っていたように、父は本当に狂った妄想の持ち主なのだと、増々強く感じるようになりました。自分の痛みを感じつつ、被害者意識を覆い隠してアルコールの助けを借りましたが役には立ちませんでした。
 私の人生には2つの心からの後悔がありますが、父に敵対したことがその1つです。母が私を拉致する前、私はお父さんっ子でした。母に言われるまで、父を危険だと思ったことは一度もありませんでした。母の家族は、母の意向が私と疎遠のままでいることだったので、私が探し出されていたにも拘らず、殆ど付き合いがなかったのですが、最近になって「私たちはずっとあなたのお父さんのことが好きでした」と言ってくれるようになりました。彼らが当時沈黙を守っていたのが悔やまれます。もし、母の周囲の人が、当時、父から自由になろうとする母の計画を子の拉致と認識し、それに反対するか、当局に通報していれば、両家の家族の多くがどれだけの惨状を免れたことだろうかと思わずにはいられません。
 幼い頃から「何事も急変する」ということを痛感してきた私は、楽観的でもあり悲観的でもあります。つまり、私は何も信じていないのと同時に何もかも信じているんです。私は大きな夢を描き、頻繁に成功を収めますが、それは障害を「現実のもの」または克服できないものと見なすことが少ないからであり、その一方で、自分が現したもの全てが空中に崩壊してしまうのではないかと常に恐れて生きています。家族を必死に求め、人々を引き寄せ、そして全力で人々を遠ざけ、彼らを消し去ることができるかどうかを常に試しています。私の世界では、永遠に続くものは何一つありません。
 もっと厳密に言えば、息子が生まれるまではそうでした。妊娠がわかったとき、私は夫に「ママになれない」と言いました。「自分の将来も見えないのに、どうやって子育てをすればいいの?」。でも夫は、「この子が道を切り拓いてくれるよ。私たちの両手に手を伸ばし、私たちを明日へと導いてくれるだろう」と返答しました。息子が生まれたことで、夫との結婚が本当に「永遠」であることを実感しました。
 それまでは、実の親族との血のつながりがあっても、その絆が保たれていなかったので、11年間の結婚は私の中では完全に抽象的なものであり、国籍が違うので、出会って数週間後に便宜上交わした社会慣習のままでした。私の結婚式は急でカジュアルだったかもしれませんが、私は両親のどちらかがしたようには結婚しませんでした。私は子どもを両親のどちらかから引き離すことができない人と結婚したのです。誰も私と夫が絶対に離婚しないとは言い切れませんが、夫が息子を見捨てることはないだろうとは思います。私もそうです。ですから、私たち3人がこの世を歩く限り、夫と息子と私は皆、お互いの人生に関わり続けるのだとわかっています。これは、私という人間の土台となる、新しく、巨大で、堅固な岩盤なのです。あとは、現在進行形です。

[翻訳者注]証人保護プログラムとは、アメリカの法廷または議会における証言者を、暗殺などの報復措置から身辺を保護するための制度。該当者は裁判期間中、もしくは状況により生涯にわたって保護され、その間、住所の特定されない場所に国家機密で居住する。その際の生活費や報酬などは全額が連邦政府から支給され、内通者による情報漏洩の可能性を考え、パスポートや運転免許、果ては社会保障番号まで全く新しいものが交付され完全な別人になる。(ウィキペディアより)

誰が拉致するのでしょうか?

 子どもは、様々な状況で、親、家族、養育者によって連れ去られることがあります。拉致犯は次のような人かもしれません
・子どもが一緒に住んでいる親
・子どもが訪問している親。
・裁判所によって訪問権が制限された、または取り上げられた親
・継続的なファミリーバイオレンス、あるいは現実または認知された身体的、精神的、性的虐待に対応して逃亡した親。
・子どもが一度も会ったことのない家に不在の親。
・祖父母、その他の家族、または養育者。

なぜ親は拉致するのでしょうか?

 親が拉致するのには、次のような幾つかの理由があります。
・拉致犯が、夫婦関係に対する自分の不満と、もう一方の親が子どもにとって悪い存在であるという信念を混同している。
・拉致犯が、相手の親が「欲しい」もの(即ち、子ども)を取り上げることによって、もう一方の親に仕返しをしようとしている。
・拉致犯が、もう一方の親による実際の身体的かつまたは精神的な強迫や傷害から子どもを遠ざけている。
・拉致犯が、もう一方の親による身体的かつまたは精神的な強迫や傷害に気づいて子どもを遠ざけている。
・拉致犯が、もう一人の親の価値観、影響力、または行動を恐れている。
・拉致犯が、もう一方の親を子育てに関与させるつもりはなかった。
・拉致犯が、残された親との和解を強要しようとしている。
家族による拉致が行われる前は、子どもはあらゆる種類の家庭環境で生活しています。親は別居していたり、離婚していたり、まだ結婚していたり、あるいは結婚していなかったりする場合があります。子どもは、自分を連れ去った親と深い絆で結ばれている場合もあれば、その親から距離を置いたり、恐れたりする場合もあります。子どもは拉致した親を覚えていないかもしれないし、一度も会ったことがないかもしれません。それぞれのケースは最終的に異なっており、拉致に至る動機や状況は複雑です。

 ある日、子どもを連れ去られた心の動揺から、自分の判断が鈍っていることを知り、他人の意見に耳を傾けることを決意しました。私はサポートとは何か、そして時には思いもよらないところでサポートがあることを知りました。「チームHOPE」を知り、スポンサーを獲得し、同じ立場の人に支えてもらうことができました。地域社会では、自分が思っている以上の人たちが支えてくれていることを知りました。捜索の初期に、ある方から「全米行方不明・被搾取児センター」に連絡することを勧められました。彼らのサービスや経験は非常に貴重なものでした。
-ダニエル,
元捜索中の親
 数年前、父が母を最後に殴り、離婚協議が始まりました。勿論、監護権は母にあり、私と弟は週末に父と楽しく過ごすことになりました。このような訪問が続いていたある日、訪問後、恐らく公園や美術館に行った後、私は母に聞きました。「もし、日曜日にパパが私たちを連れて戻らなかったら?」。母は、「パパはいつも通りあなたたちを連れてくるわよ、裁判所の命令だからね」と言って、私の不安を取り除いてくれました。その会話から間もなく、私と弟は父に拉致されました。
-サム・M.,
元拉致被害児童
 窓に顔を押し付けて、中を見るのに必死でした。何度も何度もノックしました。夏休みに父親を訪問した子どもたちを迎えに行ったのですが、誰も玄関口まで来てくれませんでした。やっと窓から中が見えました。アパートはもぬけの殻で誰もいませんでした。
 私は不信感から、恐怖、そして痛みと恐れに襲われました。ガラス張りの電話ボックスで弁護士に電話し、家に帰るように言われたのを覚えています。その時点で、捜索の手続きをすることができませんでした・・・頭の中が真っ白になりました・・・自分の赤ちゃんをただ探し求めていたのです。
-CJ,
元捜索中の親

捜索:拉致された子どもを捜す

子どもを拉致された親はどうなるのか

 想像してみてください。あなたは子どもを迎えに学校へ行きます。あなたは車の中で待っています。子どもは一向に出てきません。先生に子どもの居場所を尋ねると、もう一人の親が引き取りに来たと言われます。あなたは電話をかけ、一方の親の家まで車を走らせます。家に着きましたが、そこには誰もいません。
 涙は、腸を締め付けるような、鼻水が出るような嗚咽となり、私の立っている地面から湧き上がってくるのです。
-ダニエル,
元捜索中の親

 子どもと同様に、捜索中の親も大きな悲しみと喪失感を抱えています。多くの場合、他の家族や友人は、何をすべきか、どう対応すべきかを知りません。彼らは、拉致を個人的に処理されるべき監護権争いだと考えるので、関与しないのです。しかし、家族による拉致という犯罪は、別の対応を必要とします。捜索中の親は、しばしば一人で感情的な混乱に対処しながら、子どもを安全に家に連れ帰るための手段を講じようとしています。

捜索中の親がどのように家族による拉致を体験するのか?

「子どもと一緒にいないという状態と、子どもがどこにいて、どのように過ごしているのか、安全で安心な状態なのか分からないというのは、まったく別の状態です」
「息子が食事をしているかどうかわからないという精神的苦痛と罪悪感のために、私は食事をすることができませんでした」
「猛烈なブラックホールみたいな日でした。カウンセリングを受ければよかったと思いました」
「私の怒りは、本当は悲しみのための見せかけのものだったのだと気づくようになりました」
「スーパーに行けなかった。そこにはあまりにも多くの家族がいました。あまりにも多くの子どもが、私の喪失感を思い起こさせたのです」
「私は疲れ果て、燃え尽きましたが、赤ちゃんを家に連れて帰る決意をしました。私は戦争の中にいました。バラバラになったり、感情に流されたりする暇も余裕もありませんでした。そんなことは連れ帰った後になってからです」
「何気ないことで涙が出てきました。自分の感情をコントロールするために、仕事の会議や打ち合わせを抜け出さなければならないこともありました。子どもの寝室を閉め切らなければなりませんでした」

ダニエルの物語

 何年も経ってから、私はもっとよく知るべきだったのに、そうしなかったことを確信しました。こうなることを予見しておくべきだったのです。私は注意をしてはいたが、結果的に注意を払っていなかったのです。彼女はやるつもりだと言っていました。彼女の脅迫を録音していました。ですが、彼女が実行するとは思わなかったんです。もっと用心するべきだったのに、そうしなかった。そして、離婚協議の最中に彼女は二人の娘を連れて姿を消したのです。私たちの子どもは彼女のことを「ママ」と呼んでいました。
 別居する前、彼女は、娘たちを連れて州外に引っ越すつもりだから、あなた私は二度と娘たちに会えなくなるでしょうと私に言いました。彼女の姿を消すという脅しは、最初の審問で明らかになりました。私は彼女が、私が主たる監護者であるという現実を受け入れて落ち着き、彼氏との独身生活を満喫するつもりだと思っていました。私は、裁判官が許可した以上に多く彼女が娘たちを訪問することに反対しませんでした。私は彼女が子どもたちを愛していると思っていました。そして、私は子どもたちが彼女を愛していることを知っていました。
 ある週末の訪問で、彼女は裁判所命令である日曜日の午後6時に子どもたちを返しませんでした。私は心配になりました。勿論、彼女が脅しを実行に移し、子どもたちを連れて逃げたのだとも考えました。しかし、私は彼女が裁判所の命令を守る可能性の方が高いと思ったんです。だから、もっと悪いことを想定しました。娘たちを家に連れて帰るときに事故に遭ったのではと。心の片隅では、彼女は裁判所の命令を一部無視して、月曜日の朝に娘たちを直接学校に返すことにしたのかもしれないと思ってもみました。携帯に電話しましたが、応答がありませんでした。午後8時過ぎ、私は彼女の家から私の家までの道筋にある郡の保安官や、道筋にある緊急治療室に電話をかけ始めました。3時頃、私は眠ろうとしましたが、子どもたちを拉致するという彼女の脅迫を否定することで現実が浸透し続けたため、眠れませんでした。私は起きてネットサーフィンを始め、彼女の名前、住所、電話番号を検索し、何が出てくるか調べました。結果、私の拉致に対する否定的な考えは私が見つけたもので一掃されました。彼女は数週間前からインターネットにいろいろなものを売り物として載せていたんです。このことは1つの結論を導いていました。彼女はこの町を離れる準備をしていたのです。学校に行く時間が迫ってくると、子どもたちが学校に行っていないことを確認するために電話をかけながら、私は心の中で嫌な予感がしました。
 それから数カ月、私は自分自身と地域社会について多くを学びました。私は今まで誇りを持ち、そして謙虚でした。サポートは私の周りにあり、時には思いもよらないところにあることを知りました。「感情の引き金」についての個人的な理解を得たのは、探索中の親という状況で自分が直面している感情的なジェットコースターを殆ど制御できないことがわかったからです。私は、子どもたちに再び会えるという信念を持ち、子どもたちが私の人生に戻ってくるという希望を強く持とうと努めました。チームHOPEのボランティアが、私の信仰と同様に、私がその希望を抱くのを助けてくれました。子どもと一緒にいないという、ひとつの状態があります。子どもがどこにいるのか、どうしているのか、安全で安心なのか分からないというのは、全く別の状態です。
 私は幸運でした。結局、彼女は子どもを返してくれました。なぜそうしたのかはわかりませんが、拉致という「ゲーム」に飽きたのではないかと疑っています。私は理由を解明しようとするのは非生産的で時間の無駄だと判断しました。子どもと一緒にいる時間、子どものニーズに注意を払う方が良いと判断しました。「ママ」が子どもたちの生活から消えて、今や数年が経ちました。
 母親が監護権を放棄することを、私は理解できません。しかし、監護権を放棄する際に「ママ」の心を理解しようとするには、知りたくもない精神的な態度を理解する必要があると判断しました。今、私が分かっているのは、子どもたちのニーズに応えられることが幸せだということだけです。

捜索中の親のためのチェックリスト

 子どもが拉致されたとき、捜索中の親が子どもを安全に連れ戻すためにできることは幾つもあります。拉致後の最初の数時間は、ひどく困難なものになる可能性があります。恐怖、不安、怒り、そして圧倒的な無力感は、親が直面する可能性のある現実の感情です。感情的な混乱や心配の中でも、迅速に行動することが重要です。以下に、すべきことの幾つかを挙げます。

子どもが行方不明であることを確認する。自宅とその周辺を徹底的に捜索する。家族、友人、隣人に確認する。子どものお気に入りの場所や遊び場を確認し、そこにいる人に質問する。地元の病院に電話する。

警察に連絡する。行方不明の子どもの報告書を提出するように依頼する。警察当局は、行方不明の子どもを直ちに国家犯罪情報センター(NCIC)の行方不明者ファイルに登録することが義務付けられています。情報を入力した警官の名前、バッジ番号、連絡先は勿論のこと、NCIS番号も書き留めてください。

 警察には、以下に示すような行方不明の子どもに関する情報をできるだけ多く提供してください。
・生年月日、体重、身長、社会保障番号、かかりつけの小児科医と歯科医の連絡先、学校名。
・失踪時に子どもが身につけていたもの、所持していたものに関する詳細な説明。可能であれば、色、ブランド、サイズも情報提供してください。
・子どもの特徴(あざ、傷、歯の欠損、眼鏡、歯列矯正など)、話し方、性格の特徴のリスト。
・最近の写真(できれば過去3ヶ月以内に撮影したもの)。最近の写真がない場合は、子どもの学校、または友人や家族に尋ねてみてください。返却されない可能性があるため、一枚だけの写真は提出しないでください。警察、行方不明の子どものための機関、マスコミに提出する写真は、複数枚コピーしておいてください。
・子どものIDキット、指紋、DNA血液サンプル(持っている場合)。噛み跡のある玩具や鉛筆、ブラシ、クシ、帽子なども貴重なDNAの情報源となります。これらを警察に提出してください。

 子どもを拉致した親について、できるだけ多くの情報を警察当局に提供してください(連絡先、社会保障番号、クレジットカード番号、運転免許証番号、ナンバープレート番号、経歴など)。また、持っているなら、拉致犯の写真数枚を一緒に添えてください。

 子どもが深刻な人身傷害または死亡の差し迫った危険にさらされていると思われる場合は、警察にアンバーアラートを発令するよう依頼してください(www.amberalert.gov)。拉致の状況が発令基準を満たしている場合、当局はアラートを発令します。

信頼できる友人や家族に協力と支援を要請する。彼らは、子どもを見つけるのを助け、子ども奪還作業の手順見落や重複をあなたが確実に防ぐのに役立ちます。

子どもの学校に連絡する。状況を伝え、子どもの学校の記録簿に印を付けてもらいます。家族教育権およびプライバシー保護法1に基づき、子どもの記録が別の学校に移された場合、またはコピーがもう一人の親に送られた場合、あなたはそのことを知る権利があります。連邦法では、学校関係者があなたに記録の送付先住所を教えることを義務付けています。

法律相談を受ける。まだ弁護士を雇っていない場合は、信頼できる人に家族法の弁護士を紹介してもらってください。また、「全米行方不明・被搾取児童センター(NCMEC)」の出版物「家族による拉致:予防と対応2」に掲載されている資料も参照することができます。また、地方裁判所や州の弁護士会から、家族法の弁護士のリストを入手することができます。

あなたが持っている監護権の種類(すなわち、法的共同監護、身体的共同監護、または全ての監護権)を決定する。監護権命令を下した裁判所の監護権命令書をまだ持っていないなら、命令書の謄本を取得し、それらが原本の真実で正しい謄本であることを裁判所書記官に証明してもらいます。あなたが警察に連絡したときに、この文書が必要になります。あなたの弁護士が警察の調査と並行して作業することが重要です。

刑事告訴をし、令状を取ることを検討する。令状申請書を作成し、治安判事裁判所の審問に出席する必要があります。裁判官が令状を発行するかどうかを決定します。
・拉致犯が重罪の訴追を避けるために州から逃亡した場合、検察官に対し、訴追回避のための連邦「起訴を避けるための不法な逃亡に対する法律」令状を請求してください。
・拉致犯が重罪で告発された場合、重罪の令状がNCICに入力されていることを確認してください。

引取り命令を取得する。可及的速やかに、弁護士に子どもの引取り命令の要請を依頼してください。その命令が「親による子奪取防止法(28 U.S.C. 1738)」に言及していることを確認してください。命令には、警察がどの州にいる子どもでも引き取る権限があることを明示する条項を含める必要があります。州内の引取り命令は、他の州や管轄区域でも執行することができます。各州は、強制執行が可能なように命令を適応可能にするための独自のプロセスを持っています。

アメリカ国務省の児童問題担当局に連絡する。拉致犯が子どもを国外に連れ出そうとする可能性がある場合に連絡してください。「子どものパスポート発行アラートプログラムへの参加をリクエストする」フォームに記入すると、保留中の米国パスポート申請について通知されます(www.travel.state.gov).

「全米行方不明・被搾取児童センター(NCMEC)」に1-800-THE-LOSTで電話し、子どもが行方不明であることを報告する。
・警察が子どもの情報をNCICに入力したことを確認するよう、NCMECに依頼してください。
・州の行方不明児情報センターに連絡する。NCEMCのウェブサイト(www.missingkids.com)には、州の情報センターの住所録が掲載されています。これらの情報センターは、行方不明の子どもの家族に支援と援助を提供しています。
・これらの行方不明児童の団体から、あなたが州および/または連邦政府の犯罪被害者支援の資格を有しているかどうかを調べてください。

「チームHOPE」(help offering Parents Empowerment)に1-866-305-4673で連絡する。チームHOPE(www.teamhope.org)は、捜索中の家族と、行方不明の子どもを抱えたことのある、あるいは現在も抱えている経験豊かで訓練されたボランティアとを引き合わせます。彼らは、精神的なサポート、実用的なリソース、一般的な支援を提供します。

「行方不明・被搾取児童組織協会(AMECO)」に1-877-263-2620またはwww.amecoinc.orgで連絡する。AMECOは、アメリカとカナダで、行方不明の子どもや搾取された子どもを持つ家族にサービスを提供しています。

常にノートを持ち歩く。思ったことや疑問に思ったことを書き留めたり、名前や電話番号などの重要な情報を記録します。

携帯電話は常に電源を入れ、充電しておく。警察、子ども、または情報を持つ人と簡単に連絡が取れるようにしておくべきです。外出時は、固定電話への架電を携帯電話に転送してください。

[翻訳者注]アンバーアラートとは、児童拉致事件及び行方不明事件が発生した際、テレビやラジオなどの公衆メディアを通じて発令される緊急事態宣言の一種である。また、その発生そのものを地域住民に速やかに知らせる事で、迅速な事件の解決を目指そうとするシステムそのものを指す場合もある。(ウィキペディアより)

個人用チェックリスト

捜索中の親が感じていること

 子どもの連れ去りは、捜索中の親に生理的かつ心理的な影響を与える可能性がある、トラウマになる出来事です。親はジェットコースターのような感情を味わうかもしれません。子どもがどこにいて、何が起きているのかわからず、恐怖、無力感、不安でいっぱいになるかもしれません。例えば、食料品店を歩いていて、子ども連れの家族を見かけたときなど、タイミングが悪いと思われる時に、拉致に起因する激しい感情を引き起こすかもしれません。

 子どもが行方不明になったとき、友人や家族は何を言っていいのかわからず、孤独な時間になることがあります。
-アビー,
元捜索中の親

 捜索中の親は、行方不明の子どものことを心配しながらも、子どもを連れ戻す原動力とならなければなりません。拉致された子どもの捜索は疲れるもので、ストレス、心配、仕事のために、捜索する親は自分の欲求、食事や休息さえも忘れてしまうことがあります。親は多くの障害に直面することがあります。子どもを連れ戻すための努力は、捜索中の親が子どもが不法に連れ去られ隠匿されていることを証明し、警察や他の専門家の助けを得ようとするため、欲求不満につながることがあります。このようなときこそ、友人や家族の協力が必要なのです。

捜索中の親を助けるには

友人や家族は、捜索中の親を励ましてください。

自分を大切にする。捜索中の親が丈夫で健康であることは、非常に重要なことです。親は精神的な困難に直面しているにもかかわらず、食事、運動、十分な睡眠をとることが不可欠です。

専門家の助けを求める。家族による拉致がもたらす精神的な打撃は、決して軽視できるものではありません。必要であれば、捜索中の親にカウンセリングを受けるように勧めてください。「全米行方不明・被搾取児童センター」のウェブサイト(www.missingkids.com)には、捜索中の親が直面する問題に詳しいメンタルヘルスの専門家のリストが掲載されています。

家族や友人に声をかける。捜索中の親は、ショックで助けを求めないことがよくあります。もし可能であれば、写真の印刷や複製、チラシの配布、行方不明者情報機関への申請書の記入、オンライン検索、食事の準備、郵便物の処理、その他の支援を申し出てください。

境界線を引く。善意の友人や家族は、捜索中の親を彼らの計画や活動(特に休日、子どもの誕生日、拉致の起こった日)に参加させようとするかもしれません。捜索中の親は、準備ができていないのに何かをするように圧力をかけられるべきではなく、社交の招待や申し出を受ける前に、必要なだけの時間を与えられるべきです。

 友人から手伝いの申出があり-仕事を分担してもらう・・・連絡網、ポスター、調査、架電など。
-アビー,
元探索中の親

拉致犯の友人や親族とのコミュニケーションを維持する。捜索中の親は、拉致犯の友人や親族が拉致犯を支援しているのか分からないなら、その人たちを非難してはいけません。拉致犯の親族は子どもの居場所を何も知らず、捜索中の親と同じように心配している可能性があります。そのような親族は、奪還の手助けをしてくれるかもしれません。

警察に対し非現実的な期待をかけない。33ページの「警察と協力するためのヒント」は、捜索中の親が警察と最も効果的に協力する方法についての情報を提供します。

捜索に積極的に参加する。親は無力感に打ち勝つために、この時期に何か建設的なことを見つけておく必要があります。捜索に積極的に参加することで、希望と子どもへの親近感が生まれます。

希望を持ち続ける。希望を持ち続けることが肝心です。捜索中の親の中には、日記を書くことが、感じていることに対処する前向きな方法であると考える人もいます。

捜索中の親に対処するためのヒント

友人や家族なら、以下のフレーズは言わないでください。
・それほど悪い事態ではないよ。少なくとも、一方の親と一緒にいることは分かってるんだから。
・今のところ心配するような事は起こってないから、心配しないことだよ。
・全ての出来事には理由があるものさ。
・もしかしたら、その方が幸せかもよ。
・なぜ諦めないの?諦めてしまったら。
・あなたが悪いんじゃないの?
・他にも子どもがいるから、そんなに寂しくなることはないでしょ。
・あなたの気持ちはよくわかります。
・子どもを連れ戻すつもりなのか?
・時には、手放さなければならないこともあるよ。
・どうやって生きていくんだ?
・子どもが死ぬかもしれないということに向き合わなければいけないかも。
・子どもにしたら、悪い状況にいるより死んだ方がいいのかもしれないよ。
・自分の人生を歩むべきじゃないかな。

友人や家族であれば、以下のフレーズを言ってください。
・あなたは一人じゃないわよ。
・決して諦めるなよ。
・希望は必ずある。
・子どもが戻ってきたときに、強く健康でいられるように、自分自身を大切にしましょう。
・何か私に手伝えることがあったら言って。
・子どもたちは必ず帰ってきます。

 あなたのために、そばにいて話を聞いてくれる友人や家族が必要です。警察、弁護士、マスコミとの会合に出席してください。何もかも・・・冷静で傾聴できる人が必要です。子どものことばかり考えていると、いろいろなことを見逃してしまうかもしれませんから。
-CJ,
元捜索中の親

あなたが警察や福祉関係者なら、以下のことをしてください。
・親の電話を返し、情報を提供し続け、タイムリーに親と一緒になってチェックをしてください。
・親が連絡先を整理できるように、全ての連絡先を書き留めるよう促してください。
・信頼と思いやりの環境を作るのに役立てるため、親に子どものことを話してもらってください。
・親が、支援団体や親を支援できるその他のリソースと連絡を取るのを手助けしてください。
・親の話に耳を傾けてください。親身になって話を聞いてください。親が必要とするなら、感情を発散させてください。
・親が感じていることは正常であり、受け入れられることだと安心させてください。
・できる限りのことをしているのだと説明し、親を安心させてください。
・親ができる限りのことをしていると評価し、親を安心させてください。
・残された親に、子どもを探す努力のために毎日できることを教えてあげてください。
・親に自分の気持ちを日記に書くように勧めてください。
・優しさと希望と心配りをもって親に話しかけてください。
・決して諦めないことを親に伝えてください。
・全米犯罪情報センターに拉致事件を登録してください。

警察と連携する際のヒント

 アメリカの警察の多くは小規模で、その5分の4は25人未満の職員で構成されています1。その結果、法律的に複雑で、非常に感情的であることが多い、親による拉致の複雑な事件を処理できるように訓練されているところは殆どありません。事件は、民事問題から重大な重罪、さらには連邦犯罪や国際犯罪に至るまで、多岐にわたります。
 全国の警察官は、刑事訴追が成功しないようなケースであっても、安全と子どもの居場所を特定することを重視するよう指導されるようになってきています。司法省は、この種の事件に関する警察の研修や教育の量を増やしています。

 私は、間違った期待を抱き、警察との手順を知らなかったので、しばしば欲求不満を感じていました。警察には一定の手順やステップがあるので、親は警察に何ができて何ができないかを知る必要があります。
-CJ,
元捜索中の親

 警察とのコンタクトは、あなたにとって初めての直接のやりとりとなるかもしれません。準備することは非常に重要です。ここでは、考慮すべき点の幾つかを以下に示します。

・適用可能な裁判所命令と写真、そして、加害者、その親族や友人、加害者を支援し保護することを助ける可能性のある人、あるいは子どもや加害者の居場所を知っている可能性のある人を含む関係者全員の情報を持参してください。

・警察が、あなたの子どもを直ちに全米犯罪情報センターの行方不明者リストに登録することを確認してください。

・このような感情的な時期にあなたを支援するため、付添を一人連れてきてください(警察が一対一の面談を行っている場合を除く)。

・冷静で前向きな姿勢でいてください。たとえ警官が情報や報告書を取りたがらない場合でも、口論やけんか腰にならないようにしましょう。

・調査中に起こっていることの全てを理解することはできません。あなたの事件の過程で展開される戦術、対応、行動、課題、および問題点は、あまりに多岐にわたるため、深く議論することができない場合があります。十分に理解できない場合は、質問してください。

・創造的に考えてください。手を抜かないでください。優しく粘り強く、常に捜査官と連携し、決して自分一人で行動しないでください。

・子どものポスターは定期的に更新してください。写真の大きさを変えたり、ポスターの大きさを変えたり、色やフォントを変えたりすることで、より新鮮で目立つポスターにすることができます。

 拉致された子どもを探すには、多くの空振りや行き止まりに遭遇することでしょう。忍耐力を維持することが必要な任務です。
-ダニエル,
元捜索中の親

・連邦政府、州政府、郡、市、司法機関など、あなたの事件に関わる機関の役割を知るために時間をかけてください。それぞれが独立した、しかし絡み合った役割を担っているのです。

・メディア、ボランティアの捜索グループ、弁護士、その他から協力を求められたら、まず警察と相談してください。

・あなたの事件に関する行動、連絡先、会議、議論などを日記に記録してください。

メディアとの協働のためのヒント

 拉致された子どもの捜索にメディアが関与することは、諸刃の剣となり得ます。一方では、メディアは拉致された子どものことを効果的に広め、その子の居場所を探す手助けを求めることができます。他方では、あなたの個人的な痛みが公になってしまいます。

警察、メディア、政治家、団体など、あなたを助けてくれる全ての人にお礼状を書くことを忘れないでください。
-アビー,
元捜索中の親

子どもの捜索にメディアを巻き込むことになったら

・警察には、あなたの決断を伝え、捜査に支障をきたすような情報を不用意に流さないようにして、協力してもらいましょう。

・あなたの言動は全て、あなたとあなたの子育てを反映したものと見なされることを意識してください。

・友人や家族と調整し、あなたを取材するのと同じ日にメディア関係者に連絡し、取材依頼をしてください。地域社会であなたの記事に対する関心が高ければ、メディアが取り上げる可能性は高くなります。

・拉致した親について否定的なことは言わなでください。あなたの子どもが放送を見聞きする可能性があります。

・あなたの子どもを「偽りなく」表現し、人々の記憶に残るようにしてください。逸話、写真、ホーム・ムービーを共有したり、担任の先生に頼んで拉致に関するプロジェクトを立ち上げ、子どもの友人に編集者への手紙を書いてもらったりしてください。

・行方不明の子どものウェブサイトを作成し、人々をそのサイトに誘導してください。そのサイトには、あなたの子どもと拉致した親の写真を数枚載せてください。目撃情報があった場合、人々はそのサイトを訪れて、本当にあなたの子どもを見たのかどうかを確認することができます。

・お金を払えば、子どもを見つけることを保証するという人が現れるかもしれません。特に、警察と協力する気がない場合は、注意が必要です。

CJの物語

 窓に顔を押し付け、私は中を見るのに必死でした。私は何度も何度もノックしました。夏休みに父親を訪問した子どもたちを迎えに行ったのですが、誰も玄関口まで来てくれませんでした。やっと窓から中が見えました。アパートはもぬけの殻で誰もいませんでした。
 私は不信感から、恐怖、そして痛みと恐れに襲われました。ガラス張りの電話ボックスで弁護士に電話し、家に帰るように言われたのを覚えています(元夫は300マイル離れた都市に住んでいました)。非常に奇妙で理解し難い感覚でした。何が起こっているのか頭の中が整理できませんでした。頭が真っ白になりました。私に分かっていたことは、自分の赤ちゃんを探し求めているということだけでした。
 私の物語は、他の人とは少し違います。私は自分で子どもたちの居場所を突き止め、取り戻しました。私はこのやり方を提案したり、推奨したりはしません。当時はそうする必要があると感じたのです。しかし現在では、より良い法律が整備され、州間の協力体制が整い、より多くの知識を持った訓練された専門家がいて、より良いリソースがあります。
 子どもたちが私のもとに戻ってきても、悪夢は終わりませんでした。私はその後10年間、週末を迎えるごとに、前の夫が再び子どもたちを拉致するのではないか、と不安に思いながら過ごしました。私は息子たちに許すことを教えました。親として私たちがしたことをいつも好きになる必要はなく、私たちのことを好きになる必要もない、でも私たちを親として尊敬しなければならないと教えました。私は息子たちをカウンセリングに連れて行きませんでした。息子たちの学校でも、誰もそのことに触れませんでした。実際、カウンセリングを受けたことのある人を知りませんでした。私は、息子たちに感情的に何が起こったのか、気付いていなかったのです。息子たちは家にいて、私はただ 彼らを守る必要があった。私たちに助けが必要だとは思いもしませんでした。私の物語は、波乱万丈で恐ろしく辛いものでしたが、子どもたちを取り戻したという事実で終わりました。しかし、私の息子たちもまた、この問題にもがき苦しみ、様々な方法でこの問題に対処してきました。この試練を「萎縮」と表現した息子の言葉を紹介します。
 「私の正常な発達過程におけるこの崩壊の後遺症を最もよく表す言葉があるとすれば、それは“萎縮(ATROPHY)”でしょう。定義によれば、萎縮とは、動物や植物の正常な発育や生活に付随する部分や器官の発達が停止したり、失われたりすることです。そして、水の中に石を投げ入れると同心円状に発散するように、この萎縮は子ども時代を超えて大人になっても人生のさまざまな領域に放射状に広がり、人間関係から自分のセルフイメージまであらゆるものに影響を及ぼすのです。
 「私の場合、3歳のときに親に拉致されたんですが、拉致された経験を全て鮮明に覚えています。私は母やその家族から愛されていない、必要とされていないと語る父の顔が今でも目に浮かび、その声も聞こえてきます。私は、次のような身がすくむような恐怖に悩まされるようになりました。
・また拉致されるのではないか、いつまた自分の安全が脅かされるかもしれないという恐怖
・一方の親に対する恐怖
・自分は(肉親を除き)誰からも好かれない、愛されない存在なのではないか、という恐怖
・自分が常に一緒にいないと、愛する人が死んでしまうのではないかという恐怖
「トラウマそのものが遠い記憶となり、恐怖や不信に代わって許しや愛が生まれた後でも、傷跡は残っています。しかし、私は決して古傷を好まないように日々戦っています」
 以前の状態に戻したかったのですが、そっと用心深く進めていかなければならないことはわかっていました。娘がいなくなっている間、娘は多くのことを経験していました。戻ってきて初めて会ったときに、娘が私の腕の中に飛び込んでこなかったので、胸が張り裂けそうになりました。

-元捜索中の親

奪還:拉致された子どもを捜す

 その日が来ました。拉致されたあなたの子どもが発見されたのです。連れ帰るのは簡単なことのように思えます。その子を拾って、家に帰すだけです。現実はそう単純ではありません。拉致されている間、拉致された子どもと捜索中の親は共に時間の経過を経験します。しかし、捜索中の親と会えない間、子どもは成長し、変化しています。捜索中の親は、拉致された当時の子どもを記憶しています。このことは、子どもと親が再会したときに、混乱と困難を引き起こす可能性があります。
 多くの親にとって、奪還は祝福の瞬間のように思えるかもしれませんが、子どもにとっては、また拉致されたように感じるかもしれません1。子どもは、単に迎えに来て、新しい家に移され、違う人(つまり「拉致される前」の自分)になることを期待された場合、初めて拉致された日と同じように感じることがあります。場合によっては、奪還が子どもにとって最大のトラウマになることもあります。

 奪還の過程は、まるで二度目の拉致をされたかのようでした。母のもとから連れ去られたのと同じように、突然、洗脳されて憎むようになった親のもとに戻され、孤独を感じたのです。
-サム・F,
元拉致被害児童

 拉致された子どもの中には、奪還が最初の拉致以上のトラウマになる場合があります。これは、子どもが、自分が行方不明者であることを知らない場合に特に当てはまります。

 地元の刑事弁護士から電話があり、子どもたちが奪還されたことを知らされました。私は一瞬にして、何とも言えない「喜び」の感覚に襲われました。子どもたちを迎えに行く車の中で、泣きながら歌っている自分に気がつきました。
-ダニエル,
元捜索中の親
 発見された後は、いろいろな感情や思いが交錯しました。新しい家族と知り合うことに罪悪感を覚えました。母と継父が私の家族にしたことを恨むべきだという罪悪感を覚えました。
-シェリー,
元拉致被害児童
 想像してみてください。あなたは母親が死んだと聞かされました。あなたは何年も母親なしで生活してきました。ある日、誰かがあなたを父親から引き離し、見知らぬ土地に連れて行く、その女性が入ってきました。彼女はあなたが記憶している母親とそっくりでしたが、それにしては年を取っていました・・・あなたの母親は死んでいました。
 弟と一緒に友達とバス停でバスを待っていると、そこに一台の車が停まりました。後部座席には、母の一卵性双生児のジューン叔母さんがいて、私たちを車の中に招き入れたような気がしました。勿論、それは叔母ではなく、「死んだ」はずの母でした。
-サム・M,
元拉致被害児童

 あなたの父親が連続殺人犯だと告げられたと想像してください。物心ついたときから、あなたとママが父親に見つかるのではないかと、とてつもない恐怖を感じて生きてきました。そんなある日、学校であなたは校長室に呼び出されます。そこには警察と、見覚えのない男がいました。あなたは、男はあなたの父親だと告げられます。男はあなたをハグしようとします。あなたは助けを求めて叫び始めますが、警察は「大丈夫だ」と言います。あなたは泣き出し、お母さんはどこかと尋ねますが、警察は「大丈夫、お父さんはあなたの面倒をよく見てくれる」としか言いません。あなたは泣きながらママを呼ぶのをやめませんでしたが、警察は身を乗り出した男と一緒にあなたを車に乗せ、ドアをロックし、あなたを送り出します。

その女性(FBI捜査官)は、牛乳パックに描かれた少女が私であり、私は8年前から母に拉致されていたと説明したのです。彼女は父が迎えに来ていて、母の家族がまた私を拉致しようとするかもしれないから、家には帰れないし、荷物も取ってくることもできないと言うのです。私は混乱し、すぐに泣き出してしまいました。この見知らぬ人が私に何を言っているのか理解できなかったのです。私は箱の中の女の子と名前が違うし、お父さんもいない。私はずっとそう聞かされてきました。

 詳しい説明もなく、2人のFBI捜査官は私を児童養護施設に連れて行き、一晩たった翌朝早くに、私は初めて父に会ったのです。
-レベッカ,
元拉致被害児童

 子どもによっては、探索中の親と再会したときの体験がそれほどマイナスない場合もあります。しかし、子どもは喜びや感動だけでなく、混乱、恐怖、怒り、無力感、喪失感など、様々な感情を抱えている可能性があります。特に、周囲が子どもの帰還を祝っているときに、子どもはどのようにしてこれらの情報を処理するのでしょうか。

 子どもたちが私のもとに戻ってきたことで、子どもたちには、両親のどちらかから離れるという新たな段階が始まったのです。
-ダニエル,
元探索中の親

 奪還の対応を誤ると、元の拉致と同じようなことになりかねないので、子どもを中心に据えた奪還を行うことが肝要です。子どもの奪還と家族への復帰は、子の最善の利益にふさわしい方法でゆっくりと展開される過程であるべきです

奪還の計画

 奪還のプロセスは、口で言うほど単純ではありません。このプロセスを通じて子どもを助け、サポートするために、従うべき重要なステップが幾つもあります2

1  調査-最善の奪還計画を決定するため、拉致の一般的な影響と、個々のケースを取り巻く具体的な状況について情報を集めること。
 考慮すべき選択肢は数多くあり、親、警察官、その他子どもの奪還を手助けする人々は、幾つかの可能な結果に備えておく必要があります。子どもは、捜索中の親に会って大喜びし、すぐにでも一緒に家に帰ろうとするかもしれません。あるいは、子どもは探索中の親と一緒に過ごすには、新しい情報を吸収して処理するための時間を必要とするかもしれません。このような場合、子どもが捜索中の親と一緒に暮らせるようになるまで、安全な家族、友人、里親、または地域の児童保護機関のリソースを、可能な限り過ごす場所の選択肢として確認する必要があるかもしれません。
 子どもが家族のもとに戻ることに慣れるまで、治療的なサポートが必要です。奪還過程を支援するために、メンタルヘルスの専門家を選ぶ必要があります。捜索中の親は、恐怖心や敵意を持つ可能性のある子どもを回復させるために、精神的、感情的に準備する必要があります。
 子どもを連れ戻す際に、子どもが荷物を纏めて持ち帰ることができるものに留まらず、最終的には子どもの持物を全て移送する計画を立てるべきです。
 子どもが自分の人生を永遠に奪われるわけではないことを理解するために、子どもの人生における安全な人々(義理の兄弟姉妹や異母兄弟姉妹、友人、教師など)と継続的に連絡を取るための計画も、連れ戻しに先立って作成しておくべきです。
 これらのこと全てを、子どもを拉致された生活から連れ戻す前に考慮し、計画すべきです。

 私は母との再会を喜びましたが、その翌日には、シリアルのボックストップを何ヶ月もかけて貯め手に入れたクールなフィギュアを「ショー・アンド・テル」のために持っていたのに、と残念に思ったことを覚えています。それに、父や友達に別れを告げることができていたらなって思いました。あれ以来、彼らの誰とも話をしていません。
-サム・M,
元拉致被害児童

[訳者注1]ボックストップは、お菓子の箱に記されたマークのことで、日本のベルマークのように、このマークを集めて学校に持っていくと学校が現金を受け取れる仕組みになっています。
[訳者注2]ショー・アンド・テルは、説明の仕方や話し方の練習のために生徒が珍しいものや自慢の持ち物を持って来てみんなに説明する学校の授業です。日本語で「展示と説明」と言います。アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで行われています。

2  連れ戻し-現在の家から物理的に子どもを連れ出すこと。
 拉致犯から子どもを連れ戻すときは、人目につかない場所で、サイレンや銃を使わず、できれば私服の警察官と一緒に、穏やかに対処すべきです。子どもは思いがけず、全てを変えるように要求されているのです・・・再び。もし子どもが別の名前で生活していたなら、関係者全員が子どもが最も慣れている名前を使うべきです。子どもに、持ち物を整理したり、これまで関わってきた人に別れを告げる時間を与えるべきです。子どもには区切りをつける権利があります。
 誰が最初にその子に近づき、どのように連れ戻すかは、よく考えて計画すべきです。発達的かつ臨床的に適切な方法で、何が起こっているのか子どもに説明するために、連れ戻しの際の支援者として、訓練を受けたメンタルヘルスの専門家が必要です。加えて、また、連去り親の逮捕を子どもが目撃しないよう、できる限りの配慮が必要です。状況によっては、拉致犯に別れを告げ、拉致犯から安心を得る機会を与えることが、子の最善の利益になる場合もあります。しかし、これはケースバイケースで評価されなければなりません。

 私は深い感動を覚えました。そして、子どもが殆どトラウマを抱えずに済んだ奪回を可能にした全ての人々に今なお感謝しています。子どもたちは、母親が逮捕されるところを目撃しませんでした。
-ダニエル,
元捜索中の親

3  再評価-子どもの当面の感情的、心理的ニーズと再会への準備の見極めること。
 多くの場合、捜索の段階では、子どもは拉致犯から連れ戻された後、すぐに捜索している家族のもとに帰るだろうと考えるのが一般的です。この仮定は、連れ戻しの段階で、資格を持った専門家が子どもに状況を説明しながら、残された家族に対する子どもの信念や記憶を優しく探ってから、再評価する必要があります。子どもの当面の感情的、心理的ニーズという点では、奪還は発見のチャンスと考えるべきで、仮定を評価で置き換える必要があるのです。この迅速な最初の再確認の結果が、再会会議のペースと方法を決定するのです。

4  再会-捜索中の親との子どもの最初の出会いを構造化し、促進すること。
 再会は感情的になる可能性があり、子どもと探している親とでは経験を通して感じたことが異なるかもしれません。最初の面会は、事前に基本的なルールを決めておき、コントロールされた環境で、メンタルヘルスの専門家が進行役を務めるべきです。これには、子どもが圧倒されて休憩を取りたくなったときに、合図を送る仕組みも含まれます。状況によっては、知り合ったときに誰もがするように、誰が参加すべきか、どこに座るべきか、子どもがどのゲームをしたいかなどのような、エンパワーメントの感覚を取り戻させるための簡単な選択肢を子どもに提供する提示することが望ましい場合もあります。また、単純な選択でさえも、子どもを圧倒してしまうこともあります。その判断は、連れ戻しや再評価の際に子どもに関わってきたメンタルヘルスの専門家が行うべきです。
 子どもには、これから起こること、会議が終わったらどうなるのか、可能な限り多くの情報を与え、捜索中の家族には、子どもの心境や最善の反応を引き出すにはどうしたらよいかを伝えるべきです。出席者の数は子どもに負担をかけないように制限し、メディアはいかなる場合にも関与させてはなりません。誰もが、子どもが最も心地よいと感じる名前を使い続けなければなりません。

5  帰還-子どものケアと監護権を捜索中の親に移すこと。
拉致されていた期間の子どもの経験に基づいて、帰宅前の一時期、移行期の環境に置くことが勧められることもあります。子どもが帰る環境は、子どもにとって暖かく、親しみやすく、歓迎されるものでなければならず、また、拉致された環境から離れることに対する子どもの恐怖心を和らげるものでなければなりません。その環境は、子どもに安全感を与えなければならず、子どものトラウマを悪化させるものであってはなりません。子どもがすぐに捜索中の家族に再会したり、家族のところに帰る準備ができていない場合、調査の段階で、子どもを捜索中の親に引き渡すための計画を含めておかねばなりません。

何年もの間、私は信頼、アイデンティティ、人間関係、そして拉致に起因する自尊心の問題と闘ってきました。母は私を助けたいと願っていましたが、私は母を受け入れることができませんでした。もう一人の親にひどく裏切られたのに、どうして彼女を信じられるのでしょう?
-サム・F,
元拉致被害児童

子どもを迎えに行くときの持ち物

 子どもを迎えに行くときに用意しておくべきものを入れるバッグを準備してください。バッグの中身は以下の通りです
・裁判所命令の謄本数枚
・長旅の帰路の途中で、子どもがお腹を空かせたとき用のおやつ
・急な用事で銀行に立ち寄る時間がない場合の現金
・あなたと子どもの着替え
・ぬいぐるみ、または慣れ親しんだ玩具(幼児の場合)
・子ども、兄弟姉妹、ペットの写真など(注意:写真を喜ぶ子どももいますが、操作されていると感じる子どももいるので、写真を持ってくる場合は、まず子どもが写真を見ることに興味があるかどうか聞いてから取り出すようにします)

サム・Mの物語

 私と兄は拉致されたわけではありません。私たちは「パパと一緒にカナダで2週間の休暇を過ごす」ことになったのです。当時10歳だった兄は、父と一緒にホッケーをしたことを懐かしく思い出していました。6歳の私は、雪と穴釣りの方が楽しみでした。その短い休みの間に、父が「ママが死んだから、これからはずっとパパと一緒にいられるんだよ」と言ったんです。楽しそうでしょう?悲しむ理由もなく、泣く必要もなく、母について更に議論する時間もない。私たちは、全国各地を転々とすることで精一杯でした。
その数年前、父が母を最後に殴り、離婚の手続きが始まりました。母が監護権を持ち、私と兄は父と楽しい週末を過ごすことになりました。ある週末、私は母に尋ねました。「もし、日曜日にパパが私たちをここに戻してくれなかったらどうしよう?」。母は、裁判所が命じたのだから、パパは必ず送り届けてくれると言って、私の不安を和らげてくれました。それから間もなくして、1969年3月、私たちの「長期休暇」が始まったのです。
 1969年の夏、父と兄、そして私はワシントン州シアトルの小さなアパートに引っ越しました。私と兄は再び学校に通い始め、父の故郷のガールフレンドもなぜかシアトルにいて、私たちと一緒に暮らし始めました。彼女は自分のことを「ママ」と呼びたいかと何度も聞いてきましたが、母は死んだと思っていた私たちにとってさえ、それはまだ論外でした。兄と私は友達関係を築き、バスと競争して学校に通い、シアトルの雨に打たれることも多々ありました。6歳の私、サムにとって、この生活はごく普通のものに思えました。
 その間、ペンシルバニア州ピッツバーグに戻った母は、私たちを見つけようと必死になっていました。母は仕事を持ちながら、昼夜を問わず、私たちを取り戻そうと努力しました。彼女は電話をかけ、何千通もの手紙を送り、私立探偵を雇い、警察、FBI、メディア、あらゆる人の関心を搔き立てました。J・エドガー・フーバーFBI長官やパット・ニクソン大統領夫人にさえも手紙を書きました。
 シアトルの学校に初めてチラシが届いたとき、校長先生は私たちのことを知りませんでした。しかし、数ヵ月後の1969年12月、副校長のいる事務所で、私たちの写真が入ったフォルダーが意図せずに開いたんです。副校長はすぐに私たちだとわかりました。副校長たちは、誰が善玉で誰が悪玉か分からないので、どうしようかと躊躇していました。幸いなことに、ロッコ巡査部長に電話をかけたところ、ロッコ巡査部長が母に電話をかけ、"息子たちを見つけたよ"と言ってくれたんです。母は行動を起こしました。母は私立探偵(PI)と共に次の飛行機でシアトルに飛んだのです。その夜、母はアパートの窓から私たちを見ることができましたが、探偵の賢明な判断で、時が来るまで待つことにしました。翌朝、兄と私は友人たちとバス停でバスを待っていると、そこに一台の車が停まりました。後部座席で、母の一卵性双生児のジューン叔母さんが私たちを車の中に招き入れるのが見えたような気がしました。勿論、その人は叔母ではなく、「死んだ」はずの母でした。私たちは空港に直行し、母は誰かに見つかるのを恐れて、私たちを女性用トイレに隠しました。私は母との再会を喜びましたが、翌日になると、シリアルのボックストップを何カ月もかけて貯めて手に入れたクールなフィギュアを「ショー・アンド・テル」に持っていけたのにと残念に思ったことを覚えています。それに、父や友達に別れを告げることができていたらなって思いました。あれ以来、彼らの誰とも話しをしていません。
 母はこれ以上私たちにトラウマを植え付けないために、父を告発しないことを選んだのです。その代わり、父に接近禁止令を求めました。大人になっても父と話をすることはありませんでした。
 なぜ父が私たちを母から引き離したのか、その理由は定かではありません。私たちへの愛情もあったのでしょうが、それ以上に、離婚後の母に痛手を負わせるもう一つの手段だったのしょう。父が私たちを連れ去ったことを後悔していたかどうか、私たちを失ったことを後悔していたかどうかさえわかりません。
 私は、起こったことを精神的な支えとして使わないようにしようと決心して成長しましたが、その代わりに猛烈に自立し、活動的になりました。ボーイスカウトのシニア・パトロール・リーダーとなり、11歳で新聞配達をし、高校サッカー部のキャプテンになり、大学の友愛会の会長を務めたり等もしました。兄の人生はもっと厳しいものでした。兄への影響はより明らかです。兄は父と絆を深め、悪いところも含めて、自分は父に「そっくり」だと信じています。兄はいつも真実を語るとは限らないし、仕事を続けるのにも苦労しています。兄は、私たちが「父と過ごした時間」にしたこと、しなかったことについて、今でも自分を責めています。恐らく、兄は家族の誰かに電話するか、父のガールフレンドが「ママ」になれるかもしれないと言ったことを諭すべきだったかもしれません。
 私の人生への影響は、当初はそれほど明らかではありませんでしたが、時が経つにつれ、父に拉致され、母に再拉致されたことが、私の人生にどのような影響を与えたかを知るようになりました。長い間、子どものころに起こったことを忘れるのが一番だと思っていました。過去に押し込んで、そっとしておくのです。前に進むのです。私はそのことが私の人生に与える影響を否定していましたが、実際には、そのことが私をより強くしてくれたのだと自分自身を納得させていました。より自立した人間になれたと。
 2002年3月、全米行方不明・被搾取児童センターで開かれた、子どものころに親に拉致された大人たちが集まる初めての会合に参加することになった理由はよくわかりません。恐らく、好奇心、関係する友人との約束、ワシントンDCへの無料旅行、他の人、特に自分の兄を助けるチャンス、といった理由が結びついたのでしょうが、自分自身の問題を解決するためではなかったことは確です。あるいは、そう思っていました。
 私は、幼いころの拉致事件(当時は「誘拐」と呼んでいた)について、考えや感情を抑えていたことがわかったのです。私がこれまでと同じようにそのことについて話すことで、自分自身に行いに気分が良くなり、心の中が軽くなっていることがわかりました。そして、そのような経験をした人の話を聞くことで、親による拉致から起こりうる多くの影響について、これまで以上に意識するようになりました。他の人の話を聞いて、自分の状況がそれほど悪くなかったことが、かえって幸運だったと思えるようになりました。専門家からその影響について学ぶことで、私の目と心も開かれました。
 「テイクルート」は、内省と学習を奨励するために親に拉致された大人のための安全な環境を作成しました。しかし、私が自分の隠された秘密を多くの人に話すことで得た最大の「気づき」は、私自身や親による拉致とは殆ど関係がありません。私の深く暗い物語を共有することで、ほぼ全員が、ほぼ全員に対して、自分の人生の悲劇を共有するために私に心を開いて応えてくれたことを知るようになりました。拒食症、アルコール依存症、両親を亡くしたこと、レイプや性的虐待など、数え上げればきりがありません。私たちの多くは、完璧な人生や完璧な子ども時代を過ごしたわけではありません。ただ、みんな自分だけが悲しい秘密を抱えていると思い込んでいるだけなのです。他の人に心を開くことで、私はこれまで以上に、人々-家族と他人-の距離を縮めることができました。私たちは一人ではないことを知り、他の人たちの不屈の精神に励まされたことは、私の最大の幸せでした。

余波への対応

奪還され、本来の家族のもとに戻った後でさえ、私は以下に示す様々な恐怖に悩まされ続けました。
・また拉致されるのではないか、いつ自分の身の安全が脅かされるかわからないという恐怖。
・自分は(肉親を除いて)誰からも好かれない、愛されない存在なのではないかという恐怖。その結果、大学までかなり社会的に引っ込み思案になってしまった。
・自分が常に一緒にいてあげないと、愛する人が死んでしまうという不合理な恐怖。
更に、大人になってから、他人の忠誠心を信じることができないことに気づきました。友人関係や恋愛関係の強さに疑問を持ち、自分のセルフイメージの低さから、しばしば他人を疎外するようになりました。
-ジェレミー ,
元拉致被害児童

 拉致が子どもに与える影響は、拉致の期間、子どもの年齢、拉致中に起こった出来事、子どもが拉致にどう対処したか、そして回復の方法など、様々な要因によって異なります。
 家族による拉致を経験した子どものサバイバーに共通する、表面化する直接的および/または長期的な問題には、喪失、怒り、恥辱、孤独、不安という感情、愛されていないこと、アイデンティティに関する混乱、喪失や関与への恐怖が含まれます。また、また、家族による拉致を経験したサバイバーは、拉致した親がついた嘘と真実を見分けることが困難かもしれません。
 親、家族、友人、教師は、連れ戻された子どもは連れ去られた子どもとは同じではないということを認識しなければなりません。子どもは、拉致されていた間に多くの経験をしています。-その経験は悪いことばかりではありません。-たとえそれが、捜索中の家族の「いつもの」やり方と違っていたとしても、子どもは本当の自分でいることが許されるはずです。
・連れ戻された子どもは、親、家族、兄弟(もしかしたら新しい子もいるかもしれない)、友人、地域社会など、多くのことに対処しなければなりません。全てが変わってしまうのです。
・子ども名前が新しくなるだけでなく、アイデンティティも変わるかもしれません。
・一人っ子の家庭から新しい大家族になり、移行がより困難になる可能性があります。
・子どもの教育環境は変わるかもしれません-子どもは違う学年に編入され、恐らく全く違う学校環境に置かれるかもしれません。
・拉致した親と捜索中の親とでは、家庭の規則、子どもへの期待、子育ての方法が異なる場合があり、子どもと子どもが戻る先の家族に混乱と不安を引き起こします。
・連れ戻された子どもは、家、家族、学校、地域、国まで、全く新しい生活環境に身を置くことになるでしょう。
・拉致は単なる一時期の出来事ではなく、その子の人生全体を変えるような継続的な経験であることが判明しました。
・拉致とは子どもとその子どもが経験したことを奪い取る行為であり、時には拉致プロセスの中で経験したことが失われることもあります。
・拉致された子ども特有の発達上の問題があり、以下の点に注意を払う必要があります。
・子どもは、その年齢で期待されるよりも早い発育を余儀なくされたかもしれません。
・誕生日、祝祭日、進級などの人生における節目を逃している可能性があります。
・新しい学校、新しい住居、新しいクラスメートや知り合いなど、常にやり直しを余儀なくされています。
・連続性がありません。-子どもは何度も新しいアイデンティティを身につけることを余儀なくされた可能性があります。
・子どもは、感情的にも教育的にも遅れをとる可能性があります。
・子どもは生きてゆくことを最優先した行動をとります。
・子どもは子どもらしさを失います。
・異常な行動が常態化している可能性があります。例えば、車の中に隠れる、カーテンをいつも閉めておく、電気を消しておく、玄関に出ない、常にあっちこっちと動き回る等です。

ごめんなさい。私はあなたがたが育てたであろう子どもには、決してなれません。・・・もし私がそこで育っていたら、恐らくもっと自分たちに似ていただろうと、彼らが感じていたのを知っていたので(なぜなら彼らは時折そう言っていましたから)、私はいつも辛い思いをしていました。そう、ここで育ったなら恐らく似ていたことでしょう。ある意味、似ていたなら素晴らしいことでしょう。別の意味で、彼らに似なかったことを私は誇りに思っています。
元拉致被害児童

子どもを奪還した時に起こりうる落とし穴を最小限にする方法1

 私が今知っていることを前もって知っていたなら、坊やたちが戻ってきた時に私たち全員が直面した課題を、うまく処理できただろうに、と思います。坊やたちは家にいて、私は彼らを守る必要がありました。私たち全員が助けを必要としているとは思いもしませんでした。
-CJ,
元捜索中の親

 奪還した子どもは、捜索中の親のもとに戻るだけではありません。子どもは新しい学校、親戚、文化、地域社会に同化する必要があります。親、家族、友人、教師は、連れ戻した子どもが連れ去られた子どもとは違うことを認めなければなりません。子どもが壊れたアイデンティティを徐々に修復し、拉致されていた時のアイデンティティから新しい生活へと移行し、人間関係を再構築するのを助けることに焦点を当てねばなりません。奪還が子どもにとってもう一つの断絶の原因とならないように、二つのアイデンティティの間の移行を促進する方法はたくさんあります。

・資格のあるメンタルヘルスカウンセリングへのアクセスを提供する
 子どもには、トラウマを抱えた子どもへの対応に長けた専属のセラピストが必要です。セラピストは子どものメンタルヘルス状態の評価を実施すべきであり、子ども向けの個別療法および/または家族療法を推奨する可能性があります。子どもは、忠誠葛藤を経験しているかもしれないので、拉致と奪還の両方に対処するために、専属のカウンセラーを持つことが重要です。それに加えて、良い家族療法は、家族が子どもをより良く理解し、子どもと家族が一体化するのに役立ちます。

 信頼できるセラピストと一緒にようやく安全な環境を見つけたとき、自分の気持ちに惑わされたり、恥ずかしがったりすることなく、中立的な場所を持てたのは素晴らしいことでした。
-レベッカ,
元拉致被害児童

・子どもにペースを握らせる
 子どもは「新しい現実」を自分の人生に統合し始めると同時に、古い現実の喪失に直面することになります。信頼していた大好きな親が嘘をついていたことを子どもが受け入れるには、時間がかかることもあります。また、自分が頼り切っていた親を手放すことに恐れを感じているかもしれません。2つの競合する見解を調整するために、時間、スペース、および適切なメンタルヘルスの専門的支援を子どもに与えることは非常に重要です。子どもを「新しい現実」に押し込めようとしたり、強制したりすると、単に拉致の経験と同じ経験をさせることになります。子どもが、拉致についての詳細と捜索中の家族に対する愛情の両方を共有するペースを握るべきです。

 もし私が母に何か一言言えるとしたら、「どうか聞いてください」とだけ言います。私が、何が起こったのかを話したがっても、話題を変えないでください。これ以上、私をおかしくさせないでください。私がいなくなった時、母がどれだけ大変だったかを聞きたくないし、聞く必要もありません。厳しいことを言うようですが、時にはとても辛いんです。私は長い間、母の世話をして、父の世話をして、元気なふりをして、自分の人生が「普通」であるかのように過ごしてきました。もし話が脇に逸れてしまったら・・・州から州へ引越し、友達ができず、母が私のことを気にしていないという思考がどれだけ私を混乱させていたかを話したら・・・そのことを聞いてもらえません。もし私が自分の心の痛みを話せば、残された母の心の痛みを何らかの形で否定することになります。私は、母が、私を愛し、何年間も私を気遣ってくれた人が、私が傷ついていることをまだ気にかけていて、私に何が起こったのかを聞きたいと思っているかを知りたいのです。私は自分の話を母に聞いてほしいのです。
元拉致被害児童

・拒絶を個人的に受け止めない
 子どもは、捜索中の親を警戒したり、否定的な態度をとったり、拒絶したりするかもしれません。捜索中の親は、子どもが拉致犯による多大な背信行為の結果に直面しているのと同時に、子どもの信頼を求めていることを忘れてはなりません。子どもが再び信頼できるようになるには、時間がかかるでしょう。

・明確な期待値を設定する
 構造と規律を提供します。拉致されている間、子どもは嘘をついたり、秘密を守ったりするように勧められた可能性があります。また、大人の監督がないことに慣れた可能性もあります。新しい家庭でどのように物事が行われるかについて、子どもに明確なメッセージを与えることで、新しい行動への期待に対する混乱を減らすことができます。

・子どもが受けたトラウマを認識する
 子どもは、親や家族には気づかれないような方法で、連れ戻されたときに自分が「大丈夫」だと見せねばならないという凄まじいプレッシャーに直面することになります。このプレッシャーは、家族をこれ以上の心配から守りたいという気持ち、家族やその他の社会的環境に適応したいという気持ちから生じる場合もあれば、もう「大丈夫」だと子どもに話す周囲の合図に反応している場合もあります。子どもは、拉致されたときに残された人生を抑圧することを学んだように、保護してもらい、生きて行くための手段として拉致を抑圧することがあります2。

 私たちは、試練が終わったことを喜ぶことを期待されていたのです。それで私は何も問題がないように装うことを学びました。誰かの気持ちを傷つけないように、自分の気持ちを隠すことも学びました。
-シェリー,
元拉致被害児童

・子どもの前で拉致犯に対する否定的な発言をしない
 子どもと拉致加害者との関係は、雲散霧消しません。健全であろうと機能不全であろうと、拉致後の計画で考慮せねばならない絆が存在していました。子どもが拉致した親と継続的に接触することが安全で有益である状況があるかもしれません。他の状況では、それは不可能であるか、または推奨されないかもしれません。この点に関しては、メンタルヘルスの専門家の助けを借りて考えることができます。しかし、子どもは拉致犯に対して否定的な感情もしくは肯定的な感情のどちらかを抱いていることを認識することが重要です。拉致犯を否定したり、子どもが拉致犯を否定的に見るように説得することは、拉致犯の行動と同じ行動をすることになり、再会をより困難なものにする可能性があります。

 子どもは一方の親について、肯定的な考えを口にするかもしれません。あなたにとって難しいことですが、子どもに両方の親を愛する自由を与える、そのためのスペースを与えてあげてください。どちらか一方の親を選ぶように仕向けてはいけません。そうすることで、実際に親子の距離が縮まり、子どもは自分の心の奥底にある思考と感情をもってあなたを信頼することができるようになるのです。
-アビー,
元探索中の親

子どもの新しい家への適応を助ける

 子どもは間違いなく発見され、本当に家に帰ってきます。行方不明の子どもが無事に帰ってくると、捜索中の親は大喜びし、有頂天になることがよくあります。しかし、捜索中の親は、拉致期間中に子どもが置かれた状況の良し悪しにかかわらず、子どもがそれまで送っていた生活や、頼りにしていた親から引き離されただけだということを認識する必要があります。これから、お互いを知る作業が始まります。これには忍耐と理解が必要です。再会の対処方法は、子どもと捜索中の親の絆に長い間影響を及ぼします。捜索中の親は、子どもがまだ元の生活とつながりを持っていることを認め、子どもがそのつながりを維持できるように配慮しながら、子どもの生活に安定をもたらし、新しい家庭との結びつきを強めるのに役立つ新しい日常生活を作り上げる必要があります。
  ・子どもの好きな名前を使わせる。
  ・ボーイ(ガール)スカウト、サッカー、タンブリング、ソフトボールなど、拉致期間に参加していた活動を継続するよう勧める。
  ・安全な限り、拉致期間中にできた友達と連絡を取り続けるよう促す。
  ・工夫をする。例えば、子どもが連れて行かれた都市で地元チームのファンになったのであれば、そのチームのペナントを子どもの部屋に飾るなど。
  ・子どもの生活を構造化し、整理整頓し、規律を守る。しかし、子どもに力を与えるような選択肢を与える。たとえそれが、"朝食は卵にするかシリアルにするか?"といった小さな選択であっても構いません。
  ・子どもが連れ去られていた間に起こったことを時系列に記録し、それを読んでも構わないことを子どもに伝える。子どもを見つけるためにどのような手段をとったのかを書き留めておきます。出産や卒業、子犬の頃に犬を家に連れてきたことなど、家族の重要なイベントの写真も添えます。
  ・そして何より、子どもには、良いことも悪いことも含めて、拉致されたときの記憶を全て自由に表現するように促す。

もっと長くセラピーを続けていればよかったと思います。恐怖心や不安、被害妄想などを抑圧するのではなく、早い段階で向き合っていればよかったと思います。
-レベッカ,
元拉致被害児童

レベッカの物語

 カリフォルニア州ユリイカにある小学校5年生の教室では、いつもと同じよう授業が進められていました。先生が出したばかりの数学の問題を解くのが嫌になっていたころ、校長先生が教室に入ってきて、突然「一緒に来てください」と言われました。校長の事務室まで歩いて行ったのを覚えています。校長先生は、私を認識していなかったような面妖な面持ちで私を見て、耳を劈くような静寂でした。すごく緊張しました。自分をこんなに困った事態にさせ、校長先生自身によってクラスから引っ張り出されるようなことを私はしたのかもしれないと、私は自分がした全てのことを洗い出し始めました。私たちが本部に着くと、受付でちょっと待つように校長先生から言われました。先生は事務所の中に入り、ドアを閉めました。数分後、ドアの向こう側で校長先生の足音が聞こえ、校長先生は私をエスコートするためにドアを開けました。
 事務所には、スーツを着た人が2人、警察官が2人、そしてきれいな身なりの女性が1人いました。女性はソファに座り、警察はドアの脇に立ち、スーツ姿の2人は机の脇にいました。その女性に「そばに座って」と言われ、そうしました。私は完全にビビり、緊張していました。どう考えたらいいのかわかりませんでした。私が席に着くと、女性が自己紹介をし、それに続いてFBIの捜査官2人と警察官2人が自己紹介をしました。今でも、その人たちの名前は思い出せません。私が質問する間もなく、女性は小さな女の子の絵が描かれたペラペラの牛乳パックを取り出しました。その女性は私に、この少女が誰なのか知っているかと尋ねたので、私は知らないと答えました。彼女はその少女が私であり、私は8年前から母に拉致されていて、父とFBIがそれ以来ずっと私を探していると説明しました。でも、私の名前はヘザーだったんです!私はとても混乱しました。即座に泣き出してしまいました。この見知らぬ人が私に言ったことをどう理解したらいいのか分かりませんでした。私の名前は違っていました。私に父親がいなかったのは、父が私を愛していなかったから、私と関わりを持ちたくなかったからです。これは、私がその生涯の中でこれまでずっと思っていたことです。私は本当に思考や感覚が飛んでしまい、全員の身分証明書の提示を求めました。今にして思えば、12歳の少女がFBIや警察に身分証明書を求めるなんて、おかしな話ですけど。しかし、私には何の意味もありませんでした。自分の人生が全て嘘だと言われたら、どうしたらいいのでしょう。その女性は、父が私を迎えに来るところだと言い、母の家族が再び私を拉致しようとする恐があるので、私は家に戻ることも、自分のものを持ち出すこともできない、と言いました。それ以上の説明はなく、2人のFBI捜査官は私を一晩児童養護施設に連れて行き、翌朝早く、私は初めて父に再会しました。
 私が父や兄弟姉妹と再会した後、母は逮捕され、重罪により、7年から10年の保護観察処分になりました。母は司法による裁きを受けたように聞こえますが、刑務所にいたのは2日間だけで、保護観察処分は守られることはなく、命令されても何度もイリノイ州を離れました。感情的に、私は母に対して怒りと憤りを感じていました。私に嘘をついたこと、そして母がしたことが憎みました。母は私を子ども時代や兄弟姉妹から引き離しました。父や兄弟姉妹の愛に包まれた "普通の "子ども時代を奪われたのです。怒りとともに、混乱も生じました。私は、現実や、自分の周りで何が感情的に本当なのか、全く把握できていませんでした。誰を、どんな状況を信じていいのか分からなかった。私にできることは、なぜこんなことになったのか、その答えを探すことだけでした。しかし、その答えが見つかるとは思ってもみませんでした。私はこの質問を、現実と言葉が信用できない母にしたのです。母の答えは、「私はあなたを守って、危険から遠ざけていたのよ」というものでした。
 私の反論はいつも同じでした。「また別の嘘をつくのね。もしそれが本当なら、他の子どもたちも「救おう」としたはずだもの。勿論、子どもたちを愛していなかったり、子どもたちが危険にさらされても気にしなかったなら、別だけど」。怒りと混乱は、様々な形で現れました。最も有害なことは、ヘザーの私を感情的および精神的に殺さずにレベッカになる方法を知らなかったということでした。今の私には新しい人生があり、私を愛し、支えてくれる人たちが大勢いる新しい現実があったのです。その中で、私はどうすればヘザーになれるのでしょうか。前の人生からのものは全て失われ、去っていきました。同じ州に住んでいなかった、友達もいなかった、持ち物もなかった、母もいなかった。今は兄弟姉妹がいて、父がいて、猫がいて、本物のコンバースの靴があった。これらは文字通り、一夜にして実現したのです。私の人生には、物理的に私であること以外、何一つ変わっていないのです。
 拉致される前の最初の人生を振り返ると、当時の大切な人の名前や顔など、あまり思い出せません。なぜなら、私はその人生から何かを取り入れることが許されなかっただけでなく、私が本物になるためにあるものを葬り去らざるを得ないと感じたからです。それがレベッカでした。レベッカって誰?今日に至るまで、私は未だに、相変わらず分からないのです。私は生涯、生来の人間であるべき一人の人、つまり私を一体化することに苦心してきました。私には、それを作るための現実や土台がありませんでした。確かに、私には愛に溢れ、支えてくれる家族がいましたが、それは私の外側にあるもので、私という人間ではありません。家族は私の人生を豊かにしてくれるものではありますが、私を創り上げてくれるものではありません。私は、自分が誰であるか、自分自身のアイデンティティを構築するために、一人の人間であることに十分な長さの自信を持ったことがありません。私が幼少期に親によって拉致された大人のサバイバーであるという事実が、今の私のアイデンティティになっています。それがアイデンティティを意識させる唯一のことなのです。
 これが、母が私に作り上げた現実です。あまりに深い嘘に基づいた現実は、人間として自分の周りの世界の内外で自分自身を一体化できないということに根ざしていました。私は自己認識と同一化が前進したので、私がそれらの点で前進しなかったことを示唆するほど自分自身から感情的に切り離されたように思われたくありません。ある意味で、私は、大部分の人が一生かけて知る自分よりも、拉致された自分のアイデンティティの構成の中で感情的に自分を知っていると感じています。しかし、私が葛藤しているのは、この断絶がなかったら私はどうなっていたのだろうということです。疎外感、不安、恐怖、被害妄想、自責の念のない本当の私は誰なのか?どうすれば、あるべきものがないデフォルト状態の自分の人生には、これらの制限がなくてもいいとわかっている人になれるのか?私は過去を悔やんで時間を無駄にしたくありません。だからこそ、現在と未来を最大限に活用しようと常に心がけてきました。私が経験したトラウマのおかげで、私が感情的または精神的にそうすることができたと感じる日は一日もありません。もし、「自己認識の危機」のようなものがなかったら、私はどんな限界を持っているだろうか?正直なところ、あまり限界はないと思います。私は、生来の不安、恐怖、疎外感、怒り、被害妄想がデフォルト状態として存在しない人生を奪われたのです。今のところ、それらがないとどうやって生きていけばいいのかわからないと思うし、それが実現する一瞬が一番不安なんです。

最終的な感想

 家族による拉致は、拉致を体験した者に永続的な影響を与える犯罪です。それがどのようなもので、どのような潜在的アウトカムが考えられるかを理解することは、専門家や拉致された子どもや捜索中の親に関わる人たちが適切に対応し、さらなる被害やトラウマを減らすのに役立ちます。この文書の前セクションでは、家族による拉致の現実を、拉致された子どもと捜索中の親の目を通して説明してきました。彼らの言葉は、家族に拉致されることが何を意味するのかについての洞察を提供し、そうすることで、専門家やボランティアが同様の状況に直面する人々を支援するために必要な知識と情報を提供するものです。寄稿者は、自分たちの体験や考えを共有することで、警察、ソーシャルワーカー、ボランティア、その他の人々に変化をもたらす力を与えることができると願っています。

 自分自身と恐怖に向き合い、物事を解決する努力をすれば、時間とともに物事は良くなっていきます。
-レベッカ,
元拉致被害児童

このセクションでは、行方不明の子どもや拉致された子どもとその家族のためのリソースを紹介します。

リソース

 このセクションでは、行方不明の子どもや拉致された子どもとその家族に焦点を当て、支援するためのその他の出版物、プログラム、リソースに関する情報を提供します。

出版物
子どもの拉致に関する以下の出版物は、少年司法および非行防止室(OJJDP)、全米行方不明・被搾取児童センター(NCMEC)、テイクルートからオンラインで入手可能です。

子どもが行方不明:行方不明の子どもの家族を支援する
このハンドブックは、行方不明の子どもの家族を支援する専門家に、子どもが行方不明と判断された時点から、子どもが不在状態の数時間、数日、数週間、数年間にわたる、行方不明の子どもの肉親、親戚、友人などのニーズと支援方法についての情報を提供するものです。
(NCMEC, www.missingkids.com/en_US/publications/NC172.pdf, 56 pp.)

家族による子どもの拉致:予防と対応
このハンドブックは、国内外を問わず、家族による拉致を経験された方々のために、段階的に情報を提供するものです。米国弁護士会の協力のもと、制作されました。このハンドブックは、民事と刑事の司法制度を通じて家族を導き、彼らを助ける法律を説明し、予防法を概説し、拉致後のアフターケアのための提案を提供するものです。また、捜索と奪還の戦略についても詳しく説明し、こうした難しい事件を扱う弁護士、検察官、家庭裁判所の裁判官に対する貴重な助言も載せています。
(NCMEC, www.missingkids.com/en_US/publications/NC75.pdf, 244 pp.)

国際的な親による誘拐に関するファミリー・リソース・ガイド(第2版)
国際的な誘拐を防止し、誘拐された子どもや不当に拘束された子どもが戻ってくる可能性を高めるための実践的で詳細なアドバイスを紹介します。このOJJDP報告書は、利用可能な民事および刑事救済措置の説明と現実的な評価を提供し、適用される法律を説明し、公的および民間のリソースを特定し、子どもを連れ去られた親が子どもを取り戻したり、他の国で子どもとの有意義なコンタクトを再確立するための戦略を明らかにするものです。2002年2月に初版を発行して以来、政策や実務における重要な進展が網羅されています。このガイドには、推薦図書のリスト、ウェブサイトを含む関連資料の登録簿、ハーグ条約申請書(説明付き)、ハーグ条約以外のケースに関わる親のためのチェックリスト、索引が含まれています。
(OJJDP, search "NCJ 215476" at www.ncjrs.gov/App/Publications/)AlphaList. aspx, 164 p.)

長期にわたる拉致後の家族の再統合
このハンドブックは、拉致被害者とその家族、そして彼らにサービスを提供する専門家のための情報を含んでいます。この情報は、子どものころに拉致された大人への面接から得られたものです。このハンドブックは、被害者、家族、専門家が、再統合のためにしばしば長くかかる過程を案内するものです。また、面接に応じててくれた人たちの経験も詳しく紹介されています。
(NCMEC、www.missingkids.com/en_US/publications/NC23.pdf, 52 pp.)

拉致された子どもに慎重に対処する
本書は、拉致された元児童の生の声だけで作られたマルチメディアの旅、子どもの拉致体験と奪還体験に関連する主要テーマや用語をまとめたテキスト章、家族による拉致事件で子どもに関わる残された親、警察、ケースマネージャー、メンタルヘルス専門家、訴訟代理人、裁判官向けの個別ガイドから成っています。このガイドは、個別の独立した出版物としても入手可能です。
(Take Root, www.takeroot.org/publications.html)

奪還を別の視点で見直す:拉致された子どもに対処するための慎重なアプローチの概要
本論文では、テイクルーツの「慎重なアプローチ」の概要を紹介します。「慎重なアプローチ」は、子どもにとって新たなトラウマとなる可能性を最小限に抑えながら、子どもにとって健全な移行を促進し、最初のコンタクトの瞬間から支援を提供する可能性を最大限に高める方法で、奪還という出来事を管理するように設計されています。
(Take Root, www.takeroot.org/ publications.html, 8 pp.)

家族による拉致の類型化
本論文は、テイクルート代表取締役のリス・ハヴィヴが、家族によって拉致された子どもたちの経験を類型化し、それぞれの類型が「奪還」に対して持つ意味を考察したものです。また、テイクルートの数百人の元拉致被害者とのプログラムワークに基づいて、異なるタイプの事件に共通する点を簡単に取り上げています。
(Take Root, www.takeroot.org/publications.html)

私はどうなる?兄弟姉妹の拉致に対処するために
拉致された子どもの兄弟姉妹によって書かれたこのガイドには、兄弟姉妹が拉致されたときに、あらゆる年齢の子どもたちを助け、サポートするための情報が記載されています。このガイドには、子どもたちが予想できること、経験するかもしれない感情、日々起こるかもしれない出来事、そして子どもたち自身の気持ちを楽にするためにできることについてのアイデアが示されています。家庭、家族、警察、メディア、学校と職場、休日と記念日などの項目に分け、子ども向けのやさしい言葉で書かれています。
さらに、このガイドには、幼過ぎて字が読めない子どもも含め、あらゆる年齢の子どもが楽しめるアクティビティページもあります。
(OJJDP, “NCJ 217714”で検索してください www.ncjrs.gov/App/Publications/AlphaList.aspx, 69 pp.)

子どもが行方不明になったとき:家族のためのサバイバルガイド(第4版)
このガイドでは、子どもが行方不明になったときに家族がすべきことについて、最新の情報と役立つ見識を親に提供します。このガイドの初版は、1998年に、子どもの失踪を経験した親や家族によって書かれました。この本には、子どもが行方不明になったときに何が起こるか、何をすべきか、どこに助けを求めればよいかについて、彼らのアドバイスがまとめられています。行方不明の子どもの捜索において、さまざまな機関や組織が果たす役割を説明し、考慮しなければならない重要な問題について論じています。本書は7つの章に分かれており、それぞれの章は情報を素早く簡単に探し出せるように構成されています。各章では、短期的な問題と長期的な問題の両方を説明し、後で参照できるようにチェックリストと章の要約が含まれています。巻末には、推奨図書リストと公共・民間のリソースリストが掲載されています。この第4版は、2010年に出版されました。
(OJJDP, “NCJ 228735” で検索してください。 www.ncjrs.gov/App/Publications/AlphaList.aspx, 112 pp.)

あなたは一人じゃない:拉致から立ち直るまでの旅
このガイドでは、子どもの拉致のサバイバーの幾つかの物語と、トラウマとなるような体験からどのように成長し、発達してきたかを紹介しています。子どもの拉致のサバイバーによって書かれたこのガイドは、他の子どもの拉致のサバイバーが自らの体験に対処し、より良い未来への旅を始めるのに役立つ情報を提供しています。加えて、このガイドには、それぞれの個人的物語に対して読者が自分の考えや感情を書き込めるスペースが設けられています。
(OJJDP, “NCJ 221965” で検索してくださいwww.ncjrs.gov/App/Publications/AlphaList.aspx, 76 pp.)

米国司法省のリソース
少年司法および非行防止室(OJJDP)は、少年非行と被害の防止と対応のために、国家的なリーダーシップ、調整、資源を提供しています。OJJDPは、少年司法制度が公共の安全を守り、犯罪者の責任を追及し、少年とその家族のニーズに合った治療とリハビリテーションサービスを提供できるよう改善するべく、効果的で協調的な予防と介入プログラムを開発・実施する州や地域の取り組みを支援します。OJJDPのウェブサイト(www.ojp.usdoj.gov/ojjdp)をご覧ください。

犯罪被害者対策室(OVC)は、1984年犯罪被害者法(VOCA)の改正により、犯罪被害者のための指導と資金提供を目的として1988年に議会によって正式に設立されました。OVCは、全米の被害者補償・支援プログラムを支援するために連邦政府資金を提供しています。OVCはまた、被害者と一緒に行う多様な専門家のための研修、出版物の作成と普及、被害者の権利とサービスを強化するプロジェクトの支援、被害者問題に関する一般の人々への啓蒙活動も行っています。OVCのウェブサイトwww.ojp.usdoj.gov/ovcをご覧ください。

また、米国司法省は以下のサービスをサポートしています。

・拉致された子どもを早期に発見するための警告システム「AMBER Alert™(アンバーアラート)プログラム」。アンバーアラートプログラムは、最も深刻な子どもの拉致事件で緊急速報を作動させるべく、法執行機関、放送局、交通機関、および無線産業が自発的に提携したものです。アンバーアラートの目的は、地域社会全体を瞬時に活性化させ、子どもの捜索と安全な奪還を支援することです。アンバーアラートのウェブサイトにアクセスするには、www.amberalert.govをご覧ください。

国家刑事司法参照サービス(NCJRS)は、一般市民と少年司法関係者に情報を提供する連邦政府出資のリソースです。NCJRSは、米国司法省と大統領府の連邦機関の協力で運営されています。NCJRSは世界最大級の刑事・少年司法関連のライブラリーとデータベースを擁しています。NCJRSの情報にアクセスしたり、この出版物を注文したりダウンロードしたりするには、www.ncjrs.govをご覧ください。

行方不明の子どものための組織
行方不明・被搾取児団体連合
は、アメリカとカナダの非営利の地域機関で構成される会員組織で、行方不明の子どもの家族にサービスを提供しています。ポスターやチラシの作成と配布、アドボカシー活動、地域の警察への援助、資料提供などの支援を行っています。www.amecoinc.org をご覧いただくか、1-877-263-2620までお電話ください。

全米行方不明・被搾取児童センター(NCMEC)は、子どもの拉致と性的搾取の防止、失踪児童の発見、子どもの拉致と性的搾取の被害者とその家族、専門家の支援に取り組んでいます。NCMECのリソースにアクセスするには、1-800-THE-LOST (1-800-843-5678)に電話するか、www.missingkids.com をご覧ください。

全ての州、コロンビア特別区、プエルトリコ、カナダには、行方不明の子どもの家族に支援と援助を提供する、州の行方不明児情報センターがあります。各州の情報センターのリストは、NCMECのウェブサイトwww.missingkids.comに掲載しています。ページの左側にある、親と後見人向けリソースのタブをクリックしてください。

ピアサポート

テイクルートは、元拉致された子どもたちによって、元拉致された子どもたちのために設立された非営利団体です。その使命は、子どもの拉致に対する問題意識を高め、知識を集めて共有し、癒しを促進することによって、拉致された子ども特有の視点から子どもの拉致に対応することです。テイクルートは、子どものころに拉致された大人のためのピアサポートプログラムを全国的に運営し、多方面の対応専門家や被害者の家族、および一般市民に、子どもの拉致の被害者学、家族による子どもの拉致における最善の予防と介入および治療に関する教育を提供するため、プログラムの成果を利用しています。テイクルートの将来像は、行方不明の子どもに対する国の対応を「行方不明の子どもを奪還するだけでなく、行方不明の子どもが立ち直れるようにする」ことです。1–800–ROOT–ORG (1–800–766–8674) に電話をするか、 www.takeroot.org.をご覧ください。

チームHOPE(Help Offering Parents Empowerment)は、行方不明の子どもの家族のための親の指導と支援プログラムです。親のボランティアで構成されるチームHOPEは、親と家族にメンタリングサービス、カウンセリング、感情的なサポート、リソース、エンパワーメントを提供します。ボランティアの連絡先は以下の通りです。1-866-305-HOPE (1-866-305-4673)に電話をするか、あるいはwww.teamhope.org をご覧ください。

 なぜ母が、私を拉致することは父との戦いの中でそこに至るのは当然な正当行為であると、多くの友人や家族を納得させることができたのか、私にはわかりません。後でなって、母も含めて誰もが、あれは悲劇的な間違いだったということが明らかになったようです。もし、当時、母の周囲の人々が、母の計画が子どもの拉致という行為であることを認識し、声を上げていれば、私がどれだけのトラウマや心の傷を避けることができたか、考えずにはいられません。
-リス,
元拉致被害児童

(了)

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